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震度5に対する反応の違い

おはようございます。

関東は2021.10.07.22:41頃地震がありましたね。

これから、関東の人に対して辛辣なことを書くので、興味のない方は絶対読まないでください。返信で批判されても読みません。

ここ1週間は東北、鹿児島宮崎でも震度5クラスの地震が起こっています。

うちは熊本の県南なので、鹿児島の地震の時、震度2くらいでした。

今朝は、朝から関東の地震のニュースばかりなのかな?と思っていたら、「モーニングショー」という番組は、脱走した熊本のエミューのことをやっていて、何だかホッとしました。

被害に遭われた人は心配です。しかし、関東以外の地域に震度5の地震が起きてもその時速報のテロップが流れて、NHKだけが報道に切り替わるくらいなのに、まったく関係ない地方にまで関東の地震のニュースばかり流すのはなんなんだと思わざるを得ません。

私は東日本大震災が起こった10年前東京の新橋で働いていました。はっきり書くとテレビの報道局のADでした。

地震が起こった時は、遅番出勤で電車の中、電線が落ちて電車が留まり、線路を歩いて降りて、街を走って出社して出社時間に間に合いました。世間が大変な状況だったからかもしれませんが、どうやって出社したか誰にも聞かれなかったので、言いもしませんでした。

電車から降りることになる前は、近くにいた、、、というより日本人に話しかけまくって移動してきたアジア系の外国人女性に、出社が遅れるというメールを送りたいと言われ、日本語の文章を考えてあげて時間をつぶしました。近くにいた男性の何人かは、この状況なんだから、連絡をいれなくてもわかっているよと言われましたが、女性はどうしても連絡したいようでした。そういうことで手慰みして落ち着きたかったのかもしれません。女性は非常に怖がっていました。私は電車の中で鉄道警察の方が入ってきて説明して降車の誘導をしていた時に、持っていたデジカメでインタビューしました。数分くらいの会話でしたが、鉄道警察の方はとても親切でした。

線路を降りる様子もデジカメで撮りました。しかし、テレビ局のデスクの方々に相手にされず、見てももらえなかったので、データは腹がたって消してしまいました。後になって考えてみても、視聴者提供の他のスマホで撮影された視聴者映像よりはよくできていたと思いますが、大卒でも新卒の1年目。しかも制作会社の契約社員で下に見られていたのだと思います。

地震は昼でしたが、余震もありました。私は、夜の番組担当だったこともあって、仕事の後会社に泊まることにしました。しかし、同じ番組の方は、、、社員の夜番の人は知りませんが、全員帰ってしまいました。街中で安全な建物に避難して無理に帰ろうとしないでくださいと言われていました。番組でもそう報道していました。しかし、その張本人たちが我先にと帰る。矛盾しか感じませんでした。

夜中に何か起こったとき、少ないスタッフでどうやって報道するのか、社員が近くに住んでいるのか。気になったのは、ADを辞めてもう何年も後になった頃です。

以前も書いた気がしますが、当時のテレビ局というのは撮られた映像の使いどころを探すのに、担当のディレクターが全部の映像を見るなんてことはできないため、映像のすべてを音以外もpcで「海。20:21波音ざざざ。☆波音強い。☆☆車ひっくり返る。 20:30後動きなし」などといった文字起こしして、下っ端ADが使いどころを☆マークつけて伝えるみたいなことをやっていました。ディレクターが文字起こしすることもあったようです。

私は、次々送られてくる東北の惨状の映像をひたすら文字起こしして、夜を明かしました。翌日の午前中に、夕方の報道番組の人に文字起こししたもの・・・たしかキャプションといったと思いますが、どこにあるか教えてくれと言われました。共有フォルダみたいなものに当時は自動保存される仕組みでした。まだ本当に入って半年もたっているかどうかの新人でしたので(テレビ局派遣前に制作会社で研修期間がある)、「自分の趣味でひたすら雑に起こしたので、使えるかどうかわかりませんよ」と言いましたが、どこが使えるんだとかやたらと聞きにこられました。どれが津波の映像かタイトルをつけて教えました。それが大事で自分が仕事をちゃんとやったんだという自覚もないほどの新人でした。それにしても、報道フロアには誰もいないように見えたのに、私がキャプションを録っていることを誰が気づいて彼らに教えたのでしょうか。集中していたから、私が気づかなかっただけで見られていたのか。今考えたら、見ていたんなら手伝えよとか思っちゃいますね。

夕方の報道はそれで東北の惨状を伝えたんですが、なぜか夜中の私が担当している報道番組の方は帰宅困難者の話ばかりでした。当時は番組内容の棲み分けくらいにしか思っていなかったのですが、同じ番組の人がわたしのことを知らなかったから、膨大なキャプションの存在を把握できておらず、後から送られてくる映像のキャプションが間に合わないから使えないという判断だったのかもしれません。そういや、夕方の番組の人に素材を聞いていたような気がします。その夕方の人に教えたのは、私だったんですが。

まあ、愚痴はこのくらい・・・ではなく、まだあります。

私は、歩いて出社しましたが、20代30代のスタッフや社員がタクシーを待ったみたいです。タクシー運転手だって、自宅が心配でしょう?身体障碍者や高齢者に譲ってあげるべきじゃないですか。なんで若い人が自分の足で帰らないんだと思います。

そんな私は、翌日の夜電車で帰りましたが、すごくすし詰めのぎゅうぎゅう詰めで、背が低いので電車の中で男の人たちの脇の下に頭が埋まり申し訳ないですが、すごい体臭に苦しめられました。もう1泊するか、朝帰ればよかったと思いました。

一つの車両の両側のドアを開けないで、一つのドアだけ開けて、人数制限した方が良かったと思います。あんなに無理に詰め込んで、今思えばあれでまた地震がきて電車が止まって閉じ込められていたら、私はきっと窒息死していたことでしょう。

東京にはネットカフェも24hのジムもファミレスもあり、当時ライフラインが止まっていたわけではありません。会社のシャワーを使えば体は洗えますし、駅地下の店で服だって買えました。

その後は、2度目の大きな余震などで被害も広がり、計画停電などがありましたが、当時から太陽光パネルもあったんですよね。

水道がそこそこ無事だった地域が多かったのが、関東は不幸中の幸いだったなと思います。千葉の浦安に住んでいた同僚の人は、ドアも壊れて大変だったらしく、スタッフの方からいただいたホワイトデーのお返しを食べ物にも困っているというのであげました。

しかし、2度目の地震の3日過ぎる前にはもう原発の報道に切り替わっていました。まだまだ、被害状況の全貌もわかっておらず、救出を待っている人もいる時期でした。津波の被害なども報道するのが大事だと主張するディレクターの方もたくさんいましたが、報道デスクやプロデューサーの方が有無を言わせずという感じでした。

すぐ思ったのが、原発の被害を強調して時の政権つまり民主党政権に責任をおっかぶせ、人災だという世論を作ることが目的ではないかということでした。当時の菅直人首相は東工大出身の原発に理解の明るい人で、原発反対派で知られていました。その菅直人さんに自民党政権が作った原発の責任が行き、東電の社長が被災地の人に労われて「あんたも大変やろう」と手をさすられる一方で、菅直人さんがあちこちで東北の人に石を投げられていた姿が忘れられません。報道の誘導とは恐ろしいものだと思いました。

当時都知事だった石原慎太郎知事は、東京オリンピックも招致できて都知事選には出ない予定でしたが、その頃に亡くなった日テレの元会長と知己で、死ぬ前に会長に都知事に出るよう言われたという憶測がありました。それが本当ならテレビなどのメディアと仲良しで、自動販売機の電気を止めるなど計画停電の指揮があれほど報道で礼賛されたのはある意味納得できることです。

ネット配信でコロナ禍の対策を取ろうとしている現在都知事の小池さんは、もしかしたらメディアと距離があるのかもしれません。タレントだった過去があるので、これも憶測にすぎませんが。

東北や九州で震度5の地震が起こっても、民放は速報テロップと短い報道があるだけです。それは阪神淡路大震災と東日本大震災の時に災害報道ばかりになって、視聴者に娯楽が無くなってかえって視聴者を疲弊させたという反省があるかもしれません。

それにしても、帰宅の混乱やあちこちのマンホールから水が噴き出したりすることなど、10年前とほとんど状況が変わらないと思ってしまいました。田舎の方が年寄りばかりですからね。変わったのは、地方の災害の報道が短くなったこと。テレビ局によっては、地方の報道とバランスをとったようですが、ライフラインの脆弱さは、集めた莫大な税金を一体何に優先して使っているのだろうと思わざるを得ません。

何か災害が起きた時、落ち着いて行動できないのは若者の方かもしれませんが、その若者を諭すどころか、追従した行動をとる中年の方々もどうなんだろうと思ってしまいます。

そして、地震の翌日に鉄道を使おうという人は、通勤、通学、通院など日程を変えられない人ばかりなのだろうかと疑わざるを得ません。健康な人なら、片道1,2時間程度であれば、歩いていった方が早いのではないでしょうか。

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