【映画感想文】世の中でもの申せる女になることが平凡を捨てることなら
「キャットウーマン(字幕版)」
何者かに変身することが勇気を出すか出さないかということなら、きっとみんな何者かに変身しようとするでしょう。
けれども、世界は物申す人を本当に受け入れてくれるでしょうか。
気が弱くて従順で、あるいは単純で熱しやすくて御しやすくて、理性が働かないような人の方が使い勝手が良いと思われているのではないでしょうか。
平凡であってもそうでなくても、或る女の死は或る女でしかない。それが総理大臣でも、伝記に書かれて世界中に話が広まりでもしなければ、すぐに忘れ去られていくだけです。
人生を謳歌するためのきっかけは、自分が今の現状を変えるか変えないか、変えなくても満足できるかにかかっているのではないでしょうか。
キャットウーマンの前半の大部分が彼女の職場とその生活圏の話に終始しています。序盤はなぜ彼女がキャットウーマンにならなければならなかったのか、臆病な女が自分の中で変革を待っていたというそのきっかけの人物像がずっと語られています。
そして、彼女はキャットウーマンになるのです。満たされない欲望は、平凡な女の中にあるものでしょうか。何をもって平凡とするのかは人それぞれです。代議士だって、この映画に共感する人はいるでしょう。たとえ、貧乏人でも泥棒にはなりたくないと思う人もいるでしょう。
結局のところ、映画はファンタジーなので、共感するのは前半部分のなぜ人は変身願望を持つのかという理由付けになるのです。
それは、頑張っても報われないから。人生は不公平だから。
本当にキャットウーマンにはなれなくていいけれど、この映画に共感する程度には欲望を持って生きても良いかなと思います。泥棒にはならなくても、変身願望は持っていていいのです。
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