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才能を潰すことがメディアの仕事なのか

"理解は出来るけれど、共感はしない"
そんな映画でした。
なんとなく最近起きた、歌舞伎役者の事件のことを想起してしまいました。
しかし、この作品は無関係です。
面白くて、考えさせられるけれど、主人公に共感できない、そんな映画でした。
2021年に公開されています。

「騙し絵の牙」

出版不況に喘ぐ、雑誌社。月刊誌から気管支に落とされ、苦境に瀕し、その雑誌社を再生しようと1人のやり手営業マンが立ち上がります。それが大泉洋さん演じる主人公です。

カルチャー雑誌ということなので、文芸誌などの雑誌なのでしょう。
いかにして才能を発掘するのか。
雑誌のグラビアを飾るべき女性作家モデルは誰なのか。
連載させるべき作家は、埋もれていた若き才能か、枯れかけているかつての才能か。

才能を装う。実在しない才能を世間に感じさせる。

ストーキングされていた美人看板作家がかねてより3Dプリンターで銃を作成して、その銃でストーカーを撃ってしまう事件が起こります。

しかし、主人公は、事件が起こったことを知りながらも、雑誌を修正せずに看板作家の作品を掲載したまま発売することを強硬に主張するのです。

「社会の一線を超えてしまったことと、その表現性は無関係だ」
「才能を潰すことが、私たち(メディア)の仕事なのか」

一見すれば正しい言葉なのでしょう。1度の過失で、それまでの仕事が否定されると言う事はあってはなら無いかもしれません。しかし、事件を起こしたにしろ、事件に巻き込まれたにしろ、加害者にしろ被害者にしろ、その当事者をその時に世間の矢面に立たせるのは正しいことなのでしょうか。

本人には、立ち直るための静かな時間が必要である気がします。
事実を掻き立てて、世間の風評を煽ることが、メディアの仕事なのでしょうか?
そういった感想を抱かせることが、この映画の製作者の意図であるならば、私はその通りメッセージを受け取ったと言うことになります。

言葉というのは、もっと穏やかに使えないものでしょうか?
表現というのは、常に刺激的でなければならないのでしょうか?
作家は、顔出しでグラビアを飾れないといけませんか?

私は飼っている猫を見て思うのです。
ただ、寝転がっている姿が、1番かわいいなと。そんな猫を見ているのが、私は1番幸せだなと。眠っているだけの猫に1番共感できるなと。

人生には何度か刺激が必要かもしれません。山場と言うものがあるでしょう。その人生の山場が何度も来る人もいるかもしれません。しかし、私は他人の人生の山場ばかりを見ていたくはないと思うのです。

ストーリーの中に、起承転結の転は段落ごとになくてもいいです。途中には淡々とした風景の描写が欲しいのです。

実際の出版社がそうのでしょうか?
家で、アマゾンのPrime Videoでテレビで見たせいでしょうか?
全体的に画面が暗いなと思いました。
主人公の大泉洋さんは、場面によっては生き生きと見して見えましたが、シャープな体型の人が多かったので、役者にも多様性があったらいいなと思いました。

「そろそろうちの雑誌で書きませんか?あなたの描きたいものを」

ラスト、大泉洋さん、演じる主人公は、作家にそう投げかけていました。

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