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我が家の庭の風景 part.85

庭にアゲハ蝶が飛んでいた。今年はモンシロ蝶も少ないが、アゲハ蝶も庭に少なかった。

異常気象のせいだろうか。アゲハ蝶が小型化したように見える。アゲハ蝶は春先から秋まで気ままに現れては、いつの間にか姿を消すを繰り返す。

子供の頃は、虫があまり好きではなかったので、アゲハ蝶の生態に興味はなかった。
しかし、もしかしたらアゲハ蝶が小さくなった事は、庭の状態と関係があるのかもしれないと思い、ネットで調べてみた。

すると、何の事は無い。
アゲハ蝶は春型と夏型がおり、季節によって小型なのだそうだ。越冬した春型が小さいようだが、秋はどうなのだろうか。ネットで調べても説明が難しくてよくわからず、早々に調べるのをやめてしまった。

小さい個体がもともといるのなら、異常気象のせいでも、我が家の土壌環境が悪化しているせいで小さくなったわけでは無いのだろう。

アゲハ蝶の色が薄くなったような気もしていたら、アゲハ蝶は性別や大きさによって黄色味が薄かったり濃かったりするらしい。

小さい個体は色が薄いようだ。詳しくないから、斜め読みした知識だけで断定はできないけれど。

そういえば、今年は黒いアゲハ蝶を見なかった。去年までは、真っ黒アゲハ蝶が我が物顔で、我が家の庭を占拠していた。
おそらく、あのアゲハ蝶の方が大きいような気がする。あるいは、黒い色が多い方が、存在感があるだけなのか。

今年は、カメムシに負けた。カメムシに食べられるようになったので、トマトの苗を抜いてしまった。挿し芽をしすぎて林のようになっていたので、古く木質化したものは、実が生るにしても寿命前にお退きいただくことにした。まだ花も咲いて実も生る。しかし、より虫がつきやすくなったというのは、それだけ弱ってきた証拠だろう。実がつくといっても、若い苗にはやはり負けている。

冬前まで収穫するには、挿し芽で増やしていけば良いそうだ。今年はその方針で行くことにした。

トマトを抜いた後、何の種をまこうかしばし考えた。バジルはそばに植えている。露出した地面は黒っぽく、どうしても何か他の植物で埋めたくなる。放っておけば、露草が生えてくる事はわかっている。露草は食べればいいという人もいるが、天然のサラダバーと思うには、我が家の庭は広すぎて露草があまりにも量が多すぎる。家庭菜園をしているのに、それほどの雑草を食べる胃の容量もなければ、胃腸もそれほど丈夫でない。

真っ黒い地面の存在感を消すには、やはり明るい花が良いだろう。我が家に買い置きしてある種はいっぺんにまかずに出番を待たせていた。

庭のスペースがどうのより、いっぺんにそれだけ世話をするのが大変なのが一番の理由だ。

父が好きに買ってきた種は折を見て隠している。食べ切れないほど、野菜の苗を植えられる前に、前庭は何かで埋めておきたい。
たくさん増えたトマトの苗は、元は父が買ってきたものだ。相変わらず放置しておけば、野菜は育つと思っている父である。

熟考する余裕もなく、トマトの苗を抜いたり、草取りしたり、ハーブを摘んだりで、汗が大量に吹き出して、庭にいるのが辛くなっていた。

なるべく育ちやすそうな花にしようと思い、草取りが不十分なまばらに露出した地面にニゲラの花の種をまいた。

いろんなカラーの花が咲くのは楽しいものだ。

春に種をまいて芽を出した千日紅は、秋になって、一株だけ白い花を咲かせた。

最初は、赤い株が変異して白くなったのかと思った。しかし、別の株で一本だけ生えてきた。赤とピンクだけだった千日紅とハーブの花壇にたった一株だけ白が混ざった。

あと、数ヶ月もしないうちに、花の季節は終わるが、ほんの少し新しい風が吹いたようだ。

種を採取できないだろうか。来年は赤とピンクから真っ白な千日紅の花壇に世代交代するのも面白いと思う。

ただ生きる事をしているだけでも、庭を見ると世代交代の必要性を考えてしまった。私の歳じゃまだそんな感慨はないだろうと思われるかもしれない。

しかし、若くても、中年でも、無為に生きることに何の意味があるだろうか。ひっそりと人生が終わっていければそれでいいと思っていた。しかし、世の中の環境を良くするためには、早めに去ることも必要なのかもしれない・・・。
こんなふうに厭世的になってはいけないことはわかっている。

しかし、世情を見れば世知辛く、自分が夏に遅くなって羽化した小型なアゲハ蝶のような気がしてしまう。弱い個体でも新しい風を吹かせることができるとは思い切れない。

結局、生きる力が弱いなら老体と変わらないだろうと思う。少なくとも、社会にとっては。

まだまだ暑い日に庭作業などするものではない。体が疲労すれば、心も疲弊する。

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