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東と西の薬草庭 ⑦-4

調子が悪いなと思っていても、全てが不調になるとは限らない。なんとなく体調がすっきりしないなと思っていても、日々が過ぎていき、仕事は順調だなと遥は実感していた。

朝ごはんも昼ごはんも夜ごはんも作りたくないなと思っても、食べるものがふんだんにある。カエルが焼いた5種のパン。食パン、バターロール、コッペパン、クロワッサン、ご丁寧にパイ生地まで常備冷凍してある。

果物は、4月から毎日のようにいただいて、今は桃がテーブルの上にいつも飾ってある。乾燥させたティーハーブと、桃の香りで、なんとなく自然と朝ごはんの準備をしてしまう。
今日はトーストに何を乗せようか?
クロワッサンに何を挟んだら良いだろうか?

久しぶりに紅茶やハーブティーではなく、朝からカフェオレを飲んだ。クロワッサンは焼いただけ。
それで十分な朝食になった。満足だ。もう何もしたくないと遥は朝から思う。
しかし、自然と足が庭に向かう。朝食前も草取りをしたが、この時期の草取りに終わりは無い。

6月は祝日もなく、梅雨に入ってレンタルガーデンは閑散期と言えるだろう。しかしながら、閑散期にしては、午前中に草取りをする人がそれなりにいる。

赤石みどりと野沢湧水の姿もあった。2人は従業員なので、午前中庭に姿があって、不思議ではない。

「峠道の貸庭」は、束の間の休息地だ。ずっと借りっぱなしだとしても、借りている人はずっとここに住んでいるわけではない。
それでも、植物は育っていく。
小雨が降っていたが、はるかお気に入りのキャンピング用品で有名なブランドの雨合羽を着て、霞の庭の前にしゃがみこんだ。
6月は雨が多いが、野菜は収穫時期のものが多くなる。
野菜を多く植えた霧山霞の庭は、群れ咲くカモマイルの中にトマトが実り、ニラが草丈を伸ばしていた。

貸庭は客に完全に任せて、手を入れないのも1つの案だった。しかし、せっかく育った野菜もあるので、やはり従業員がある程度手入れをするという話で落ち着いた。そのためにパートの人を雇っていたが、日中の作業だと、熱中症の危険もある。早朝動ける専業の従業員が必要性を感じていたところ、みどり働きたいと申し出てくれた。
貸庭のレンタル料を数カ月分払っていたので、どうしたものかと思ったが、ガーデンのレンタル料はそのままでみどりは転居先を探すと言ってくれた。

「他の庭の手入れだけじゃなくて、レストランの方も手伝ってもらえないかな。オープニングスタッフが欲しいと思っていたんだ。ハルさんも手伝ってくれるけど、他の仕事もあるしね」

カエルがそんな提案をして、赤石みどりは貸庭の仲間に加わった。
今は、その前の研修期間。移住にあたって、ログハウスから退去して賃貸マンションに住む予定だ。

「庭は峠道で十分よ。住むのは母のかかりつけの病院の近くなの。自分への退職祝いと思ってレンタルガーデンを借りたけど、移住と転職を果たせるなんて思ってもいなかったわ」

働くと決まってからみどりの行動が早かった。果実町来てすぐに移住したいと言っていたから、そのための目星はつけていたのだろう。プレオープンの段階から、「峠道の貸庭」のログハウスを借りていたのも、移住の気持ちが強かったからだ。
客としていた頃より、最近の方が表情が晴れ晴れとしている。遥にくっついていた以前と比べて、働くと決まってから、素直に他の客と交流しているようだった。
勉強家で話題が豊富なので、みどりが盛んに周りと交流するようになると、雨季の貸庭は人が大勢いた頃よりも、風通しが良く明るくなったようだ。

みどりからのランチの誘いも毎日ではなくなって、遥にとってもみどりとの距離感が丁度良くなった。

慌ただしかった4月5月からやっと落ち着きを取り戻した。それでも、遥やカエルが以前にも増して疲れているのが野人には伝わったようだ。

「今の忙しさがずっと続くわけじゃなかけんね。体も慣れてくるやろうし、自分のペースがわかったとは、まだまだ先。ゆっくりゆっくりやるくらいでちょうどよか。生き急ぐな、若者よ」

野人は冗談めかして2人を励ました。

「峠道の貸庭」のレストランの建物は完成間近だ。昼食がてら、試食に呼び出され、遥とカエルと野人の三人で富居家の別荘の広い食卓を囲んでいた。富居家はしばらくぶりの海外事業とかで、最近みんな出払っている。果実町で経営している旅館の方にだけ香が出ずっぱりで、忙しくしているようだった。
フルーツフレーバーティーと貸庭とその他地域興し事業と飲料メーカー「山鳥」の果実町での貢献には、地元民も足を向けて寝られない。しかし、企業に経営されている町と揶揄する声もあるから、複雑だ。
「峠道の貸庭」が果実町の地域おこし事業となるかはまだ未知数だ。しかし、周囲の期待と嫉妬が入り混じり、うまくいかわからない思いつきだと説明しても温かい目では見られていない。うまくいったらめでたいが、数年で借り手がいなくなってしまえば、無駄な期待を抱かされたと落胆されることだろう。

「ガーデニングは春と秋が旬やろうね。夏の楽しみもあるばってん。真夏は小休止。手をかけすぎても植物は弱るけんね。この庭作業がずっと一年中続くわけじゃなかとよ。人間の身体がついてこん時は植物も同じよ。見た目はいろいろやけどね。室内装飾は良かことよ。真夏と真冬は張り切っとるもんには、することなくて味気無かろうけんね。お望みなら、研修会でも開こうか?」

「研修会か。最近料理の事ばっかりだから、改めてじいちゃんにガーデニングについて学びたい気もするな」

カエルが同意して遥を見たが、遥は研修となると、新しい従業員も含めての勉強会になると気づいて、すぐに頷けなかった。最近、遥は大人数で拘束されるということが苦痛に感じるようになった。実際に集まってみると、楽しいのだが、実施する前に他の人はどう思っているんだろうと考えると怖くなってしまう。

真夏は熱中症の危険があるので、外でのイベントは行わない予定だった。ただ、それが正しいことなのか、子供たちが夏休みになる時期に庭を借りたいと言う申し出もあって、遥たちは悩んでいたが、野人は8月の1ヵ月間の貸し出しには反対した。ログハウスに泊まるだけなら、数日で十分だ。バーベキューしたり、川下りしたり、虫取りをしたり、一般的な自然との遊びを楽しんで帰れば良いだろう。しかし、1ヵ月となると退屈する。8月では、ガーデニングの醍醐味を楽しめないと野人は言った。

「まぁ、ガーデニングに慣れた人なら、その辺はわかって、庭を借りるだろうし、もともと数ヶ月以上からの契約だったからね。何も知らない人が、たった1ヵ月、田舎暮らしも退屈だよ。特に子供はこの辺は信号もないんだから、危ないよ。既に耕作した場所は借り手で埋まっている。1ヵ月のために手間をかけて、土地を開拓する必要は無いかもね。紫陽花はともかく、山奥にひまわりは似合わないかな」

ここは合宿や研修所ではない。独身者が集まって発起人になったせいか、もともとファミリー層にサービスしようという方針でもなかったので、要望はあるものの、誰も夏休み企画に乗り気ではなかった。それにほっとしつつ、遥は前とは打って変わったカエルの試作料理堪能した。

「鮎料理はやめたんだね」

遥が思ったままを口にすると、カエルは穏やかな表情でうなずいた。

「よく考えたら、開業するのは秋口だから、鮎のシーズンは終わりかけだ。じいちゃんの鮎の塩焼きや売ってある甘露煮やうるか以上の料理を作れる気もしないから、身の丈に合わない事はやめたんだ。代わりにお客様任せのハーブランチにしようと思う」

体裁にこだわるカエルには珍しく、手書きのメモ見せてくれた、メニュー表は以下のようなものだった。

お好きなハーブのガーリックトースト
お好きなピクルスのピザ
お好きな薬草のミルクリゾット
お好きなドレッシングの香草サラダ
お好きなハーブティー
お好きな野菜を1つ加えたスムージー
お好きなお肉のソテー
お好きなプリン(たまご、ミルク、コーヒープリン)

※上記からお好きなものをお選びください。ハーブはお客様のお庭にあるハーブをお持ちいただくか、隣の温室からお好きなハーブを摘み取ってお持ち下さい。
乾燥させたハーブをお持ちの場合、給湯器のお湯をご利用ください。

「すごくシンプルなんだね。お客様の好きにしていいっていうのも面白い。ランチというかモーニングにもいいかも」

セットメニューではなく、単品前提で量が調節できるというのが良い。量がいっぱいのご馳走より、腹八分目の方が庭作業にも精を出せて、爽やかに過ごせる。このメニューなら、自分で作らずに遥も朝食や昼食にレストランを利用したいと思った。

「そうなんだ。観光地のモーニングって、朝早くても9時からだったりするんだよね。提供が、午後の3時までだったり、ランチと一緒だよ。俺も庭作業したいし、そんなに早朝から店を開けたくないけど、朝食に利用したいっていう人もいるだろうと思う。じいちゃんの言う通り、せっかくここのハーブや野菜があるんだから、その力を借りて、欲張らずに欲張ってやりたいなぁって思うんだ」

カエルの表情にはまだ疲れや迷いが見えたが、以前よりは明るかった。迷いはあるが、方針はこれでいこうと決めてしまったようだ。遥も異論はなかった。

「リゾットもよかけど、雑炊もよかね。春は七草粥やけんね。それも考えとってくれんね」

「七草粥はイベントにいいかもしれませんね。そうか、レストランは結構広いし、冬に無理に外でイベントする必要もなくなるんだね。雨天中止もしなくていい。私、田舎育ちだけど、囲炉裏は見たことあるけど暖炉は使ったことがないから、不安だけど、楽しみなんだよね」

優しい味のリゾットを食べていると気持ちも穏やかになるようだ。遥は小雨の降る窓外に目をやった。

「そうそう、そうなんだよ。パンも自分で作りたいとかパスタを作りたいとか欲張って考えてたけど、そういうのってイベントですればいいなって、1人で毎日全部やるなんて無理だよね。ヤマさんにもそう言われた。それで、ピクルスは霧山酒造から仕入れようと考えてる。本当は漬物でもいいかなって、例えば高菜漬けとかピザに合うと思うけど、そっちが農協の方で用意したいっていう話があるらしいんだ」

カエルもう言葉が尻すぼみになった。農協という言葉に2人は少し神経質になっている。2人とも農協とうまく付き合えていないせいだ。連絡の取りやすい親しい人もおらず、むしろ連絡をとることが億劫に感じていた。

「漬物か。来年はこういう野菜の時期にいいかもね。私は漬物は作ったことないから、ヤマさんに相談するのがいいと思う」

レンタルガーデン事業をうまくいかせたいが、まだ、この事業に好意的でない人たちにも理解してもらえるように、穏やかに物事を進めていきたいというのは、ただの遥たち自己満足な考えに過ぎないかもしれない。新しい事を始める時は多少衝突があってしかるべきなのだ。
しかし、ハーブティーは焼酎事業のじゃまをしないということをカエルも遥も地元の人たちにわかっていて欲しいと思っていた。元からある地元の産業をダメにしてまでやりたいという気概さえ遥たちにはないのである。なんとなく始まってしまった事業でしかない。

霞の実家の霧山酒造はこのレンタルガーデン事業が持ち上がってから、ガーデニング用に除虫剤などを開発中で酢の仕入れがいっぱいあった。ハーブと酒は相性が悪くないので、霞はその新商品の開発が楽しくなってきたようだ。実家の仕事の方で、時間を取られるようになり、「峠道の貸庭」で庭作業する事は少なくなったが、週に一回の会議という名の集まりには顔を出してくれている。連絡もマメで、外との交渉役を買って出てくれるので助かっていた。イベントの講師役は、ほとんど霞が見つけてくれた。

おいしそうにリゾットを口に運ぶ遥を見ながら、まだ遥に言えない計画のことを考えていた。レストランがオープンする頃のメニューには加えられないががオープンする頃のメニューには加えられないが、ハーブや野菜や果物を使った酒を作りたいのだ。フィッシュのカクテルのような、カエルは酒に詳しくなかったけれど、そういうことに興味がある。バーテンダーのような人を将来雇いたいと思っていた。

焼酎はハーブを受け入れる。ハーブの酒は優しい甘い香りがする。お菓子にぴったりだ。
薬草酒の大人のケーキ。
悪くない。
ゼリーもいいけどコンフュージョン。
チョコムースにしてケーキに添えたらどうだろうかと思いついたら、作らずにおれなかった。しかし、自分で作った焼酎のケーキはまずかった。さすがに全く美味しくないものは、他人に出せないので、遥や野人に試食してもらうわけにはいかなかった。
遥たちは、カエルがいつもおいしいセンスのある料理を作ると課題評価してくれているので、その期待を裏切りたくない。しかし、割と、思いつきの人間なので、カエルは東京で一人暮らししていた時は、割と美味しくないものを作っていた。

果実町に来てから、カエルの料理は美味しくなった。特にパンがおいしい。一人暮らしを始めてからは、毎日のようにパン屋通いをしていた。自分で作ることもあったけれど、それほどおいしいと思ったことがなかった。しかし今は逆だ。買わなくてもいいと思ってしまう。
本当は新しく立ち上げるレストランで、どうしても自分で焼いたパンを出したかった。しかし、パン屋をするわけじゃないのだから、パンにそこまでこだわる理由も見つからなかった。イベントで出せばいいと気づいたときにはほっとした。元辛そうだったが、最近やりたいことがあれもこれもと多すぎて困っている。全部いっぺんにやるのは無理だとはわかっていても、カエルは、ついあれこれと手を出さずにはいられなかった。しかし、体調を崩すことも多くて、付き合わされている遥にも負担をかけているのではないかと遥かまで体調崩してようやく気づいたのだ。

「レストランの建物の完成がちょっと遅れることになったのはよかったかもしれないね。真夏がガーデンシーズンじゃないっていうことを思いついてなかったし、秋庭でキレイに彩られた頃に料理を食べてもらえば、さらに美味しく感じられるんじゃないかな。もっと腰を据えて、ゆっくりやるのが俺には合ってるんじゃないかな」

「ゆっくりやりたいと言うなら、長期休暇に賛成してほしいけどね。私は雨の日にこうしておいしい料理で癒されるのも悪くないと思う。もちろん、雨が激しい日には、ここまだお客さんも来られないかもしれないけど」

遥はまた窓外に目線を移した。雨がだんだんと激しくなっている。今日はもう庭作業は無理である。真夏や冬の室内装飾について、野人に研修会を開いてもらおうかと考えていた。だが、雨の日に室内で観葉植物を眺めたり編み物をしたりすることだけが、休む方法ではないだろう。自分たちはたまには、いや年に一回くらいこの町の外に出ることが必要なのではないか。
遥はお盆休暇で、2週間の休暇をカエルと交代で取ることを提案したのだが、レストランのオープンまではそんな長期の休暇は取れないとカエルに断られた。
たまには、両親に顔を見せなくていいのかと聞くと、他に兄弟もいるから、自分の暗い顔を出さなくても平気だと突っぱねられた。
会いたければ、向こうからこちらに来るだろうと。

カエルはこの町で出会った頃、野人と九州を旅して回りたいと言っていた。それを遥は覚えていて提案したつもりだったが、カエルの思った以上のかたくなな態度に、「おじいさんを旅行に連れて行く計画じゃなかったの?」とは言えなくなってしまった。

本当は、世界一周にでも出たいが、野人が船旅は昔さんざんして飽き飽きだと拒否したと残念がっていたのに。

遥はこの山の引きこもりだと思われている。それを湧水に指摘されてから、この山は何日降りてないか日数を数えるようになった。もう20日も買い物にすら出かけていない。
カエルは食材の買い出しに3日と空けず山を降りるようだが、それだけではないだろうか。平日はずっと野人とこの山のロッジに泊まり込んでいる。
自分だけならいい。しかし、カエルまで、この山の引きこもりになると思うと、遥は不安な気持ちが消せなかった。


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