見出し画像

フルーツフレーバーティーを贈ります⑧

*早春のイチゴ*

40歳を数年後に控えて、遥は趣味を増やした。地元に帰り庭仕事をはじめたのは数年前。自炊が増え、手芸もいろいろ手を出している。

連休の今日も手芸の合間に料理に庭作業にといろいろやっているが、どれも思ったほどうまくいかず、疲れて作業を中断してはしばしば猫を膝に抱えてぼうっとYouTube動画を見ながらお茶を飲んでいた。そのYouTube動画も園芸や手芸や料理の動画で何となく気疲れして、午後にはペット動画に変えてしまった。

遥の日常に取り立てて変わった事などない。
「最近何してるの?」と久しぶりに会う人に聞かれても答えられない。貸庭に来る人ごとに暮らしぶりを聞かれるが、山の下にある実家と山の少し中まで入った今の生活に違いなどほぼ実感出来なかった。車の運転が苦手なので、移動がより不便になったくらいだろうか。

例えば仕事にしたって、遥は自分の本業が分からない。最初は山の別荘の個人宅の管理人だった。今は貸庭の管理人と言って差し支えないのだろうか。自分一人でしているわけでもないから、なんとなく自称という気もしてしまう。
冬の貸庭事業は案内も新規受付もやっていない。ロッジを一定期間借りている人は貸庭の手入れに来て過ごすことができるが、庭の整地作業は11月までの定額料金内という事になっていて、あえて雪のない九州の南の冬山に庭作業に来ようという客は稀だった。

今遥の頭を一番悩ませているのは、春に出るフルーツフレーバーティーの新作についての事だった。紫蘇と柚子というシンプルな組み合わせで、柚子エキスを入れると紫色のお茶の色が明るくなる。かねてより知られるブルーマロウよりは明けきらない、太陽が上りきらないような夜明け前か黎明の時間帯の空の色だ。

最終の味の調整は、山鳥の開発部でやってくれるはずだ。しかし、塩は先に紫蘇茶の段階で混ぜておくべきではないかという事で意見が割れている。柚子に砂糖を塗したお菓子状で加えたら良いというのだ。
遥個人は甘い紅茶も好きだ。しかし、砂糖を塗した柚子では健康的なイメージが多少崩れるような気もする。何より砂糖がなくても美味しく飲めるのだから。柚子塩フレーバーと柚子砂糖を二つも包装を分けて付けたら割高になるのではないか。
紫蘇と柚子は原価もそれほどかからないのではないかと思いついた発想だった。
だから、本当は遥の意見は最初から固まっている。妥協点はそこしかない。しかし、早めに答えを出しても返答がない。
さらに味が固まらないのに名称を決めてくれと言われている。

・夜明け前
・暁
・東雲
・曙
・黎明

無難なところで空の名称しか思いつかない。英訳するとしっくり来ず、カタカナの名前も出てこなかった。
しかし、カエルたち貸庭のメンバーに相談したところ、「焼酎の名前みたいだね」と言われてしまった。その時は気分を害したけれど、実際そんな名前のお酒はありそうだ。

もういっそ虫の名前はどうだろうかと考えていたら、知らずと猫の絵を描いてステッチをはじめていた。貸庭では保護猫活動をしており、ソファで遥の隣にくっついている二匹の子猫がアブとハチ、膝の上にいるのが母猫のチョウで一匹木製の椅子に陣取っているのが、父猫のカエルだった。休みに猫部屋に行くのも面倒くさい。朝ごはんをあげるついでに四匹連れて来たが、また一匹ずつ抱えて連れて行くのは億劫だった。

いつの間にか日が暮れて遥はそのまま猫たちを家に泊まらせて、四匹と同じ部屋で眠り、ちょうど柚子と紫蘇を混ぜたような夜明けの時間に目が覚めた。
猫たちに朝ごはんを催促されたからだ。

猫がごはんに夢中になっている間に庭に出た。
霧がなく、昼間には小雨が降る予報だ。
霧深い日は昼間はよく晴れることが多い。
朝が綺麗だと何だか不穏だ。

遥は庭を眺めて回りながらところどころ草むしりをした。草むしりをすると、春の芽吹きがよく分かる。
まだ2月なのにつくしを見つけて、朝ごはんに調理しようとあるだけ摘み取った。
さらに嬉しいことに今年はじめてのいちごの実を見つけた。深鉢のプランターはよほど居心地が良かったのか。冬の寒さが柔らかいで早々に実をつけて赤くなったいちごがいっそう愛しかった。

そして、その一つだけ赤くなったいちごを大事に摘み取り、朝ごはんの用意しながら、唐突に朝のお茶にこだわらなくていいことに気づいた。柑橘が入るのだから、疲れた時にも飲んでほしい。朝の活力が夜にも持続するような1日が穏やかに終わるお茶であってほしかった。
難しく考えず、シンプルなお茶の名前にしようと思った。
フルーツフレーバーティーはただでさえ、産地の果実町からとって果実茶と書いてふりがなでフルーツフレーバーティーと読ませるめんどくさい手法をパッケージにとっている。それがいかに目立たないようにパッケージをデザインするか毎回頭を悩ませていると漫画家でパッケージデザインを担当している湧水が言っていた。

「あなたの1日のためのお茶。"果実茶フルーツフレーバーティー柚子紫蘇味"これでいい」

ずっと考え込んでいたせいか、知らずと結論を口に出していた。
ぼうっとして箸を止めた遥の隙をついて、猫たちが机の上に乗って朝ごはんに手を出そうとしてきたので、遥は慌ててプレートを持ち上げて猫たちを追い払って別部屋に移動させた。

そして、朝ごはんの後にもお茶を飲んだ。
もちろん遥のためのフルーツフレーバーティー。まだ世に出ていない新作の柚子紫蘇味のお茶である。

穏やかな朝を一日にして生きよう。


よろしければサポートお願いします。いただいたものはクリエーター活動の費用にさせていただきます。