芸人目指す前、漫画描いてた時の話

沖谷えんぴつと申します。

気まぐれで本日からnoteというものをはじめてみました。


ここ最近、昨日何を食べたのか、もはや、食べたのか食べてないのかそんなことも思い出せないほど、いやそれくらいは覚えてるけど、とにかく記憶力が低下してしまったので、日記代わりにはじめてみた次第です。


拙い文章ですがよろしくお願いちんちん。


とりあえず1回目ということで、みんな毛ほども興味はないことは自覚してるうえで、僕自身のことについて書いてみようと思う。
書いてみようと思うって、なんかむかつく書き出しだな。勝手に書いてろ。


僕は現在、吉本興業という事務所に所属していて、芸歴たるものが2年目になるらしい、なんかみんなが言うにはそうらしい。

NSCというお笑い養成所に入ったのが24歳で、大体みんな大学を卒業してから入ってくるらしいのでやや遅め。


養成所に入る前はずっと漫画を描いてた。
今回はその頃の話をしてみる。
してみるってなんだ。むかつくな。勝手にしてみろ。

元々僕は漫画家を目指してました。
子供の頃から絵を描くのが好きで、勉強もスポーツもたいしてできないけど人より唯一上手くできたのが絵を描くこと


漫画を描き始めたのは高校生の頃で、大学は芸大に進学し大学一年生のとき、投稿した漫画で新人賞をいただいた。

僕の通っていた大学は芸大ということもあり、漫画家を目指している人は少なくなく、一番に結果を出した僕はそれから以後、全員を見下すようになりました。



ちなみにどういった漫画で受賞したかというと、
女子高生が朝起きたらマイクタイソンになっていたという話。いわゆるギャグ漫画で、そんな低俗な漫画で受賞したにも関わらず僕はすっかりいい気になって、周囲に漫画に対する独自の理論なども語ったりしていた。


それから何度か一話完結の読切を掲載していただいてたりして、次は連載するための漫画を描かなければならなかったのだがこれが難しかった。



いろんなパターンで何度も企画会議に提出したけどどれも不採用。
そもそもバカなので企画の意味がわからなかった。
企画という文字を辞書で引いてみたりもした。


【企画】 
あることをするため、計画を立てること。もくろみ


それくらいわかってるわ!!舐めんじゃねえ!!
こっちが下手にでてりゃいいきになりやがって。


とにかく連載会議には一度も通らなかった。


そもそも僕は一話完結の物語を作るのが好きだった。

連載をするには毎回同じキャラ、設定で最後まで物語を進めなければならない。
毎回一話完結の形式で連載をしている漫画はないこともないのだが、それではキャラの魅力が伝わりにくく、人気が出ずらいということもあり企画を通すのは難しい。

そういったことに悩んでる時頭によぎったのがお笑いのネタだった。

そういえば漫才やコントは毎回違った設定やキャラでひとつの物語を作っている。お笑いだったら自分の得意なスタイルでやり続けれるかもしれない。

その翌年、僕はお笑い養成所の入ることになった。

これが漫画家からお笑い芸人を目指すことになった経緯。

みてわかる通り、途中でめんどくさくなって強引に終了。


ダラダラ自分語りをしてすみませんでした。
最後までめげずに読んで下さった方、ありがとうございます。

また気が向いたら更新していこうと思います。

それではさいなら〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?