顔色を気にするぼくが、気がついたこと。

先日、ぼく自身がメンバーを集め、ある施策の会議をしていた。
ぼくは、「ここなんですけど、どう思いますか?」と、たびたび参加メンバーに意見を聞きながら、探り探り進めていた。

しばらく黙って議論を聞いていた先輩が口を開いた。
「君は人の顔色を伺いすぎだ」

その言葉に、ぼくは思わず口角を上げた。おもしろいわけではないが、そうでもしないと、胸の鼓動を紛らわすことができない。顔が熱くなった。図星だった。

先輩はこう続けた。
「まずは、『わたしはこう思う』とぶつけることが大事だ。
ランチで、みんながカレーを食べたいと言っている中で、ラーメンを食べたいと言えるかどうか。自分の意見を持ち、相手に主張すること。そういったことが主体性やリーダーシップにつながるんだよ」

先輩の言葉で、自然と無意識の行為とそのときの感情に向き合うことになった。

自分の意見への自信がなかった。
一方で、批判されることへの恐怖と、なにか自分を守りたい気持ちがあった。
そして、ひとりの責任から逃れたいという思いがあった。

いや、もう少し言えば、自信がないというよりも、自分のアイデアが形になったとき、それが失敗して、恥ずかしくて苦しい思いになりたくなかったんだ。小さなアイデアでも、それが誰も惹きつけられないものだと知るのが、怖かったんだ。
だから、人の意見を、人の顔色を伺い、みんなのものにしたかったんだ。

「いいものをつくろう」という意識から、「わたしは苦しい思いをしたくない」にとらわれていた。
自分の能力のなさが明らかになることが怖かったんだ。


「ぼくはどうしたいんだ?」という問いが生まれてきた。
ぼくは、いいものをつくりたい。施策を成功させたい。

それなら、次にすることは、自分の能力がどうとか気にすることか?
ちがう!勇気を持って、わたしはこう思うって意見を言うことだ!


その会議のあと、心が軽くなった。また一歩、進めそうだ。

#日記 #感情をみつける

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