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最後の人生で何がしたい?

定年退職後は第二の人生とか黄金の人生などと表現されることもある。
どんな言い方をしようが、定年退職後が最後の人生なのに変わりはない。
その最後の人生を黄金のような人生にしたいと思うのは誰も共通した認識なのだろう。
特に私のようにこれまでずっとサラリーマンとして生きてきたなら、最後くらいは自由にやりたいことをやって生きてみたいと思うだろう。
しかし実際には、何をやれば最後の人生に相応しい生き方ができるのかも分からない。


時間も忘れるほど没頭できるものは?

一般的には多くの人が惰性で定年退職後の人生を送っているように見えるが、実はそうではなくそれなりに考えた上でその後の人生の道を歩いているようだ。

しかしそれで誰もが充実した人生になっているかというとそうでもなさそうだ。

サラリーマンだった者は、やはり再就職をしてでも働き続ける方が妥当なのだろうかと思えるほど多くの人が働いている。
もちろん多くは生活のためなのだろうが、そんな人ばかりではない。

その中には年金と退職金などの貯蓄で充分過ぎるほどの余裕がある人も多い。
そのような知人に伺ったことがある。
「生活には困らないのになぜ仕事をしているのか」と聞くと知人は「暇だから」と答えた。

結局は最後の人生だと思っていてもやることが見つからないんだと思った。

偉そうなことを言ってみてもそれに関しては私も同じだ。
趣味はたくさん持っていたとしても、それを一日中没頭できるかと言えばそんなものはひとつもない。

1. 理想と現実

定年退職前に数名の同僚に聞いたことがある。
「定年退職後にやりたいことはある?」

その回答は人によってさまざまで「まだ考えてない」や「お金さえあれば好きなバイクを買って日本一周してみたい」「人生一度でいいから長期クルーズ旅をやってみたい」などだ。

定年退職後の人生が半年ほどと決まっているならそれでもいいが、それをやり遂げた後のことには現実味があり過ぎて考えないようにしているとしか思えなかった。

実は私にも第二の人生の夢があった。
アジアを歩くことだ。

しかしそれがどれだけ貧乏な旅だとしても日常にするにはお金も必要だ。
実際に定年退職後にアジアを歩いてもみたが、お金が続くはずもなかったことはやる前から分かっていたことだ。

私の周りの人のように、高価な機械は買わずに細々と実益も兼ねた農業をする方がどれだけ現実的かは言うまでもない。

つまり本当にやりたいことにはお金もかかり現実的ではなく、お金を稼ぐ現実的な手段は、定年退職前と同じように妥協して働く以外に思いつかないということだ。

なぜそうなったのか反省すると、定年退職後の人生設計を早くから具体的にできていなかったとしか言いようがない。

長年サラリーマンをやったお蔭で、曲がりなりにも厚生年金を受給する権利はある。

現に定年退職後に生活を大きく見直しさえすれば、年金だけでも生き延びることはできそうだ。
そうかといって年金を生活基盤以外に当てるほどの余裕はないので、道楽のようなことにかけるお金はないということだ。

理想はやりたいことを仕事にすることだ。
ただそれが簡単でないことは言うまでもない。

私の場合は理想的な最後の人生を送ろうと思うなら贅沢を犠牲にするしかなさそうだ。
いや、贅沢を犠牲にしたからといって理想的な人生になる保証はどこにもない。

2. 理想の人生は簡単に手に入らない

やりたいことはいろいろあっても、定年退職後の人生で日課にできるほどのやることを見つけるのは簡単ではない。
短期で終わるようなことではなく、自分が想像できる健康寿命まで長期的に継続できることだ。

それには現実と理想を相互に考える必要がある。
趣味はたくさんあってもそう考えると限られた答えしか見つからなくなる。

子供の頃から絵を描くのが好きだったから定年退職後の人生は絵を書いて暮らそうと考えたとしても、画家のように来る日も来る日も絵をかいて過ごすことは並大抵ではない。

ましてや、その絵が少しでも売れて年金の足しにならないかというようなことは期待するだけ無駄というものだ。

人生を画家として過ごした人ならいざ知らず、長年サラリーマンだった者が定年退職後に画家になるのは至難としか言いようがない。

旅、楽器演奏、読書、DIYなどの趣味はあくまで趣味であってそれを日常にするにはよほどの根性が必要だ。
そしてもしそれが出来るなら、最後の人生にとってそれほど幸せなこともないだろう。

私も車中泊旅を日常的にやりながら2年以上YouTube発信をしたが続かなかった。
続かなかった一番の理由は途中で楽しくなくなったからだ。

最後の人生で悔いのないような生き方をする条件は楽しいと思えることを継続することだと考えていたが、そんなに単純なことでもなかったようだ。
どれだけ楽しいと思えることでも、楽しいまま継続することじたい簡単ではなかった。

4. 諦めずに探したい最後の人生

もともと多趣味な私が定年退職後にやってみたかったことを優先順に並べると、アジアを歩く旅、楽器演奏、ブログなどでネット発信、YouTube、DIY、小節を書くこと、ゴルフ、読書となった。

これだけでも欲張りすぎだ。

そして定年退職後に実際にやったのがアジアを歩くこと、ブログ、YouTube、ゴルフだったが生活基盤を年金だけに頼っていて継続できなかったのは言うまでもない。

ゴルフは優先順位と予算的理由から諦め、アジアを歩く旅もコロナと予算的理由から途中で諦めた。

そのかわりに始めたのが車中泊旅だった。
それをYouTubeで発信するだけで他のことをやる余裕は無くなった。

それを続けるのが楽しくなくなった理由を考えてみると、YouTubeにかける時間が多すぎて旅を楽しみたいのか、それともYouTubeをやるために旅をしているのか分からなくなったからだ。

何かをNETで発信するということは少しでも多くの方に見てほしいからであったり共感してほしいからだ。
このようなメンタル的要因から最初は楽しかったはずの車中泊旅やYouTube発信が変わっていった。

そのようにメンタル的なことも含め、やる前からリサーチができていれば、楽しさを失わずに継続できたのではないかと思うことがある。

5. 健康寿命が尽きるまで継続できること!

これまで長い時間、家族への責任や社会的な責任を背負って生きてきたのがサラリーマンだ。
だから定年退職後は、ゆっくりのんびり深く考えずに自由な時間を楽しめばいいじゃないかと言う人もいる。

しかし、せっかく自由になれたのだからサラリーマンではできなかったやりたいことを精一杯やってみたかった。

そしてそれが定年退職で失った生き甲斐を取り戻す方法でもあった。
これまでのように生活のために仕方なくではなく、何かに時間も忘れて没頭してみたかったのだ。

昔は隠居という言葉があった。
それは煩雑な社会生活から身を引いて、川で釣りをしたり薪を割って山の中で暮らすようなイメージだ。
確かにそんな生活にも憧れるが中途半端な田舎ではそれもできそうにない。

家の中で何もせず何の目標も生き甲斐もなく生きることほどしんどいこともないだろう。
大金を稼ごうとは思わないが、何かに没頭して過ごす日々が理想というだけだ。

最近は時間も忘れるほど没頭できるものをまだ懲りずに探している。
今度は健康寿命が尽きるまで継続できることが条件だ。

ひょっとしたら今書いているNoteにヒントがあるのかも知れない。

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