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ソファーは男の夢だった?

私がどれだけ典型的な昭和人間だとしてもソファーには憧れた。
私がソファーに憧れたのは40代の頃だったと記憶している。
今日はソファーについて思いつくことを拾い出した。


日本家屋とソファーのはなし

我が家でソファーに憧れたのは私だけだ。
妻が憧れた訳ではない。
ソファーは男の憧れが凝縮されたラグジュアリーな家具だ。

ソファーに憧れた理由

仕事から帰ったら取りあえずラフな服に着替えテレビでも見たいものだ。
そんな時にソファーに座りたい。

いや、座るというよりこれ以上ないほどだらしない格好でソファーに包まれたい。
手の届くところにはリモコンがある。

洋画を見る時にもソファーは最高だ。
2時間近く同じ体勢で過ごすのは苦痛を伴う。
特に我が家のようにリビングが和室の場合は尚のことだ。

リビングと言うよりは居間だ。

私は体が硬いのであぐらをかくこともままならない。
そんな時は正座をして洋画を見ることになるが、2時間も正座をしたら立てなくなってしまう。

ソファーなら体勢を自由に変えることができそうだ。
つまりリラックスした体勢で洋画を見ることができるのだ。

ソファーはいらないという妻の意見

私がソファーがほしいと言い続けている頃、妻は絶対ソファーは置かないと反対し続けた。

その理由は一つや二つではなかった。

先ずは邪魔になるということだ。
ソファーがなければ部屋の中を自由に歩けるのに、ソファーがあるだけで動線が悪くなるということだ。

それにソファーがあれば掃除がしにくいことだ。

ソファーが動線を遮ることも掃除がしにくいことも分からなくはない。

そして妻がソファーがいらないという最大の理由は私だ。
どうせ休みの日にはソファーに寝転んだまま、うたたねしながらだらだらとテレビを付けたまま過ごすことが目に見えると言うのだ。

自分がキッチンで洗い物などをしている時に、そんな旦那が見えるところにいるということが許せないのだ。

同じ理由で我が家にはコタツがない。
冬になれば、暖かいコタツに入ってミカンでも食べながらテレビを見たいと誰もが考えるはずだ。

しかし妻は私のコタツ生活を先読みしているのだ。
どうせコタツに潜り込んでいつまでも気持ちよさそうにうたたねをするのだろう。

自分が家事に追われている時に、そんなだらしない夫が目に入ることが許せないと言うのだ。

私にはその意見を覆すだけの正当な理由は持ち合わせていなかった。

日本家屋にソファーがそぐわない理由

私はサラリーマン時代リフォームの仕事をしていた。
多くのお客様からご要望を聞いて、それを叶えてあげようと努力をした。

そんな要望の中で最も難しいと感じたのがソファーだ。

リフォーム後に、ワンフロアになったリビングにソファーを置きたいという要望だ。
もちろんその多くは奥様ではなくご主人の要望だ。

ソファーは男の憧れなのでイメージが膨らんでいる場合が多かった。

既にどのようなソファーを置くのか決めている人も少なくなかった。
家族で家具量販店に行った時、目ぼしいソファーを見つけている人もいた。

その多くが想像以上に大きなソファーだった。
そのソファーをリフォーム完成後の平面図に落とし込むと、どこかに弊害が生まれるのだ。

私の営業エリアは田舎なので、都市部に見られるような狭いという家は少ない。
それでもよくあるLDKの拡張可能面積は2間4間だ。

つまり8帖間が2つだ。

この面積が一般的な家族のLDKとして狭い訳ではない。

しかしソファーを置く場合は広くない。
妻が言うように動線を塞ぐことになる場合も稀ではないし、それを回避すれば今度はテレビを置く位置が難しくなったりする。

ソファーを置かなければ何も問題がないリビングも、ソファーを置くというだけでプランニングを難しくした。

2間という間口にソファーを置くこと自体に無理があった。
「申し訳ありませんがもう少し小さいソファーにして下さい」と言いたいところだが、それでは男の夢を壊すことになるのは私が一番分かっていることだ。

田舎の住宅なので2間ではなく2間半のプランも可能な家が多かった。
しかしそんな家庭に限って、奥様の要望は大きな収納がほしいと言うものだった。

「収納を取るかソファーを取るかどちらかにして下さい」と言えば家族の平和を壊す事にもなりかねない。

結局はどちらにも少しずつ妥協し合って頂き、何とか要望を取り入れたプランを書いた。

そもそも一般的な家具量販店の広いフロアに展示してあるソファーを、日本の狭い家屋に置くこと自体に無理があると思ったものだ。

妥協して買ったソファー

私は和室の居間にソファーを置くことを諦めた振りをした。
自分の部屋に置くためと理由を付けて小さめのソファーを買ったのだ。

自分の部屋に置くならと、妻もソファー購入に文句は言わなかった。

卑劣な手段を使っても男の夢を諦めたくはなかった。
買ってしまえば私の勝利だ。

ほとぼりが覚めた頃を見計らい、妻がいない間にソファーを居間に移した。

だらしない格好でソファーに座ってテレビを見ていると、玄関のカギが開く音が聞こえた。
正に緊張の一瞬だ。

これを見た妻が何というかだ。

私は姿勢を正した。

第一印象を悪くすると作戦は失敗する。

妻は何も言わなかった。
見て見ぬふりをしたのだ。

これは作戦が成功したわけではない。
いつでも戦火を交える用意はあるという意思表示なのだ。

妻がシンクの前で洗い物をしている時、もし私がだらしない格好でテレビでも見ることがあれば直ぐにでも攻撃するということだ。

結局居間にそのソファーを置いていた期間は短かった。
そのソファーを取り払った時に感じた部屋の広さも実感した。

この小さなソファーでも、どれだけ部屋を圧迫していたのかという実感だ。

そのソファーは今私が住んでいる母屋とは別棟の納屋のロフトにある。

開放感あるロフトの吹き抜け近くに置き、ソファーに座って本を読む。
最小の音でクラシック音楽を流し、これ以上ないほどだらしない格好で読書をしている。

眠くなればそのまま横になる。

この歳になってやっと男の夢が叶ったのだ。

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