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絶対行ってみたかったアンコールワットの旅

サラリーマンだった頃に、行きたくても行けなかったところはないだろうか。
私の場合はアンコールワットだった。
この記事は13,000字以上にもなってしまったが、将来有料記事に更新する予定の記事だ。
カンボジアのアンコールワットに興味のある人に、一緒に旅をしているような想像をしながら読んで頂けるとありがたい。


個人旅行で行くアジアを歩く旅

何の知識も持たずに行くよりリサーチして行く方が記憶にも残り楽しい旅になるに違いないと思い、半年以上もかけてカンボジアやアンコールワットのことを調べた。

行ってみたい人の参考になるよう、フィクションも交え現在の状況に合わせて書いた旅物語だ。

タイで乗り継ぎのためのトランスファー(1日目)

アンコールワットに行くには、カンボジアの北西部にあるシェムリアップ・アンコール国際空港に飛ばなくてはならない。
昨年までの旧シェムリアップ国際空港は閉鎖され新しくなった空港だ。
コロナ禍の前と後、また旧空港と新空港では状況が一変しているようだ。

今回選んだのはタイのスワンナプーム国際空港で乗り継ぐルートで往路は17時間20分必要だ。
スワンナプームでの乗り換えは9時間45分だ。
航空会社のサイトでも検索したが、最も安かったのはオンラインの旅行会社から出ていた格安航空券だ。

午後5時25分の関空発TG673便はほぼ満席だった。
6時間以上も飛行機に乗ると座っているだけでも疲れるものだ。
タイに着いたのは午後10時頃だったが明日の朝までこの空港で過ごす。
スワンナプーム国際空港周辺には安いホテルも多くあるが、そうかといってタイのバンコクで観光するほどの体力もないので今回は空港内で過ごすことにした。

もう少し若ければトランスファーの時間もタイに入国して楽しみたいところだが、アンコールワット見学の体力温存のためにも入国せずに国際線乗り継ぎのコンコース内で過ごすことにした。

このコンコース内で適当なトランジット施設を見つけられず、比較的静かそうなベンチで時間を潰すことにした。
熟睡はできなかったが、それでもうとうとしながら朝まで時間を潰すことができた。

シェムリアップ・アンコール国際空港でアライバルビザ取得(2日目)

タイのスワンナプーム国際空港を7時45分のタイ航空で飛び立った。
シェムリアップ・アンコール国際空港には1時間後の8時45分に時間通り到着した。
昨年までのシェムリアップ国際空港なら街まで10kmもなかったので移動時間は15分程度だった。
しかし中国資本で作られた新空港は街まで45Kmもあるようだ。

だが悪いことばかりでもなさそうだ。
それが現地空港到着時に取得するアライバルビザだ。
旧アライバルビザは空港到着時に書類に記入して証明写真を付けて申請していたが、ここではアライバルビザ窓口で待つだけのようだ。
順番が来たらパスポートを提出しお金(30USドル)を支払って簡単な質問を受けるだけで受理されるようだ。

返却されたパスポートが自分のものか、そして観光ビザ証がパスポートに貼ってあるのかを確認して入国審査に向かう。
簡単な質問と言っても苦手な英語なので緊張したが目的やホテル、滞在日数といったものを予習していたので何とか答えることができた。

アライバルビザ申請で質問を受けたお蔭か、入国審査では質問されることはなかった。
入国審査後他の国では両替をしなければならないが、カンボジアはUSドルがそのまま使えるのでカンボジア通貨のリエルに両替する必要はない。
それが分かっていたのでUSドルは関空で両替済みだ。
スマホもドコモの格安プランアハモのためWi-Fiルーターやシムを調達する必要がない。
設定のローミングをONにするだけで日本にいる時と変わらずデータ通信ができるので便利だ。

以前の空港ならシェムリアップ市内までトゥクトゥクを利用しただろうが、新空港で最も安く移動できるのはシャトルバスだ。
往復チケットを15ドルで購入した。
午前10時半発のシャトルバスに乗り、CDF(免税店)で降りた。
ここでバスを降りたのは明日からのアンコール遺跡を観光するためのアンコールパスを買うためだ。
アンコールパスの販売所に最も近いシャトルバス停留所がCDFだ。

ここからアンコール遺跡群チケット販売所までは料金の安いトゥクトゥクで行くことにした。距離は4Kmだ。
62ドルの3日券を買った。
この3日券は7日間有効で今日から使わなくてもいいし連続で使わなくてもいい。
例えば2日目と4日目と6日目でもいいわけだ。
今日はもう昼時なので明日から使うことにする。


ここからホテルまでは配車アプリのPassAppを使ってトゥクトゥクを呼ぶことにした。
料金交渉する必要がなく安心できる。
PassAppはタクシーやトゥクトゥク、バイクタクシーなどを選択して呼ぶこともできる。

ひとり旅の私にはトゥクトゥクで充分だ。
バイクタクシーの方が安いが荷物を持っている場合は乗るのが難しいし、安全面を考えてもトゥトゥクだろう。
アンコール遺跡群チケット販売所からシェムリアップ中心部にあるホテルまでは5Km程度だ。
乾季なのでトゥクトゥクに乗って風にあたると爽やかだ。
パブストリートに近いホテルはアゴダで1泊4000円を切る安さで予約した。

昼食は近くのカフェで簡単に済ませ、チェックインを早めて頂いてホテルで休むことにした。
気が付いたら午後7時前だった。
シャワーも浴びずベッドに横たわったまま夜まで爆睡してしまったようだ。
慌ててシャワーを浴びて外に出た。
シェムリアップ川沿いを歩いてChanrey Treeというレストランに行った。
きょろきょろすることもなく、まるでここに住んでいる人のように見えるはずだ。

シェムリアップのことは1ヶ月も前からリサーチしているので完全に土地勘が付いている。
Chanrey Treeはレビュー評価の高いカンボジア料理のレストランだ。
量が少なめの肉料理と瓶ビールを1本注文した。
メニューには肉料理が8.7ドルでビールが3.5ドルと書いてあった。
通貨換算アプリで計算すると日本円でも1.300円近いのでカンボジアの物価にしてはかなり高い方だろう。

夕食の後、シェムリアップで一番賑やかなパブストリートを歩いてホテルに戻った。
今日は早く寝て明日からのアンコール遺跡見学のプランを熟さなければならない。

シェムリアップ市街地に近い主なアンコール遺跡の位置

アンコール遺跡見学1日目(3日目)

早く寝たお陰で今日も早く目が覚めた。
シャワーを浴び外に出たがひんやりした空気感が心地いい。
少し散歩をしてホテルに戻り一番乗りで朝食ビュッフェにあり付いていた。
朝食を終え部屋に戻ってセーフティーボックスからお金を出し、カメラやハンカチをショルダーに入れた。
昨日買ったアンコール遺跡群チケットは日本で買った首から下げるホルダーに入れ、いつでも提示できるようにした。

外に出てPassAppでトゥクトゥクを呼ぼうと思ったが少し迷っていた。
今日はアンコール遺跡を数箇所周る予定にしているので、できれば同じ運転手にお願いしたい。その度にPassAppを使うのも面倒だ。
そう思ってシェムリアップ川沿いを歩いていると、向こう岸にトゥクトゥクが止まっているのが見えた。
近付くと若い運転手らしき人のよさそうな男性が、知り合いと談笑しているように見えた。
私はその青年に声をかけた。
スマートフォンを出し、「今日一日アンコール遺跡を廻りたいが1日貸し切りの料金を教えて下さい」と翻訳アプリで伝えた。
すると英語で30ドルと言ってきたのでトゥウェンティーダラーと返すと笑顔であっさりOKと返事をしてくれた。
良ければそのまま明日もその次の日もお願いしたいと告げて客席に座った。

彼はチャンと名乗った。
まだ幼い女の子がいるとも話してくれた。
「アンコールワット」というので「ノー」と言って英語で書いたプラン票を手渡した。
プリヤ・カーン、ニャックポアン、タ・ソム、東メボン、プレループ、スラスランだ。
シェムリアップの街の北側に点在する多くの遺跡群を一度の旅で全て見て回るのは到底無理だ。
クメール王朝時代に作られた大小の遺跡の中で、3日で見学でき興味を引いた遺跡を時間をかけリサーチした結果のプランだ。
一般的には外回りと言われているコースだ。
有名なアンコールワットとアンコールトムは明日の予定に組み入れた。
プリヤ・カーン
チャン君はプリヤカーンの北側でトゥクトゥクを止めた。1時間後に西側で待っていると言ってそこで別れた。
プリヤ・カーンはアンコール遺跡群の中でも大きい方なのだろう。
トゥクトゥクを降りてジャングルの中に伸びた土道を歩いて進むが、西門までおそらく150mくらいはありそうだ。

堀に掛かる橋の手前でまだ子どものような女の子がお土産を売っていた。
私が近付くとカラフルな衣類のようなものを持って「お土産どうですか」と日本語で言ってきた。商魂たくましいがどうして私が日本人だと分かったのか不思議でならなかった。

アンコール遺跡に共通した橋の欄干はナーガ(インド神話の蛇神)を綱引きのように持っている石像だ。
多くの石像の頭は取れてなくなっているが何体かは残っている。
この欄干もアンコール遺跡を見学する上で興味深いものの一つだ。
プリヤ・カーンの石像は他の遺跡とは違い屈強な戦士のように見えるが、聖なる剣というのがプリヤ・カーンの名の由来だと知れば妙に納得できる。

プリヤ・カーンは仏教とヒンドゥー教の習合寺院だ。
寺院の中央にはミャンマーのパゴダのような小さな石の塔がある。
この塔を目印に西と北を見学した後、西に向かって出ることにした。
この中央付近に制服を着た男性がいて「写真を取ってあげましょうか」と言うのでお願いするとチップを要求された。
制服を着ているので政府関係者かと思ったがどうもチップ稼ぎの人のようだ。
チップも少なければ文句を言われるので、このような親切はハッキリとお断りしておく方が嫌な気持ちにならなくて済みそうだ。

西門から出てジャングルの土道を歩いて舗装してある幹線道路まで出ると、チャン君のトゥクトゥクが見えた。
計ってはいないが、プリヤ・カーンを見学しただけでも歩いた距離は結構なものだ。
もうこの段階でアンコール遺跡を見学するには結構体力が必要だと実感できた。
定年退職後に行くなら体力がある内に行くべきだ。
当時1000人の僧侶が住んでいたプリヤ・カーンはアンコール遺跡の中で最も男性的で荒々しいと感じた。
ニャックポアン
ニャックポアンはアンコール遺跡といっても寺院ではない。
宗教に大きく関連した言わば万病を治す沐浴をするための池だ。
プリヤ・カーンバライと言われる大きな人口池の中央にあるところを見ると、おそらく当時はプリヤ・カーンに住んでいた僧侶たちが好んで沐浴していたに違いない。

ニャックポアンとはクメール語で絡み合うヘビのことだ。
その名の通り中央の池には二匹のヘビ(ナーガ)が中央の島を取り囲んで尻尾を絡ませている。
その二匹のヘビが顔を出している間に一頭の馬が島に向かって泳いでいる。
その馬をよく見ると首のあたりやお腹のあたりにしがみついた多くの人の姿を見ることができる。
このヘビや馬にしがみついた人は神馬ヴァラーハの伝説によるもので、馬にしがみついているのはシンハラとその仲間だと言われている。
この人工池はインドから仏教と同時に伝わった伝説そのものだ。
シンハラと聞けばスリランカで7割を占めるのがシンハラ人だ。
インドからスリランカの島に渡った仏教徒だ。
その仏教徒とこのニャックポアンの伝説の真相は私の想像だ。

60歳過ぎて歴史を想像しながら旅をするのは楽しいものだ。
ニャックポアンの中央の池に行くまでは幅の狭い木製の橋を渡らなければならない。
他の観光客とすれ違うのにも横を向かなければならないほど狭く、池に落ちる人がいないのかと心配になるほどだ。
しかしそこの眺めは悪くない、
南国のカンボジアとは思えない、どちらかと言えば北海道にでもありそうな葉の枯れた木々が立つ青い空の映る池だ。

雨季にはこの橋が渡れなくなることもあるほど水位が上がると聞いて、木々に葉がない理由なのだろうと勝手に想像した。
タ・ソム
ニャックポアンがあるバライ(人工池)を挟んでプリヤ・カーンと反対側にあるのがタ・ソムだ。
タ・ソムはアンコール遺跡の中でも比較的小さな仏教寺院遺跡だ。
トゥクトゥクを降りた道路からも近い。
この遺跡の特長は長年放置された歴史を感じることだ。
近年修復作業が始まったようだが、東門に見られる絞め殺しの木によって飲み込まれる遺跡の姿が印象的だ。


タ・ソムはアンコールトムと同じバイヨン様式の作りで、絞め殺しの木によって浸食されている東門の塔も西塔門と同じ四面仏だった。
タ・ソムのもう一つの見どころは、壁に掘られたレリーフだ。
他の遺跡と比較しても割と深く彫られている。
これらのレリーフに同じものはなく、実際のモデルはアプサラダンスの踊り子だと言われている。

タ・ソムにいるとなぜか落ち着く。
こじんまりしているせいなのかそれとも他に理由があるのか分からないが、時間がゆっくり流れているように感じるのだ。
今日も既に30度を上回っているが、木陰に入ると涼しくて木漏れ日が気持ちいい。
西門から入って西門から出るが歩く距離もアンコール遺跡の中では短い方だ。
東メボン
東メボンは巨大な人工貯水池(東バライ)の中心にある島に作られたヒンドゥー教寺院遺跡だ。
今は西メボンのような水はないがクメール王朝時代は巨大池の中心にあった。
ここでは昔を偲んで湖に浮かぶ寺院を想像してみた。

東メボンはクメール王朝で最も古い遺跡のひとつだ。
この遺跡で目を引くのは何といっても第一層と第二層の角にある高さ2mの象の彫像だ。
アンコール遺跡群でよく見るナーガ(ヘビ)やシンハ(ライオン)と違いとてもリアリティーに富んでいる。

アンコール遺跡群を巡っているとどこも同じような石造りの遺跡に思えがちだが、それぞれの個性を見つけるのも楽しみの一つだ。
プレ・ループ
東メボンから少し南に下ったところの道端にある遺跡がプレ・ループだ。
アンコールワットの東の道を北上する道路のカーブになった内側にあるので、シェムリアップで最も分かりやすい遺跡だ。
シェムリアップに滞在中何度もこの道を通ったので覚えてしまったほどだ。
遺跡廻りも美しく管理されていて道路からもよく見える。

プレは変化ループは体を意味し、かつてはこの場で行われていた火葬がその名の由来だそうだ。
ヒンドゥー教寺院だが火葬場としての知名度の方が知れ渡っている。
プレ・ループはラテライトと煉瓦(れんが)で築かれているが、他の遺跡と比較してもプレループはラテライトで作った煉瓦が豊富に使われている。
1000年以上前の建造物だが未だにその壮大な趣きは変わらず存在感を保っていることに興味を抱く。

プレループ遺跡は石の階段(1カ所木の階段で濡れている時は滑りやすいので注意)で上層部まで登ることができる。その高さはちょうど周りのジャングルの木々の上くらいだ。
そのような遺跡なので夕日観賞にも都合がいい。
スラ・スラン
しかし石段を上るのも体力が必要だ。
アンコール遺跡見学でどれだけの石段を上っただろうか。
スラ・スランは遺跡巡りの休憩ポイントに最もふさわしい。

スラ・スランは王の沐浴池として作られた周囲2Kmの人工の貯水池だ。
この時期水も濁ってなく青く輝いていてとても美しい風景だ。
スラ・スランは東西に長くバンテアイ・クデイ方向の西側に桟橋がある。
その桟橋にはナーガ(大蛇)の欄干やナーガに乗ったガルーダ(火の鳥)、それを見守るシンハ(ライオン)があり、南国の雰囲気を醸し出している。

午前中にトゥクトゥクでこのスラ・スランの渕の道路を通ったが、太陽の光が湖面に反射してキラキラ光り輝いて見え、とても美しく心も安らいだ。

遺跡廻りの途中チャン君と一緒に屋台のような屋根しかない小屋で昼飯を食べた。
田舎暮らしで普段歩かない生活のせいだろうが、まだ3時過ぎだというのに疲労感はマックスだ。
余裕があればスラスランから近いバンテアイ・クデイやタ・プロームにも行こうと思っていたが、今日はとりあえずホテルに戻ることにした。
シェムリアップのマッサージ
ホテルに着いてチャン君と明日の待ち合わせ時間を決めた。
カンボジア人には珍しくラインを使っていたのでライン交換もした。
ライントークなら私の苦手な英語にも通訳を介すことができる。

部屋に戻りシャワーを浴びてベッドに横になった。
うとうとしているとすぐに時間が過ぎ夜になっていた。
賑やかなパブストリートを素通りして、アプサラダンスショーを見ることができる大きなレストランに行くことにした。
入場料を払って適当な場所に座ったが、バイキング形式のレストランだった。

1時間程度のショーを見ながらスープ料理やサラダ料理を中心に食べたが、疲労のせいか味はいまいち合わなかった。

このままホテルに戻ろうかと思ったが、明日までにアンコール遺跡廻りの体力をリセットしておきたい。
そこでマッサージ店に行くことにした。
道路沿いに何軒かのマッサージ店を見つけたが、その中でも安価な看板を出していた店に入ることにした。
全身マッサージで1時間15ドルだ。
案内された部屋に通されてタオルを渡された後、先にシャワー室に行くよう促された。

その部屋のカゴにショルダーを置いたままシャワーに行ったのが迂闊だった。
疲労感からの気のゆるみだったとしか言いようがない。
1時間のマッサージを終え店の出口で支払いをするため、財布を開けてすぐにお金を抜き取られたと悟った。
しかし後の祭りだ。証拠は何もない。
幸いしたのはホテルを出る時、最低限のお金しか財布に入れて持ち出さなかったことだ。
財布の中のお金が少なかったから抜き取られたことが分かったとも言えなくない。
マッサージの支払いをするお金だけは残されていたということは、犯人にも少しの温情は残されているのだろうなどと馬鹿げた諦め理由を作ってその店を出た。

アンコール遺跡見学2日目(4日目)

まだ暗いうちに起きてホテル前でチャン君を待った。
少し遅刻してきたチャン君はダウンジャケットを着ていた。
Tシャツしか着ていない私はチャン君のダウンを引っ張って笑った。
「カンボジア人もこんな温かそうなダウンジャケットを持ってるんだ」
「そんなに寒いか」
気温は20℃ほどで私にはちょうどいい体感温度。
チャン君のトゥクトゥクはオートバイで引っ張るタイプだから風よがなく寒いらしい。
チャン君も震えるジェスチャーをして寒さをアピールした。
アンコールワット
こんなに早く起きたのはアンコールワットの日の出を見るためだ。
懐中電灯も忘れずにホテルを出発した。
クメール遺跡の中で最も有名なのがアンコールワットだ。
アンコールワット西の駐車場に着いてトゥクトゥクから降りた。
チャン君には言わなかったが、肌に直接当たる朝の冷気が冷たく感じた。
薄手の羽織るものを持って来ればよかったと思った。

駐車場から朝日を見るポイントがある池の手前まで約1Kmを歩いたら寒さは消えていた。
堀に架かる橋は、実際に私が行った時は工事中で遠回りをして仮説の浮き橋を渡された。
暗さもあって実際の距離以上に遠く感じた。
このために持ってきたDJIポケットでタイムラプス映像を撮る予定だったが、絶景ポイントには先客が多くいてベストポジションを確保することが出来なかった。
仕方ないので少し後ろに下がってこんもり盛り上がったところに三脚を立てた。

世界中の遺跡は通常東を正面に建てられているが、アンコールワットは西を正面にして建てられている。
つまり日の出をバックに逆光でアンコールワット遺跡のシルエットを撮ることになるのだ。

しかしこの日は雲が暑く、期待した日の出にはならなかった。
アンコールワット遺跡そのものを撮影したい場合は、午後の方が逆光にならずにいい写真が撮れる。

ここでも土産売りの少女から日本語で声をかけられた。
安価な小物を買ったら違う客のところに行って声をかけていた。
何人かの客に声をかけまた戻ってきたので、この少女から見ても人のいい日本人に見えるのかと思いながら私も話しかけた。
私:「何歳?」
少女:「10歳」
私:「学校にはいってないの?」
少女:「行ってるよ」
少女:「もう少し仕事をしてから行くの」
私:「私の後にも外国の人に話しかけてたけどどこの人だった?」
少女:「スペイン人」
私:「その次の人は?」
少女:「韓国人だったよ」
私:「ところであなたは何か国語で商売してるの?」
少女:「たぶん8か9」
このような会話をしたが全て私と意思疎通ができる程度の日本語だった。
自分にはない才能を持った少女に出会えて嬉しくなりまた小さな土産を買ってしまった。

まだ時間は早いがアンコールワットだけはこの時間でも見学できる。
また出直す体力に自信がないので、このまま見学することにした。
世界遺産の巨大遺跡は見る価値も高い。

壁に彫られた膨大なレリーフは基より内部に作られている沐浴池など、当時のクメール王朝の建築技術の高さに驚かされます。
この巨大寺院は30年かけて作られたと言われている。
何はともあれアンコールワットを無事見学することができた。
一度ホテルに帰り朝食をとることにした。
アンコール・トム
600もあると言われるアンコール遺跡の中で一番の規模を誇るのがアンコール・トムだ。
3キロ四方の外側には幅100mの堀が巡らされ、8mの高さのラテライトの塀で囲われている。

アンコールワットの西の堀伝いに少し行くとアンコール・トムの南の入口が見えてくる。
アンコール・トム最初の見どころは南の入口である南大門だ。
その手前の堀に掛かる橋の欄干はアンコール遺跡お決まりのナーガ(ヘビ)を抱える石像だが、プリヤ・カーンのものに比べ可愛い印象だ。

その南大門からバイヨン寺院がある中央までは1.5Kmもあるので、トゥクトゥクで行くのがいいだろう。アンコール・トムを全て歩いて廻る自信はない。
アンコール・トムは日本でいえば平城京だ。
アンコール・ワットは寺院でアンコール・トムは城郭都市だ。

アンコール・トムで象のテラスやライ王のテラス、ピミアナカス、プリア・ピトゥなどの見どころは中央のバイヨン寺院より北側に集中している。
トゥクトゥクのチャン君とは2時間後に落ち合うことにした。
場所は決めずに私がラインで位置情報を送ることにした。
トークの英語通訳といい、こんな時にもラインは役に立つ。

アンコール・トムの中央にあるバイヨン寺院には49基もの仏塔があり観世音菩薩の顔が四面に彫られている。
これらはアンコール遺跡の中でも最も有名でアンコールの微笑みと呼ばれている。
(タ・ケウ)(タ・プローム)(バンテアイ・クデイ)
アンコール・トムが予想外に効率よく見学できたので、アンコール・トムの東にある遺跡を廻ることにした。
先ずはタ・ケウだ。
タ・ケウはピラミッド型の未完成遺跡だ。
詰まれた石の高さは50mと言われている。
中央祠堂の建つ回廊まで石段で登ることができる。
登るには石段一つ一つの蹴上げが高く体力が必要だ。
何とかたどり着いたが上から見ると想像以上に急勾配だった。
高所が苦手な私は降りとき手を付きながら恐々と降りることになった。

その次がタ・ケウからも近いタ・プロームだ。
タ・プロームはアンコール遺跡の中でも観光客に人気が高い遺跡だ。
そのひとつの理由は樹木によって遺跡が飲み込まれているからだ。
ガジュマルによる浸食が激しく担当しているインドはその姿を見て「
酷い状態だ」と修復を発表したそうだが、今やこの姿こそがタ・プロームの魅力になってることは間違いない。
長年ジャングルの中に見捨てられた石で作られたヒンドゥー教寺院遺跡の歴史を物語っているからだ。
アンコール遺跡の中ではベンメリア遺跡がラピュタのモデルだとも言われているがその理由は、崩れ落ちた石と樹木の根が遺跡に絡み合っているからだ。
その意味ではタ・プロームもラピュタを彷彿させるだろう。

その次がバンテアイ・クデイだ。
バンテアイ・クデイの魅力は東と西にある石畳のテラスだ。
ナーガやシンハの欄干参道を抜けると踊り子テラスへと続く。
バンテアイ・クデイもこじんまりとした遺跡なので落ち着く。
バンテアイ・クデイは西門から入って東門へと抜けた。
その先にあるのが昨日も休憩をした、美しい貯水池のスラ・スランだ。

できればこの後、プノン・バケンに登って夕日を鑑賞したいところだが、バケン山に登る自信がない。
バケン山は標高67mでその上に建つ寺院は47mだ。
バケン山に登るには徒歩で約15分必要だ。

この辺りは山といった山がないのでプノンバケンは最も標高が高いところだ。
シェムリアップで夕日と言えばここプノンバケンかトンレサップ湖だ。

今日もホテルに戻ってマッサージに出かけることにした。
おそらくこの二日間で歩いた距離や石段を昇り降りした実績はこれまでの新記録だろう。

アンコール遺跡見学3日目(5日目)

今日はチャン君と8時30分にホテル前で待ち合わせをした。
案の定10分ほど遅刻をしてきたチャン君に悪びれた表情は欠片も見られない。
今日は長距離を走ってもらわなくてはならないので、私も気を使ってペットボトルの甘いコーヒーを手渡した。

ニコッと笑って「ありがと」と覚えたての日本語で答えてくれた。
バンテアイ・スレイ
今日行くのはシェムリアップの街から30Km以上離れたバンテアイ・スレイだ。
昨日行ったバンテアイ・クデイと名前が似ているがまったく別のアンコール遺跡だ。
アンコール遺跡見学もここだけは外すことができない。
とにかくバンテアイ・スレイの彫像やアバターはクメール美術の最高峰と称されているからだ。
その中には東洋のモナリザと評価されているデバターもある。
少し遠いがアンコール遺跡の中でも最も行く価値が高い遺跡だ。

バイクで引っ張るタイプのトゥクトゥクでは1時間以上かかるだろう。
トゥクトゥク移動にマスクは欠かせない。
乾季で乾いたカンボジアの道は舗装してあると言っても砂埃は避けられないからだ。
昨日のように短い距離なら気にならないが、長距離になるとそうもいっていられない。

アンコール遺跡見学3日目ということで歩く元気もそんなに残っていない。
バンテアイ・スレイならこじんまりした遺跡なのでアンコール・トムのように歩数が増えることはなく、プレループやタケウのような石段を登ることもない。

昨日も休憩したスラスランの畔を通ってプレループを起点に道路は左へとカーブしている。
そしてクメール文明が栄えた当時なら水で満たされていたであろう東メボンの中の道、ルート810を通って東に折れる。
そしてマーケットや市場の多いルート67と交わった交差点を左折して北上する。
そこからはのぞかなカンボジアの水田風景などを見ながら進んでいく。
トゥクトゥクを通り抜ける風が気持ちいい。

バンテアイ・スレイに着いたのは10時だ。
通常見学なら1時間と言ったチャン君に、1時間30分待っていてほしいと告げた。
今日の遺跡見学はここしか予定していないからだ。
ゆっくり落ち着いて見学したい。

思ったとおり小さな遺跡だ。
バンテアイ・スレイとは女の砦という意味だ。
1日目に見学したプリヤ・カーンとは対照的な最も女性的な遺跡だ。
赤い砂岩で作られた遺跡は柔らかい雰囲気と深く掘られた美しい彫刻が印象的だ。

内部は歩くところも規制されていて東洋のモナリザの前までは行くことができなかった。
この遺跡のこともリサーチしていたので何とか東洋のモナリザを見つけることができ、遠くからではあるが撮影することができた。
持ってきた最軽量ズームレンズ付きのソニーα6400が活躍した一瞬だった。
シャッターを切った数もこの小さな遺跡が一番多かった。
リンガの並んだ参道もこれまでのアンコール遺跡にはない趣きがある。
バンテアイ・スレイは少し遠いがお勧めの遺跡だ。

バンテアイ・スレイからの帰り道沿いにあるチャン君お勧めのレストランに寄った。
朱色のスカートに紫の制服を着た、まだ大人にはなっていないであろう女性従業員が出迎えてくれた。
「チョムリアップスオ」というと手を蓮の花のつぼみのように合わせて「チョムリアップスオ」と笑顔で答えてくれた。
旅ではこのような何でもない言葉のやり取りが楽しい。

外で待っているというチャン君を一緒に連れて入り昼食にした。
チャン君と出会って3日目になる。
トゥクトゥクの運転手と客というより、既に気心知れた年の離れた友人に近い。
1人で食べるよりそのカンボジアの青年と食べた方が楽しいのは言うまでもない。

シェムリアップまで戻ってきてアンコール国立博物館に立ち寄った。
この後チャン君とはホテルで午後4時に待ち合わせることにした。
トンレサップ湖に夕日を見に行くためだ。

トンレサップ湖の夕日

トンレサップの夕日(コンポンプルック)
ホテルを出ると既にチャン君が待っていてくれた。
トンレサップ湖にはコンポンプルックの他にチョンクニアという村を通るルートもあるが、私はコンポンプルックを選んだ。
チョンクニアルートは寄付を強要されるなど前もって調べた印象があまり良くなかったからだ。
チャンクニアもコンポンプルックもトンレサップ湖にある高床式の家が立ち並ぶ集落だ。
乾季の今は水位が低く住居がものすごく高い位置に見えるが、雨季になると水かさが増し水位は6~7mも上昇するのだそうだ。

途中でトゥクトゥクを降り25ドル支払って10人乗りのキャビン付きボートに乗り換えたが、そこまでの道のりも決して近くはなかった。
道路も舗装されていないのでとにかく土ぼこりが酷く、時たま自動車に追い越された時には土ぼこりで前が見えなくなるほどだ。
私は着ていった服を誤ったと思った。
白Tシャツと白のズボンが茶色く染まっていった。

私の染まった服よりも濃い色をしたトンレサップの水を、長い軸の付いた上げ下げできるスクリューでかき混ぜながら船は進んだ。
けたたましく鳴り響くエンジンはおそらく自動車のものだろう。
想像していた以上にスピードは早い。
水しぶきがキャビンに座る私の頭より高く跳ねている。
防水の小さなアクションカムを持ってきたのが正解だ。

船はすぐにトンレサップに差し掛かった。
見上げなければならないほど高い高床式の住居だ。
やはりここへは乾季に来るべきだと思った。
イナキダツ(日本の田舎で稲を干すための櫓の柱)ほどの太さの丸太で組まれた柱に、それよりも細い筋交いが括りつけてある。
日本の建築基準には程遠い耐震性能だろうがここはカンボジアだ。
まだ暗くはないが家の中で灯る裸電球の明かりを見ることができる。
同じような水上生活をしているというチャン君の話では、テレビもあって不自由はないと言うことだ。
しかし注意をしていてもたまに、床の隙間からテレビのリモコンやスマホを落として泣くことがあるそうだ。
目に両手を当て大袈裟なジェスチャーで教えてくれた。

コンポンプルックを過ぎ船は水上レストランに停泊した。
水上レストランで太陽が沈む直前まで時間調整をするのだ。
レストランではワニも飼育されていてワニ料理も食べることができる。

時間になれば水上レストランを出てそれぞれの船がそれぞれの場所に停泊する。
私の乗った船は1本だけ離れて立っていたマングローブの近くに止まった。
私は運転席の横からキャビンを出て船の前方に立った。
間違っても小気味がいいとは言えない酔いそうな揺れを感じながら、両足を踏ん張り夕日を撮影した。

トンレサップ湖の水平線に太陽が沈むと一斉に多くの船が帰っていく。
この様はまるでボートレースのようでもある。
エンジンの回転数を最大限にして我先にと来た川を登っていくのだ。

因みにトンレサップ湖はカンボジアからベトナムに流れるメコン川の調整池の役割をになっている。
この湖のお蔭で、下流のプノンペンやベトナムの街が水害から逃れられているのだそうだ。

トンレサップからホテルに戻って浴室で身体と共にズボンとTシャツを洗った。
トンレサップにトゥクトゥクで行くならマスクは二重がお勧めだ。
もし料金さえ気にならないならタクシーの方が賢明だろう。

後書き

私が実際に行ったのはコロナ前で、今は撤廃されたシェムリアップ国際空港があった時だ。
しかしこれから定年退職を迎え、アンコールワットに行こうと考えている人に少しでも参考にして頂けるよう、今の情報を調べてフィクションを加え書いたものだ。

「旅は思い立った時から始まっている」
この言葉は私の旅に対して大切にしている思いのひとつだ。
この記事では旅だってからのことを書いているが、読んで下さっている方はこれから準備をする段階だろう。

旅に出ようと決めて旅の準備を楽しもう。
この記事を読んで想像が膨らんだら次は旅に出る決心だ。

さあ旅に出よう。

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