わたしの異種格闘技戦



プロレスじゃないものを撮ったり、編集したり、考えたりということがぐっと増えた。

そしてそこでちゃんと苦戦をしている感覚もある。流儀や取り組みも違ったりする部分もあるし、分からない言葉や感覚が飛び交ったり。自分の取り組みに甘さがあったと思わざる終えない感覚になったり。今日まで何度か打ちのめされた。KOかレフェリーストップで負けてたのかなと思うような感覚。

「おーっと!今成、いつもと違うハイスペックな機材に防戦一方だ!」

「おーっと!今成ここで5ラウンド目が終了。膠着状態が続くも、持ち前の気持ちでなんとかフルラウンドを戦い抜きました。」

そんな実況がどこからか聞こえてくる。

違う国に来た感覚というのは言い過ぎかもしれないけど、そういう感覚も確かにある。

でも自分のベースはプロレスで、プロレスを観ていたから何かを創りたいと思えるようになり、無理矢理にでも「これはアートだ」と思うようになった10代の記憶が呼び起こされたり。他の何かを撮ってみたいと思える動機を作った自分自身の根幹もやはりプロレスなのであった。

そうなると現状は異種格闘技戦に挑んでいるとの感覚で間違いないと思われる。

プロレスを自分の初期設定にして、プロレスを撮り続けて、考え続けてきたからこそそれを他の世界にスライドさせたり、ぶつけたりしてみたいとの考えがあった。

そして実際にリングでも闘ってきた。
その感覚も身体に深く刻まれている。それは自分にとって大事に引き出しにしまっているような感じ。どの舞台にも発揮出来るように。今はまだその引き出しの使い所がわからないと言った感じ。

若き映像作家たちと触れ合う。
ネイティブに映像機器を使って育っているからか、機材とのシンクロ率が高くてビックリさせられた。自分には取り扱えない行動な機材をしなやかなカラダを動かすようにカスタマイズして、マニュアル動作させていく。レンズのピットインも素早くて、凄いF1のチームを観ている感覚。こっちがわたわたしていたら、もう走り去っていった。

レジェンド映像作家と沢山お話しをさせていただく。「もうピントが合わない、物理的にだけじゃいよ」なんて仰ってたが、直感的に紡がれた映像に僕は沢山の影響を受けてきた。それはまた同時に前述した若い人たちにはない持ち合わせていない感覚もあるはずだ。

そんなことを擦り合わせながら、疲れたカラダに活を入れるべく風呂に入る。

「映像はやっぱり面白い」

「こりゃ、とんでもない異種格闘技戦だな」
と思いながらも、内心とてもワクワクしている。

きっと自分にもモハメド・アリ戦のような舞台が来るような気がしてくる。見様見真似の猪木ismが沸々と湧いてくるのであった。

明日もえっちらおっちらと頑張るのである。

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