(劇評)活気に満ちた経済成長期の恋愛喜劇

劇団フロンティア実験リーグ「はだしの青春」の劇評です。

2018年3月10日(土)19:00 黒部市・シアターフロンティア

日本人の心が空っぽになった敗戦を経て、とりあえずは1950年代から物質的な豊かさに向けた「高度経済成長期」が始まった。劇団フロンティアによる実験リーグ公演「はだしの青春」(作:宮本研、演出:天神祐耶)は、経済成長真っ只中の活気に満ちた都会を背景とする宮本研初期の恋愛喜劇であり、恋人同士の男女と田舎から上京してきた娘による三角関係を爽やかに描いた。

トラックをぶつけて会社を辞めた三郎(天神祐耶)は、いったん地元に引っ込んでから出直そうと夜逃げを企んでいるが、下宿を訪ねてきた恋人のミドリ(のとえみ)に見つかって大喧嘩になる。ちょうどその時、三郎の母(岸本美佳)が上京し、村で一番の美人という民江(紋川あゆみ)を連れて来た。民江はミドリの前でも臆することなく、三郎と結婚したいと堂々と言い放つ。このまま三郎を残しても帰れず、かと言って恋敵の民江らから不審そうな眼差しを投げつけられるミドリ。いかにも居心地の悪そうなのとの表情が絶妙で笑いを誘った。また、舞台の正面には畳敷きの和室があり、今となっては懐かしい縁側や庭を通って上手に設けられた木戸から外へ出られるのだが、そこに佇みながら民江と三郎の話に聞き耳を立てるミドリの姿は寂しげな風情を漂わせていた。

この時代、大勢の人々が田舎から都会へとなだれ込んできたが、必ずしも都会の方が田舎よりも優位だったわけでもない。東京で下宿生活を送る三郎とミドリが七輪の火でメザシを焼いて食っているのに対し、地方権力者の娘である民江は最新式のシステムキッチンを備えた新居に憧れている。三郎にしても、田舎に帰って有力者に頭を下げれば、思い通りの仕事に就けるし、民江とも結婚できるのだ。しかし、三郎はその道を選ばなかった。ほとんど地縁血縁のない都会で、ミドリとともに自分たちの足で地面を踏みしめて生きて行こうと決意する。タイトルの「はだしの青春」にはそういった思いが込められている。

のとえみは二枚目も三枚目もこなせるオールラウンドプレーヤー。紋川は新人というが、思い切りのいい突き抜けた演技で天然な田舎娘を表現していた。家主役の佐藤潤子はどっしりとした存在感を示す。岸本は方言を駆使して自分勝手な母親をコミカルに演じた。演出を兼ねる天神は、女優たちの個性を大きく受け止めて包み込んでいた。

実験リーグは、劇団員の「のとえみ」と演劇ムーブメント「えみてん」を結成している演出家の天神を中心に活動。昨年は「みんなの宅急便」を上演するなど、新しい感覚の芝居に取り組んでいる。新感覚と言っても、気を衒ったという意味ではなく、むしろ上質でウェルメード。今回も若手の意欲とベテラン俳優陣の妙味がうまくかみ合って丁々発止のやり取りを繰り広げ、天神が目指したという「女優さんが皆、輝いている」作品に仕上がった。アフタートークでも言っていたように、のとたちは稽古が好きでたまらないらしく、演劇に対する志の高さがうかがえた。黒部で演劇の原点を改めて教えられる思いだった。

3月24日まで黒部市のシアターフロンティアで。

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