(劇評)立場を超えた、温もりという価値観

奈良井伸子によるひとり芝居「ダキシメルオモイ〜見えない彼女〜」の劇評です。

2018年3月11日(日)18:00 金沢市民芸術村アート工房


抱きしめさせてくれませんか、と街角で通りすがりの人たちに声をかける一人の女。興味を持ったらしいテレビ局から取材を受けた彼女は、酔っ払って道端に倒れていた女性との出会いについてカメラの前で語る。その女性と抱き合い、温かさや安心感を覚えたことがきっかけになったようだ。3月11日に金沢市民芸術村アート工房で上演された奈良井伸子のひとり芝居「ダキシメルオモイ〜見えない彼女〜」(作・演出:小川功治朗)は、彼らがどんな思いでフリーハグを実践しているかについて学ぶ機会となった。

この作品は、抱き合う親子らを情感を込めて描いてきた画家・小林憲明氏の絵画「ダキシメルオモイ」シリーズとのコラボレーション。しかし、舞台の背景に並べられた10点前後の絵画ではもともと親しい人たちが抱き合っているのに対し、ひとり芝居では見ず知らずの人に抱擁を求める「フリー・ハグズ」をテーマとしており、人間が抱きしめる・抱きしめられるということの普遍的な意味を考えさせられた。

フリーハグについては、ネット動画ばかりでなく、東京の路上などでも実物を見た。日本でヘイトスピーチの対象となりがちな国の人やさまざまな差別を受ける立場の人がやっていたこともあり、中には自分で目隠しをしてどんな相手でも受け容れる気持ちをアピールしている人もいた。その姿からは彼らの目指す理想が伝わってくるものの、悲愴な決意もにじみ出ており、求めに応じるだけの覚悟がこちらに備わっていない気がして逆に尻込みしてしまうのだった。

今回のひとり芝居を見て、何よりもフリーハグの行為者自身が理屈ではなくてただ抱きしめ合うことを求めている、そうせずにはいられないのだということがわかった。フリーハグを行う動機や考え方はそれぞれの人によって一様ではないと思う。また、何らかの思想的な立場を主張することが目的ではないとも感じられた。そして、「人間の身体の温もり」にこそ最大の重きを置く価値観があってもよいのだと思った。


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