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夕立のあと

春が終わる頃、俺は小さな空港に降りたった。
埃っぽい匂いがした。空気も霞んで見える。
ここから宿舎まで、車で数時間はかかるらしい。
日本を出る時に手渡されたメモには、
ある女の子の名前と部屋番号が書かれている。
わからないことがあれば、先に来ている彼女に聞けばいいと。

迎えの車に乗り、ガタガタ揺られながら宿舎に着いた。
途中、窓から見えた街並みは、空港に降りたった時と同じ様に、色が無くくすんでいた。

彼女と初めましての挨拶を交わす。
同じ学年とは言え学部も違うし、日本では会ったことがない。
街の露店で買ったような、野暮ったい現地の服に身を包んでいた。
「染まってんなぁ…」
思わず口を突いて出た。
彼女は少しだけムッとしたような顔をしたけど、国際電話をかけたいと言う俺の希望を叶えるべく、宿舎の案内所まで連れて行ってくれた。

彼女が係の人に何やら話をし、俺は日本に電話をかけた。
その間、彼女は側にあった椅子に腰掛け、俺を見守るように待っていてくれた。無事に着いた連絡をするつもりが、ついつい長電話をしてしまい、切った後、すごい料金を請求された。
「こんなに使ったことある?」
思わず彼女に問いかけた。
彼女はフフッと笑って「ないよ」と言った。屈託のない笑顔で。

俺は「女は見た目だ!」と常々豪語していた。俺はそこそこに、いやかなりモテていたから、足首がキューっと締まったイケてる女子と、ファッションのように付き合ったりしていた。

さて、まだ現地に慣れない俺は、街に行くにも彼女の助けが必要だった。
大学が郊外にあったから、トロリーバスに乗って市街地まで行った。広い校内キャンパスもわからないことばかり。第一にまだ言葉がわからない。
必然と彼女と過ごす時間が多くなり、少しシャイで素朴な彼女に、なんだか親しみと安心感を覚え始めた。

ある日俺は気づいた。
彼女の鼻毛に。埃っぽい街だから鼻毛も伸びてしまうのか。
「ないわー」
心でそう呟いたが、控えめで親切な彼女から距離を置く気には何故かなれなかった。

季節は夏へと変わっていった。
色の無かった街が、鮮やかな緑に覆われていく。
彼女の服装もTシャツに短パンと夏らしくなり、俺は気づいた。彼女の足首がキューっとしていることに。そしてスラリと長いことにも。
野暮ったい印象が変わっていく。

言葉もだいぶ覚え、現地の大学生とも交流し、生活も充実し始めていた。
もう彼女に付き添ってもらわなくても大概のことは自分でできた。
彼女も俺に慣れてきたのか、最初のシャイさが少しゆるみ、お互いのことをいろいろと話すようになった。時には俺の部屋でお茶を飲みながら。話すうちにまた気づいた。彼女には何もない。

「ほんとなーんもないよねー」
またつい口から出た。
彼女はちょっと笑ったあと泣きそうな顔になり、床に落ちてた洗濯バサミを俺に投げつけた。
「いや、そういう意味じゃなく…」
そう言いかけたが彼女は部屋を出て行った。

何もないというのは、ケレン味というか雑味というか、そういうものがないということだ。彼女はピュアだった。そしてさらに気づいたことがある。俺はそのピュアさに惹かれてる。

たが俺の中の俺様が認めたがらない。女は見た目だ。やっぱイケてないと。性格なんかどうでもいい。
あいつ鼻毛出てたし。なんならケツもデカい。俺のタイプじゃない。

夏休みになり、俺は旅に出た。キャンパスを飛び出して、広いこの国をもっと見てみたくなった。もう一つには、この胸のモヤモヤをどうにかすっきりさせたくて。

ひと月近く旅をして、ようやく宿舎に戻った。
中庭に仲間たちが集まっている。彼女の姿もそこに見つけた。
真夏の太陽が照りつけている。
俺はリュックを背負ったまま中庭へ向かった。
「おかえりー」
真っ直ぐな目を俺に向けて彼女が言った。
「ただいまー」
髭ぼうぼうになっていた俺は思わず俯いた。彼女の笑顔が眩しかった。

もう迷いはなかった。
鼻毛もケツも越えた先に、本当の気持ちがあるんだ。そこに在る、ほんとのヒカリに気づくんだ。

ザーッと夕立がきた。
それはすぐにやんで涼しさを残していった。もう一度中庭に出て、花壇のふちに腰掛けた。

蛙が一匹ピョーンと跳ねて、葉っぱの向こうに消えてった。





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