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ピエロの避難誘導

今まで私が知った鈴木貴雄の魅力など
ほんの欠片にすぎないと知った。

そんな夜だった。

時間にしたらほんの1時間ほどの出来事だったということを
後で知った。
世界の色はこんなにも変わっているのに。

そしてその色を塗ったのは紛れもなく鈴木貴雄だった。
そんな奇跡の場に立ち会えたことをとても幸運に思う。

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はじまりはいつもの配信だった。
今日から新しいゲームの配信が始まるということで、前回までのゲーム「SEKIRO」が終わってしまった寂しさと、新しいゲーム「リトルナイトメア2」への期待が交錯する、少し浮ついた感じのギャラリーだった。

いつもは200人前後の視聴者数が、初めから260人~300人辺りだったのは、新しいゲーム「リトルナイトメア2」が「SEKIRO」に比べて万人受けしそうなポップなゲームだからなのかなと、ぼんやり思ったのを覚えている。

しょっぱなからPACAOは、リトルナイトメアに寄せたという衣装で覆面をして登場し、何やらいつもながら楽しそうだなと、こちらもニヤニヤと聞き始めた。

ふたを開けてみると、「リトルナイトメア2」は、キャッチーなキャラクターや世界観のテイストとは裏腹に、結構グロいホラーゲームで、ちょっと怖い・グロイ…でも見たい。というような、不思議なニュアンスのゲームだった。

2時間ほどプレイした頃には視聴者もその世界に馴染み、少し謎解きにも歯ごたえが出てきて、皆がグッとのめり込んでいたところに、それは突然起こった。

宮城・福島沖を震源とする震度6強の地震。

私の家も大きく揺れ、机の下にもぐらないとヤバいなと思うほどの大きな揺れが長く続いた。

すぐに脳裏に蘇ったのは「東日本大震災」の記憶。
奇しくも10年の節目を迎える目前。最初はだれも「東日本大震災」という言葉こそ口にはしなかったが、皆が即時に頭に浮かべていたと思う。私でさえそうなのだから、東北の人はもっと強烈にフラッシュバックしていただろう。

私たち日本人は、あのトラウマを抱えて今も生きていることを改めて思い知る。

パソコンデスクの下に潜って揺れをやり過ごしてから立ち上がった時、ふと、パソコンの電源が切れないことに気が付いた。
パソコンを切る=PACAOとのつながりを切るということだからだ。
切れば途端に不安の海に独り放り出されるだろう。それよりはここにいたい。

それはみな同じようで。
PACAOが「こんな配信観てる場合じゃない」と言うと、
「配信やめないで」とチャット欄が即座に反応。

そして、幸い私の家では大事なく済んだが、そうではない人もたくさんいることを、ニュースよりも早く配信のチャット欄で確認した。

チャット欄に
「怖い」
「本棚から本が落ちてきた」
「みんなと一緒でよかった」
「配信やめるんですか?」
「PACAOさんがいて安心した」
「何か話してほしい」
「PACAOさんの声で癒されます」
「繋いでてくれてありがとうございます」
「余震がまた来た」
と、不安に翻弄されているようにも、
便乗して配信を強要しているようにもとれる言葉が次々流れていく。

私は根っから歪んでいるので、こんな状況下でも、
個人の自由とは言え、「配信を続けて」と要望するのに「怖い」とつけるのはずるいと思ったし、あざといと思ってしまった。
そう言われたら断りにくいし、断った場合印象が悪すぎるではないか。

PACAOはどうするのか。

PACAOの配信は仕事じゃない。
鈴木貴雄の趣味だ。
PACAOには「じゃあ地震すごいし今日はここまで、さよなら~」と終わる権利がある。
実際、PACAOは「こんな配信観ている場合じゃない」と言った。
そりゃそうだ。人の命に関わる話だ。ネット配信などしている場合ではないし、見ている場合でもない。

はたしてPACAOは。

「福島と宮城の人は大変かもしれんから、ちょっと一回放送見るのやめた方がいいよ」と釘を刺しながらも、
「一応、俺はここにおるけど。」と添えた。

”ここに居る” という言葉。
この時、この言葉にどれほどの人が救われただろうか。
少なくとも私は救われた。
独り放り出される心配が軽減したからだ。

そして少し状況が落ち着くと、「ゲームやめて、なんか雑談でもする?」と、前のゲーム「SEKIRO」のキャプチャ動画などを見せながら、いつもと同じように面白おかしく笑いながら話し始めた。
まるで地震などなかったかのように・・・

でも。

気づいてしまった。
笑いながらも、時折り鋭い視線をチャット欄に走らせ、皆を心配しているPACAOに。
そのうえで、いつもと変わらず笑いながら話しているのだ。
そのことに気が付いてしまってから心が震えて、目頭が熱くて、話の内容が入ってこなかった。
強さが眩しい。
不安の煙が充満する世界に、まったく場違いの光を差し込んで、いつの間にか煙を晴らしてしまおうとしているその強さ。

でも。

そんなものでは終わらなかった。
あの人の尋常ならぬ温かさは。

「しょうがないよ今日は、だって、みんな大変だってゆんだから。」
「日本を元気にしなくちゃ。」
そう言うと、あろうことかリングフィットアドベンチャーの配信を始めることになったのだ。

全身を使うゲームなので、あたふたとカメラのズームや位置を調整し、バタバタと上着を脱いで準備して・・・でもその間も途切れることなくマイクに色々喋りながら。

そして始まったゲーム実況は、クールなロックバンドのドラマーがおかしな格好でリズミカルに体を動かすという。。。なんともシュールな絵面w

さっきまで感動で涙していた私も、
いつの間にか笑い涙を流している。
チャット欄も「www」の嵐。

気がつけばどんどん同時視聴者数は増えていき、過去最高の600人近くに。
スパチャも過去最高ではないかというくらいじゃんじゃん飛び込んでくる。
それはあくまで結果として付いてきたことで、彼の望んだことではないかもしれないが、沢山の人が確かに心を動かされたという客観的事実だと私は思う。

皆が感動し、温かい気持ちになり、優しさに包まれ、安堵している。
さっきまでの暗くて冷たい不安の海は何処へ消えたのだろう。

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以上が、私が偶然に居合わせた、奇跡の一部始終だ。

本当に正しい行動だったのかはわからない。
正しくは、すぐに全員PCを切って避難行動を取るべきだったのかもしれない。

でも、PACAOは心をつなぎとめる行動、いわば心の避難を誘導してくれたとは言えないだろうか。この夜、PACAOのおかげで、何人の人が安心して眠ることが出来ただろうと思うと、ただただ、感服するのみである。

もしこれがお笑い芸人やタレントが仕事の一環としてやっていたなら、特筆すべき出来事ではない。
この一連のドラマの発端が、ただ1人の男の「思いやり」から来ていること、それが終始自然に行われたことに、非常に驚き、感動したのだ。

人に想いを寄せ、共感する力。

鈴木貴雄が、昔なにかの番組で「ピエロ」になりたかったと言っていたのを思い出す。
それはきっとこういうことだったのかもしれない。

私は凄い人を好きになってしまったものだ。


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