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秋田ロス

 秋田ロスが凄い。秋田っていい所だなあと住みながらずっと思っていたけれど、5ヶ月で秋田を離れることになって、盛岡に移り住んだ今、秋田ロスに苦しんでいる。

 盛岡も良い所に違いないし、これからいろんな好きな場所を発見していくことでどんどん好きになっていくのだろうけれど、今は秋田の幻影がその足を引っ張っている。

 秋田は去り際に本当に美しい姿を見せてくれた。その1番はまず竿灯まつりである。秋田を去ったのは8月9日。3日から6日まで行われる竿灯は2回観ることができた。感動した。青森のねぶたはねぶた師によるアート作品を鑑賞するのが楽しみのひとつだが、秋田の竿灯まつりの場合、竿灯を操る人の技を鑑賞するのが1番大きな楽しみである。


 竿灯を見ていて思ったのは、竿灯って思っていた以上に落ちているな、ということ。竿灯同士でぶつかったり、竿灯を操っている人のコントールミスだったりで、割とよく落ちる。

 竿灯同士でぶつかるのは、竿灯同士をわざと近づけたりしているせいもある。竿灯同士でわざと竿灯を近づけて、同じ方向にしならせていたりするのは竿灯同士が競演しているみたいで、壮観である。何かオリンピックのシンクロナイズドスイミングを見ているみたいだなと思った。

 竿灯は提灯の中に灯が灯っているけれど、落ちるとすぐに消えるような仕組みになっているらしい。見る前は落ちたらそれで終わりなのかと思っていたけれど、落ちても灯をつけて、割とすぐに立ち上がる。どっこいしょーどっこいしょーというかけ声と共に。

 どっこいしょーどっこいしょーというのが祭りの基本的なかけ声で、マイク放送でずっと竿灯大通りに響き続けている。

 どっこいしょーどっこいしょーというかけ声と共に倒れても再び立ち上がっていく竿灯を見ていると、胸が熱くなった。


 その二十日前くらいに、秋田では豪雨災害があり、街に水が溢れた。そのせいで床上浸水し、営業できなくなった飲食店もたくさんある。自宅や車が水没した人もいる。

 そんな秋田の街で、どっこいしょーどっこいしょーというかけ声と共に立ち上がっていく竿灯は、秋田の思いを象徴しているみたいで、また多くの人の人生を象徴しているみたいで、何か泣けてきた。

 辛いとき、秋田の人の胸にはどっこいしょーどっこいしょーというかけ声が響き渡ったりするんだろうな。それって素敵なことだ。

 竿灯を最後に秋田を去るのはある意味できすぎたラストだった。これで美しい思い出と共に秋田を去れる。
 秋田では遊べるだけ遊び尽くした感じがするし、もう思い残すことはない、とその時は思った。

 秋田を離れた今、思い出されるのは秋田の人の良さだ。
 人と人との距離が大分近いように感じた。飲食店の人もよく話しかけてくれたりするし、何だかフレンドリーな人が多かった。

 職場に最後に別れを告げるとき、職場の人からいろんなものをもらった。皆から色紙やら物をもらうことは今までもあったのだけど、今回は一人一人から手渡されて、中には手紙をくれた人もいた。

 3回しか行けなかったワインバーに最後に行ったとき、転勤のことを告げたら結構な値段がしそうなだるまの真坂人形と、ビタミン剤を二箱分くらいもらった。3回しか行っていないのに、長い間通った常連みたいな扱いである。


もらった真坂人形のだるま

 これほど人がフレンドリーに接してくれる場所は秋田以外になかった。

 先週盛岡に来たばかりなのでまだ盛岡のことはよく分からないけれど、何か秋田よりも都会っぽくてとっつきづらい感じだな、という印象を受けている。
 まあでもまだ1週間しかいないのでよく分からない。

 これから盛岡でどんな出会いがあるんだろうな。秋田よりも好きな街になれるのかな。
 そのためにも、盛岡でも出会いを求めて積極的に色々行ってやろうと思っています。


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