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コンビニの君

短歌 コンビニの君のピンクの爪色が俺を透過し街を染めゆく

 目覚めればいつもと同じ目覚ましの音。いつもと同じくすんだ天井。ブルーの毛布。10分早めに目覚ましの時間を設定してあるからまだ少しだけ余裕のある、いつもと同じ朝。枕元の目覚ましを止めて、時間を確認する。5時50分。目覚ましを止めた手を毛布の中に戻そうとして、いつもと違う指先の色が目に入った。私は身体を起こし、自分のものじゃないような爪を見つめる。カーテンの隙間からこぼれ落ちる朝日に照らされて、桃色にグラデーションする爪が光っていた。そうだ、昨日玲奈に会ったんだ。

 コンビニの早朝バイトの仕事を始めてから半年ほどが経つ。仕事にはもう慣れた。届いたばかりの弁当を素早く冷ケースに補充する。客足が増える8時までに補充を終えていないと、その頃出勤してくる店長が露骨に嫌な顔をする。急がなくてはいけないのに、弁当を掴んだ桃色の指先が視界に入るたび、昨日の玲奈の顔が蘇った。

 玲奈とは大学時代に喧嘩をして以来だから、5年ぶりだった。地元に帰っていたことは風の噂で聞いていた。私たちが喧嘩した原因である当時の玲奈の彼氏とは警察沙汰のすったもんだがあった挙げ句に別れたらしい。県内ではそこそこ知られたロックバンドのベーシストだったが、ベースを弾く以外は能のない、ただのDV男だった。玲奈はその男に入れあげ、全国ツアーに同行するという理由で大学まで辞めてしまった。
「真帆は指が細くて爪も綺麗だからね。絶対にネイル映えするよ」
 玲奈は5年の歳月なんてなかったような口調で言いながら、私の指の爪に桃色のネイルを塗る。私はそんな玲奈の俯く顔をじっと見つめていた。その顔に、大学時代の玲奈が重なる。あの時も熱心に俯いて絵を描いていた。私たちは地元の芸術工科大学の美術家洋画コースに所属していた。幼さのある顔立ちは今も変わらない。けれど無邪気に輝いていた子供のような瞳はもうそこになかった。代わりに、深い湖のような静かな輝きを湛えた瞳がそこにはある。
 私は、右手を玲奈に預けながら、自分の近況を話した。勤めていたデザイン事務所は上司のパワハラがひどくて辞めてしまったこと、今はコンビニの早朝バイトをしながら次の仕事を探すと言いつつ特に何もしていないこと。玲奈は私の話を黙って聞いてくれた。長めの睫毛がゆっくりと上下していた。
「完成」
 やがて玲奈は顔をあげて微笑んだ。返された手を見つめる。根本の方はうっすらと白いのに、先端に向かうに従って薄い桃色が徐々に濃く色づいていく。その繊細な色使いは大学時代の玲奈の描く絵のようだった。私は玲奈の描く絵の色使いが好きだった。それは確かに才能だった。あの素晴らしい才能を放り出してしまうことが許せなくて大喧嘩した。
「綺麗だね。私の手じゃないみたい」
「真帆の手は綺麗だよ。ずっと思ってた。でも、コンビニで働いてたんだね。ネイル、大丈夫だった?」
「駄目なら辞めるよ」

 玲奈が施したグラデーションする桃色のネイルは、このコンビニには不釣り合いなほど綺麗だ。私が補充する弁当も、この桃色の指が触れた途端魔法のお弁当に変わってしまうよう。
 入口のドアが開いて、客が入ってくる。
「いらっしゃいませ」
 口角をあげて笑顔で挨拶をすること。店長にはよく注意されるけれど、口角をあげるということが私にはどうしてもできない。今もきっと不自然な笑顔だ。
 入ってきた客は短歌だった。寝癖なのかよく分からないあちこち飛び跳ねた髪の毛。いつも眠そうだけどその目は純真な子供みたいに澄んでいる。短歌というのはもちろん私がつけたあだ名で、小銭を落として屈んだ時にリュックから現代短歌の作り方という本が覗いていたのでそのあだ名をつけた。
 短歌は買うものがいつも決まっているので、私は補充の手を止めてレジに戻る。案の定、短歌はすぐにレジの前に現われた。ホットコーヒーとクロワッサン。
 私はその2品のバーコードをスキャナーで読み取る。
「綺麗っすね」
 突然言われてびっくりして短歌を見た。短歌は、私というよりも、私の指先を見ていた。
「あ、いや……」
 短歌は自分で言ったくせにその言葉に狼狽えるように頭をかき、挙動不審に財布を弄りぴったりの金額を払って店を出る。
 入れ替わりに店長が入ってきた。店長は「おはよう」と言って、私の顔を見て止まった。店長は、奇妙な顔で私を見つめてから大きく一度頷き、そのまま事務室の方に消えた。
 まだ朝の補充が終わっていなかった。私は補充を再開する為冷ケースの方へ向かう。その途中に従業員の笑顔チェック用の鏡があって、そこに映る自分の姿に足を止めた。
 鏡の中の私は、口角があがっていた。目の前に客なんて誰もいないのに。口角があがって、笑っているように見えた。
 久しぶりに、と弁当の補充を再開しながら、思う。久しぶりに絵でも描いてみようか。今なら何か描ける気がした。桃色に染まった今の私のこの指先なら、何か素敵な絵が、描けるような気がした。
 

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