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書いているものがつまらないと思ったときは?

 ちょっとだけ書き出した長編小説がつまらなく感じられて、書くのを止めてしまっている。せっかく話の筋は考えたのにもったいないことだ。こういう時は最初から書き直した方がいい。そもそも文体が合っていないのだ。だから書いていてつまらなく感じてしまう。つまらないとは嘘っぽいということでもある。そこに自分がいない、人の目を気にしすぎている、こういう風に書いたらいいんだろうと思いすぎている。

 小説の魅力とは何かと問われれば文体だと答える。小説は文体がすべてだ。その小説がどれほど深いところまでいけるかは、文体が決める。

 今書いている長編小説の文体は浅すぎる。エンタメっぽく書こうとわざと浅く読みやすく書いてみたが、それでは上っ面を撫でるような人物描写、物語にしかならない。だから書いていても全然手応えを感じない。

 質より量でいこうかと思っていた。質を重視するあまり書き出すことができなかったり、書いてもにっちもさっちも進まないということが続いていたからだ。長編小説を書くにしても、時間がかかりすぎたらどうしようもない。一作書き上げるのに2年も3年もかかって、それでその作品が全然評価されなかったらどうなる。そんなことには耐えられない。だから理想としては3ヶ月か4ヶ月くらいで長編を1本書き上げるのがいい。

 そう思って書きやすい文体で書き出したのだが、その文章に魅力が感じられない。結局書き続けることができないでいる。

 僕は一体何を間違っているのだろうか?
 
 僕にとって小説で一番大事なのは文体なのである。他の誰かにとってはそうではないかもしれない。ストーリーだという人もいるだろう。本屋大賞を好んで読む人は、たぶんストーリーを何よりも重視して読んでいる。

 しかし僕はそうではない。ストーリーがいくら面白かろうが、文体がつまらないと読んでいて辛くなる。きっとそれと同じことが書くことでも起きている。

 僕は文体に拘っている。ならば文体に関しては絶対に妥協してはならなかったのだ。この文体でなら、最後まで書き通すことができる。そういう文体で書き出さないといけなかった。

 そして、心理描写。僕が読みたいのも書きたいのも、心理描写がたくさん出てくる小説だ。正直風景や人物、ファッションを外側から描いたような描写はどうでもいい。心理描写がどれだけ深いところまで描かれているか、それが僕にとって重要。

 小説を書くことに行き詰まってしまっている人は、自分が書こうとしている小説の中で絶対に譲れないものは何だろうと考えてみるといいかもしれない。

 絶対に譲れないはずのものを譲ってしまった、だから続きが書けなくなってしまっただけかもしれない。 
 何を書くのだとしても、その譲れない部分は絶対に譲ってはならない。それでは書く意味を失い、結局書けなくなってしまう。

 僕の場合は文体と心理描写。

 これに拘ってまた最初から書き直してみようと思う。

 

 

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