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ハンバーガーの話

 今日はブックナードに行こうと決めていた。ブックナードは盛岡にあるセンス抜群のセレクト書店。本の販売はもちろん、空いているスペースを利用してよく個展みたいなこともやっている。今日までハンバーガーに関する展示をやっているらしい。観に行かなきゃ。
 店内に入ると、壁にどーんとハンバーガーのイラスト。肉の部分が真っ黒。ポップだけどその黒が闇のようにも見えて、独特の存在感を漂わせているハンバーガー。ちょうど作者の人が近くにいて、黒はスプレーで描いているのだと教えてくれる。絵のことはよくわからない。ふぅんと思いながら聞いている。その後も作者の人はいろいろ話しかけてくれる。「本好きなんですか?」とか。きっと暇だったんだろう。目がいたずらっ子みたいに輝いていた。
 僕はハンバーガーが好きだ。ハンバーガーはよく晴れた休日みたいな食べ物だ。ハンバーガーのイラストを見ながら、僕の頭の中はハンバーガーが大好きだったあの頃にトリップする。

 ハンバーガーが好きだった。マクドナルドが好きだった。僕は中学生だった。
 横須賀にある叔父さんの家に遊びに行ったときのことだ。
「今日の昼何食べたい?」
 母親にそう聞かれて、すぐに答えた。
「マックがいい」
「マック~? そんなのどこでも食べれるじゃない」
 叔父さんも呆れたような顔をしていた。
 でもその頃の僕にとって、マクドナルドのハンバーガーはごちそうだった。あのゴマつぶの入ったバンズ、薄っぺらいけどジュワっと美味しいパティ。母親は嫌いだと言っていたけれど、酸っぱいピクルスも好きだった。ハンバーガーにピクルス入れた人天才と思っていた。バンズとパティとピクルス、ひとつひとつは冴えないのに、みんな集まった途端誰をも魅了する輝きを放つ、その名もハンバーガー。それにその頃のマクドナルドにはピエロみたいな大きなドナルドの人形がいて、陽気そうに見えて何か不気味で、その非日常感も好きだった。テーマパークみたいだと思った。
 僕はそんな風にマクドナルドに魅せられていたけれど、家の近所にあるマクドナルドにはほとんど行ったことがなかった。当時の僕は学校では何も喋らない子供をやっていて、でも家ではよく喋った。家族といるときの自分を絶対に学校のやつらに見られてはいけないと思っていた。なぜなら僕は何も喋らない子供だったから。学校でのイメージが崩れてややこしいことになってしまう。そういう訳で僕は家族で外食を誘われても断っていた。マクドナルドを食べるときは、父親がテイクアウトで買ってきてくれるときだけだ。
 だから僕にとってマクドナルドはどこでも食べられるという訳ではなく、学校の同級生に見つからないような離れた場所でないと食べらないような特別なものだった。
 その後マックを食べたのか、それとも横須賀ならではの美味しいものを食べたのかは覚えてはいない。でもマックは食べなかっただろう。きっとマックよりもずっと美味しい何かを食べたに違いない。けれども今思い出されるのは、横須賀で食べたはずの何かではなく、その時の会話、マクドナルドのことなのである。

 今の僕はもう、マクドナルドを食べたいと思うことはない。
 僕は大人になってしまった。
 東北各地を旅するように転勤を繰り返し、行く先々でグーグルマップや食べログを駆使して美味しい店を探し回って食べた。舌が肥えてしまった。
 今誰かに何食べる、と聞いてマックと答えられたら、僕はきっとこう返すだろう。
「マック? そんなのどこでも食べれるじゃない」
 ここは盛岡だよ、三大麺の街だよ。冷麺食べようよ、わんこそば食べようよ、じゃじゃ麺食べようよ、焼肉もいいね!

 でもたまに、今日みたいに美味しいハンバーガーのイラストでも見てしまったよく晴れた日の休日に、無性にハンバーガーが食べたくなることがある。その時僕は、中学生だったあの頃に戻っている。
 
 そうだな、次の休みのランチはハンバーガーにしようか。
 でももうマクドナルドじゃ満足できないから、ちょっと拘りのお肉を使ったあのハンバーガー屋さんに行ってみよう。
 
 
 

 

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