谷岡ヤスジ氏のこと

以前書いてたブログ(はてなダイアリー)からのサルベージ。2005年に書いたもの。ごく一部を修正。現在の僕はフリーランスの漫画編集者ですが、新卒時は実業之日本社に入社し、志望通り漫画サンデー編集部に配属され、その後、2002年に月刊IKKIの独立立ち上げに参加するため退社してフリーランスになりました。というのが前提。谷岡さんは「先生」と呼ばれるのをめちゃくちゃ嫌っていたので(「俺はそんなにバカじゃねえ!」と怒られた)、文中も「谷岡さん」としています。


新卒で実業之日本社漫画サンデー編集部に所属してしばらくのち、「夢太郎、誰の担当がやりたい?」とU編集長から聞かれて、僕は谷岡ヤスジさんの担当になりたいと即答した。全盛期は過ぎていたとはいえ勢い衰えぬ谷岡さんの作品を読んでいるうちに、どうしても谷岡ヤスジという人間そのものに触れてみたくなったのだ。そんな右も左もわからんペーペーの、ワガママとしかいいようがない希望に対してU編集長は、「わかった。やってみろ」と男気溢れる決断。

こうして、僕はあっさりと谷岡さんの担当となった。

担当引き継ぎの日については、これといって思い出すことはない。前担当がちょっと(かなり?)変わった人で、引き継ぎも正直、適当だったような憶えはある。一緒に自宅へ行って、名刺渡して、「んじゃ、あとヨロシクな」の一言で終了、くらいな。僕はすっかり緊張していて、ほとんど何も話さなかったはず。谷岡さん、ずっと笑っていて「思ってたほど怖くはないな」というのが僕の第一印象だった。

(余談。前担当のO氏は数々の逸話の持ち主で、谷岡さんがらみの話にかぎっても、「目の前で原稿丸めて鞄に入れて谷岡さん激怒事件」とか、「年末進行伝え忘れて谷岡さんの知らぬ間に原稿落ち事件」とか…ま、よく言えば「古いタイプの編集者」、悪く言えば「大雑把」な人だった。…大雑把にもほどがあるけど。僕が担当していた頃の谷岡さんは、ケント紙ではなく薄いコピー用紙に漫画を描いていたので、丸めてしまいたい気持ちもわからなくも…いや、わからないな。やっぱり)

で、その翌週。単独で原稿を受け取りに行く最初の日。O氏から引き継ぎ時に言われていた通り、僕は〆切当日の昼ごろ谷岡さんに電話をかけた。長年連載を続けている谷岡さんは、雑誌の〆切りなんか完全に把握しているから当日の電話で十分、と言われたのだ。ちなみにこれは谷岡さんに限ったことではなく、僕のいた雑誌に執筆していた作家さんほぼ全員に共通すること。みなさん、申告した〆切から30分とズレずに原稿がアップするのだ。ベテランの作家さんばかりだったから、徹夜するような人もあまりいなかったんじゃないかな。

谷岡さんへの電話はすぐに繋がった。ところが、電話口の様子がどうもおかしい。

「あ、もしもし。谷岡さんですか。今、駅についたんでこれから原稿をいただきにあがろうかと思うのですが…」

「……なんで今電話してきた」

「えっ…あの…」

「あがってねぇよ。当日に言われても。バカかお前」

「あ…でも…」

「出直せ(ガチャリ)」

「………えええええええええええ?」

取りつく島もなし。超不機嫌。当然、パニック。慌ててU編集長に電話。

「あのー…谷岡さんを怒らせてしまったようなんですけど…」

「うーん…まー、じゃー、〆切りはまだ余裕あるから、明日謝りに行け」

「でも……」

「ま、いいから。とりあえず編集部戻って来いや」

「はい…」

すごすごと編集部へ戻る。そして、深く深く落ち込む。そんな僕の様子を知ってか知らずか、編集長は特に何も言ってくれない。悶々とした気持ちのまま迎えた翌日。おそるおそる谷岡さんに電話をかける。

「あの…昨日は申し訳ありませんでした。…あの…もしご迷惑でなければこれから伺いたいのですが…いかがでしょうか…」

「……ああ、いいよ」

「では…すぐに向かいます…」

全速力でご自宅へ向かう。いろんな謝り方を考えながら。心臓バクバク。

「よう。入れ」

あれ? あんまり怒ってない…かも…。

「ま、座れ」

机の上には原稿が入った封筒。もうあがっていたらしい。

「びびったか?」

「え?」

「びびっただろ。豊田君」

「びびった…っていうか…え?」

「びびったか! それは良かった! はははは」

「……」

「あのな、俺は新人編集には最初にガツンと言ってやるんだ。じゃないとつけあがるからな。そうか、びびったか!」

「はい…」

「いやぁ、そうかそうか。あ、原稿はあがってるから。持ってけ。あとな、俺は今日が本当にギリギリの〆切だってことも判ってるから、サバ読もうとしても無駄だからな。ただし、年末とゴールデンウイーク進行だけはちゃんと管理してくれよ。Oのバカ野郎みたいなことはすんな」

「はぁ…」

「ま、これからもよろしくな。今日はギリギリだから引き止めないけど、今度ビール出すから、飲んでってくれ」

「はい…えと…じゃあ…ありがとうございました…」

「おう、またな」

家を出る。茫然自失。要するに…からかわれてた…っていうか、躾けられたって…っていうことか。あ、編集長も知ってたのか?

…とまぁ、混乱した頭のまま印刷所へ。無事、入稿。この日のことは、その後も度々僕と谷岡さんの間で話題にのぼった。

「あんときの豊田君、顔真っ青でさぁ。はははは」

「いやぁ…勘弁してくださいよ…」

なんていって。

実際、それ以降「怒られる」ということは一度もなかったはず。〆切りも本当にギリギリを把握していて、気分が乗って早めにあがったりすると谷岡さんから「今から取りに来い!」と電話があり、行ってみるとキンキンに冷えた瓶ビールとカツ丼が用意されていて

「今日は余裕あんだろ? ビール飲んでいけ! メシも食っていけ!」なんて言われることもしばしばだった。

なお、谷岡さんはなんだかんだ言っても前担当のO氏を気に入っていて、上記の「事件」なんかも、酒の席での定番の笑い話だった。(この記事、あと2回続きます)

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