谷岡ヤスジ氏のこと しょのさん

※これは、はてなダイアリーで2005年に書いたテキストの転載です。

今回と次回で書き記すことは、もしかしたら谷岡さん自身が書かれることを望まない、踏み込み過ぎたことかもしれない。でも、当時のことはこれまでも、そしてきっとこれからもほとんど書かれることはないと思うので…あえて書き残しておこうと思う。


あれは、たしか恒例の「肉体自慢」からの流れだったように記憶している。

「ちょっとココ触ってみろ。なんかグリグリがあるんだよ。なんだろうな」

そういって谷岡さんは耳の下のあたり、リンパ腺のあたりを僕に触らせた。たしかにそこには豆粒大の「グリグリ」があった。

「脂肪の固まりかなんかじゃないですかね。僕もありますよ、ほら」
「どれ…ああ…でも、●●君のはやわらかいだろ。俺のはグリグリしてんだよ」
「ちょっと落ち着いたら病院行ってみたらどうですか」
「そうだなあ…」

そんなやり取りが、二〜三回あったと思う。
実際に谷岡さんが病院へ行き、そのグリグリの原因が癌であると知ったのは最初のやり取りからしばらく経ってからだ。最初のやり取りからしばらく経ってからだ。


谷岡さんは実は二回入院している。
最初の入院のことは、当時、身内の方や連載担当編集者などごく一部の人以外には知らされていなかった(と、思う)。連載は谷岡さん自身の強い意向で休むことなく続けられていたし、何より谷岡さんから入院の事実は伏せておくよう、キツく言われていたからだ(ただ、谷岡さんには内緒で編集長U氏にだけは伝えてしまっていた)。入院中の原稿は基本的に谷岡さんが奥さんに託し、それを僕が自宅で受け取るという方法をとっていたのだが、ある時、どうしてもその方法がとれず、病室へと直接伺うことになった。


病室の前で手を消毒する。使い捨てのマスクをつける。なんとなく不安な気持ちでドアをノックする。すると中から「おう!」と谷岡さんの声。おそるおそる入る。
するとベッドの上で谷岡さんは、いつもとまったく変わらない様子で座っていた。

「おう、悪いな!」
「…どうですか、調子は」
「まいったよ…看護婦に大人気でさ!」
「え?」
「モテちまって困ってんだよ。●●君にも紹介してやろうか?」

拍子抜けした。その時の谷岡さんは、本当に「元気」としかいいようがなかった。僕と谷岡さんはいつもみたいに女の口説き方について話したりして、病気ことなんかすっかり忘れて笑い合った。ちょっと名前は出せないけど…当時闘病中だったある人の名前をあげて「××より先に死ねるか!」なんてことまで言っていた。


しばらくして治療は終わり、谷岡さんは退院した。
その段階で本当のところ病状がどうだったのかは僕は知らない。でも、僕も、そしておそらく谷岡さん自身も「これで治った! 安心だ!」と思っていたはずだ。
そしてその直後、僕は部署の異動に伴って谷岡さんの担当から外れることになった。

担当最後の日、僕は恥をしのんで谷岡さんに色紙を差し出した。
「担当編集者がこんなことお願いするべきじゃないんですけど…サインください」
「おう、いいよ。何描いてほしい?」
「バター犬でお願いします」

谷岡さんは色紙にデカデカとバター犬を描いてくれた。

「ま、酒飲みたくなったらいつでも来いよな。●●君には彼女も紹介しなきゃならないからな」
「そうですよ。お願いしますよ」


谷岡さんの担当は、ベテラン編集のSさんに引き継がれた。
そしてSさんが、谷岡さんの晩年の担当者となった。


その後、異動先での慣れない仕事に追われ、谷岡さんの家へ行くことはなかった。時間さえあればいつでも行けると思っていた。元の部署へはいつかは絶対戻るつもりだったので、また担当できると思っていた。担当させてもらいたいと願っていた。
でも、その願いは叶えられることはなかった。


二回目の入院は、編集長U氏から伝えられた。ただ、その時もまだ僕は何も心配していなかった。またすぐに退院すると信じていたのだ。でも、いつまで経っても退院の知らせは聞こえてこない。さらにしばらくして僕はU氏に、お見舞いに行きたいから谷岡さんの入院先を教えてほしいと言った。その時のU氏の返事は、「お前は行くな」というものだった。

「谷岡さんはすっかり様子が変わってしまった。お前、谷岡さんのことが本当に好きだっただろう。だったら、今の状態はお前にはショックが強すぎる。会うな」


食い下がるのもためらうくらい強い調子だった。納得できない気持ちはあったけど、それまでほとんど見たことのないU氏のシリアスな様子に、僕は黙るしかなかった。


谷岡さんの訃報を聞いたのは…出社してからだったか。それとも携帯に誰かから連絡を貰ったのか。よく憶えていない。その知らせにびっくりしたというよりも、なんだか…身体からすっかり空気が抜けてしまったような感じがした…ように思う。
「ああ、そっか。そうなんだ」なんて、なんの意味もないことが繰り返し繰り返し頭の中をぐるぐる回っていたような気もする。こう書くとひどく嘘っぽいけど、その時は悲しいとかショックとかはあんまり感じなくて…ぼんやりしていたのは間違いない。


谷岡ヤスジ、逝去。1999年6月14日のこと。


(つづく。次でおしまい)

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