谷岡ヤスジ氏のこと しょのよん(最後)

※これは、はてなダイアリーで2005年に書いたテキストの転載です。

あとは、谷岡さんのことというより、僕個人の思い出になってしまうんだけど。


葬儀は谷岡さんの自宅で執り行われた。谷岡さんの功績や知名度から考えると、ややこじんまりとしたものであったといえるだろう。通夜と告別式は、谷岡さんと縁が深く結果として絶筆を掲載することになった、僕の所属する雑誌編集部が主に仕切った。僕の役割は駅からの道案内係…案内板を持って道ばたに立つ係だ。この時も、「ああ、さすがにいろんな方がいらっしゃるんだなぁ」なんてぼんやり考えていて、泣いてしまうほど悲しいというわけではなかった。


通夜が済み、編集部員達と駅近くの居酒屋に入った。谷岡さんに献杯し、もそもそと言葉少なにそれぞれ箸を動かす。酒が入ると饒舌になるSさんが、通夜の列席者のことを「あいつハゲたよな〜」とか「まだ生きてたんだ××さん」なんて毒舌まじりに話題にするけど、それほど話は盛り上がらない。ふと話が途切れたとき、編集長のU氏が言った。

「おい、●●(僕の名前)よぉ」
「はい」
「お前さ、この前の会議ん時のアレさ…俺はなんだかグッときちゃったよ」
「え、なんですか」
「誌面にさ、谷岡さんの訃報記事を1ページ使って載せることになっただろ。その記事を誰が作るかってなった時、お前真っ先に手ェ挙げただろ」
「はぁ」
「ああ、こいつはホントに谷岡さんのこと好きだったんだと思ったよ、俺は」
「はぁ…でも…担当者だったんで…」

その後はもう続かなかった。なんだろう、変なタイミングで優しい言葉をかけられたからなのか、僕は堰を切ったように号泣してしまった。おしぼりでなんとか声を抑えようとしたけど嗚咽は止まらない。周りの客が怪訝そうに見つめる中、僕はずいぶん長い時間泣いていたと思う。


考えてみれば、谷岡さんにとっての僕は、ある部分において「子供」みたいなものだったんじゃないかと思う。仕事以外で遊びに行ったり、外へ連れ立って飲んだりしたことも数回しかないし、何より(他の多くの谷岡ヤスジ担当編集者にくらべて)担当した期間が短かったので、ひどくおこがましい考えではあるんだけど(ちなみに僕は谷岡さんの娘さんと同い年である)。

逆に、僕にとっての谷岡さんはなんだったのか考えると…これもまたおこがましいけど、やっぱりある部分において「父親」だったと思う。厳しくて優しくてなによりカッコよくて…。担当編集者としてそんな風に著者を見てしまうことはあまりいいことではないと理解はしている。でも、谷岡さんに対してだけは、ごめんなさい、かなり胸張って「就職以降の僕にとっての父親みたいなもの」と言い切ってしまえる。


そして翌日、告別式。通夜の際と同じように、僕は案内係をこなした。御焼香へ向かう人が途切れたので谷岡さんのご自宅へと戻ると、故杉浦幸雄先生が谷岡さんへ弔辞を述べている最中だった。身内の方に支えられながら最後に杉浦先生は「なんで先に逝っちまったんだ!」と、本当に、本当に悔しそうに言った。


そう、谷岡さんと杉浦先生はとても仲がよかった。

一時期、僕は杉浦先生の担当もしていたので、ちょくちょく谷岡さんに「杉浦さん、元気か? あいかわらずか?」と聞かれた。今では信じがたいことだけど、全盛期の谷岡さんはその人気とは裏腹に(当時の)大御所漫画家達からは敬遠されていたらしい。谷岡さんによると、その時、唯一かばってくれたのが杉浦先生だったという。これはちょっと確かな記憶ではないんだけど…谷岡さんが文春漫画賞かなにかの賞にノミネートされた時、もっとも強く推してくれたのも杉浦先生だと話していたように思う。谷岡さんと杉浦先生の年齢差は約30歳。でも、谷岡さんの口ぶりはそんな歳の差なんて感じさせない、非常に親密なものだった。そんな谷岡さんをきっといつもニコニコと迎え入れていた杉浦先生にしてみれば、先に逝ってしまったことは心底無念だったに違いない。


谷岡さんの奥さんの心遣いにより、僕は火葬場まで同行することを許された。でも、火葬場でのことは何ひとつ憶えていない。行きと帰りのマイクロバスの中で、「今日という日を、今日起きたことをずっと忘れないでおこう」と思ったことは憶えているのに、その間のことがすっぽりと抜けてしまっている。


それからほどなくして……僕は谷岡さんの追悼作品集を手がけることになった。谷岡さんが亡くなった時点で、容易に入手できる単行本は1冊もなかった。


夏の真っ盛り、僕は谷岡さんの自宅を訪れ、押し入れに詰め込まれたすべての原稿をひっぱりだした。それを作品ごとに分類し編集部へと持ち帰り、30代の先輩Y氏と晩年の担当者であるS氏とともにその全てに目を通した。不謹慎だけど…幸せな時間だった。目の前にすべての生原稿がある! 谷岡ヤスジワールドがここにある! 僕達3人で下読みした作品の中から特に推薦するものを夏目房之介・呉智英両氏に読んでいただき、さらに厳選した作品群に加え、谷岡さんを敬愛する漫画家やアーティストのトリビュート作品を収録した単行本…それが『天才の証明』だ。その無限とも思える谷岡ワールドのほんのちょっとさわりだけしか紹介できなかったけど、僕はこの単行本を手がけたことを誇りに思っている。

谷岡さんの担当をしていた頃の、ある深夜。谷岡さんが直接僕の自宅に電話をかけてきたことがあった。電話の向こうには、僕がここまで書き記した「谷岡像」とも、いろんな場で語られている「谷岡像」とも異なる、非常にシリアスな谷岡ヤスジがいた。あえて言えば、そこには谷岡泰次がいた。谷岡さんのことについて、もううまく思い出せなくなっていることがいくつもあるけれど、あの電話だけは一生忘れない。


おしまい。



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