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学校に行きたくなかった私の心の内、子どもを不登校にさせたくないと悩んでいる親御さんへ。

お久しぶりです、ユメです。
大学卒業を前にバタバタとしてしまって更新がなかなかできずにいます…

最近なのですが、友達や家族に高校の時の自分を話してみたくなってしまいます。誰にもわかってもらえないと思っていた私ですが、時間が経って落ち着いてきて、他人への信頼も人並みに戻ってきているからだと思います。

でも、やっぱり、話すことはなかなか難しいなと思います。
なので今回は、学校に行きたくない頃の私が考えていたことを書き出してみようと思います。あわよくば、親への気持ちも少し書こうかなと思います。

なんで学校に行きたくなかったの?

私の場合は行きたくない理由は明確でした。高校の雰囲気がとても苦手だったのと、2~3人の友達からの関わり方で悩んでいたからです。

①集団としての雰囲気が苦手だった
 当時は少しも思いませんでしたが、振り返ってみると私は集団生活がとても苦手だったと思います。嫌なことは頑張らなくてもいいのかもしれないけど、まず嫌だと思っていいのかわからなかった。武道館など締まり切った場所に300人ほどギュウギュウに集まるとき、柔軟剤のにおいが混ざってしんどかった。子どもの私は、そんなことを嫌だと思っていいのか分からなかったわけです。
 なによりも、自称進学校だったので意識が高く関わりづらかったことを覚えています。学力が高いことは尊敬に値するけど、だからといって学力と人間性が比例するわけでもなく、蹴落とし気質なひとも結構いました。発達障害なのかストレスなのかはわからないけど、手が出る子も多く苦労しました。
 全体的に賢い人が多かったので、いじめや嫌がらせを隠れてやりながらも、一見すると完璧で良い子を演じている人がまあまあいました。

②人間関係
 よくあることかもしれないのですが、ちょっとしたイジリをしんどいと思ってから人間関係で悩み、学校に行くのが嫌で毎日泣きながら寝ていたことを覚えています。
 私は容姿があまりよくないのですが、それでも最低限の清潔感は頑張っているつもりでした。でも、顔に特徴があると叩かれたり、もっと形がひどくなるよう変形させられることもあるんです。それは仲良くなるためのイジリだったのかもしれないけど、私が真顔で「本当にやめて」といっても誰もやめてくれなかったし常に取り巻きの2~3人が笑顔だった。自分がこんなに苦しくて辛い思いをしているときに、自分以外の人間がとびきり笑顔であることが恒常化していたので、対人不安を抱くようになりました。この世の中はすべて絶対に私を傷つけるという条理は、このとき獲得したのかなと思います。
そうでなきゃ、自分がこんなに苦しい説明がつかない。

本当に本当につらかった。

つらい、つらい、つらい、何度書きなぐっても、次第にその言葉の限界に気づいて薄っぺらく感じられていくくらい。

忘れるために、そして遺書で憎い相手を突きつけるために、自死を選んだとて。
あの地獄のような時間はなかったことにはならないし、誰かにとっては楽しい思い出であることが辛い。どこまでも辛い。死んでも報われない。

やっぱり、あの時ぜんぶ捨てて逃げればよかったなあ、とよく思います。

だって、どうにか卒業することだけが目標で、そのためには歪んだ不条理ばかりを飲み込む必要がありました。それが私の生きる術だったのです。

自分は不細工すぎて人を嫌な思いにさせるから叩かれて当然なんだ。
自分は大事なところで主張しないからボロクソに言われても仕方ない。
嫌だと思う自分がおかしい、いじめてくる人は正常だ、正しい、強い。
私は苦しんだり悩んだりしていい人間じゃない、誰かに相談していい人間じゃない。

学校という戦場を生き延びるために考え方を歪ませて生きてきました。
でも、それは将来何の役にも立ちません。

むしろ、幸せになる際に大きな障害になります。
幸せになれる環境を前にしても、自分が死ぬほどつらい思いをして獲得した生き方が機能しないかもと怖くて、幸せを選べなくなります。

私は大学に入ってからも様々な自傷行為の連続でした。たくさんの出会いや経験で、幸せをたくさん目の前にしていたのに、目をそらし、機会を逃し、不幸せになる道ばかり選んでいました。

不幸せって幸せになれればハッピーじゃないんです。自分がどれだけ不幸せだったのかを思い知らされて、ずーっと辛いんです。

だから、どうか、できるだけ幸せになれる選択をしてほしいです。
それは人によっては、ケアをしながら頑張って学校に行き続けることかもしれないし、転校や中退かもしれない。幸せに正解はないように、学校に行かせるかどうかだって正解はないし、正解だと思えるような生き方を選べばいいと思います。長期的な目で、たくさん考える。

「不登校は甘えてる」「学校に行っている方が偉い」なんて言葉をききますが、そんなの思考停止した赤の他人の独り言です。家で休む期間が必要かもしれないし、環境を変えた方がいいのかもしれない、思考停止して子どもを叱責して無理やり登校させるよりも、子どもとゆっくり考え続けるほうがよほど立派です。
答えのない問いを一緒に考えてくれる大人が一人いるだけで、世の中への安心感がまるきり違います。

親御さん、もうここまで、こんな私の記事に辿り着いてしまうまで、たくさんのことを調べ尽くして疲れているかもしれません。
でもそんな人が一人でもいてくれるだけで、世の中の全員が全員敵だと思わなくていいのは、心強いです。本当にありがとう。

欲張りを言うけど、ときには辛い気持ちを一緒に共有しながら、一緒に生きていってほしいです。親としてこうすべき、というより、一人の人生を対等な立場で一緒に考えてほしいんです。学校に行く行かないは、生き方であり、到達点ではありません。子育てが上手くいってないとかじゃないです、絶対。
良い親かどうかなんて、育てられた子どもにしかわからないはずです。

私は疲れ切って帰ってくるため学校での様子も伝えきれず、また親からもらった容姿で悩んでいたこともあって、気持ちを伝えることがなかなかできませんでした。少しでも休む期間があれば、整理したり伝えることができたかもしれないし、こんなにも苦しく尾を引きずることはなかったと思います。

でも、それでも、こんな私でも、何とか生きて前向きにやっているので、親御さんの判断がすべてでは決してありません。良かれと思って、学校に行かせようとしていることも十分わかるし、こんなことで悩んでしまう子どもでゴメンねとよく思います。一緒に過ごして話したり、考えたりする時間が大事だと、22歳になって改めて思います。

最後になりますが…結局この記事でも、欲しい答えをハッキリ、ポンっと出せるわけではありませんでした。でもこんなふうに、ゆっくりお互い休みながら、一緒に生きていければこの上ないほど素敵だと思います。親子ともども心と身体を大切に、幸せに生きていきたいものですね。

画像は、母と福岡旅行に行った際の桜の写真です♪
とてもきれいで感動して、母とこういう素敵な時間を共有できたことが嬉しかったので設定しました。



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