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子なし女の「老いがい」

第3回目のRelight Committee 。テーマは「老い・経年(身体と時間)」。

今回のRCは「子どもがいない」ということを強く意識した1日になった。「子どもにどう説明するか?」「老いをどう考えるか?」という問いかけに答える時、実際の子どもの有無や、子どもとの関わりについてどうしても向き合うことになる。皆にも、42歳になって子どもを授かる可能性がほとんどなくなったこと、積極的に子どもを産まない人生を選択してきたわけではなく、自然な流れでこうなったことなどを話した。私の場合、「老い」は血の繋がった家族を持たないという前提から始まることになる。

今、私のような立場の人はいったいどれくらいいるのだろう。まずは一番身近な、毎日働いている職場を改めて眺めてみた。フロアにいる40代以上の女性社員11人のうち、子どもがいるのは1人。残りの10人は子どもがいない人たちだ。(男性社員は人数が多いので数えるのは諦めた。) 身の回りには結構多い。

では、日本全体ではどうだろう。調べてみたところ、生涯無子率の統計は公には存在しないようだった。唯一見つけられたのが、『超ソロ社会』(2017)の中で著者の荒川和久さんが推計したこのデータである。

日本の無子率推計
2010年 男31.2%. 女21.2%
2035年 男41.4% 女32.0%

出典: 国立社会保障・人口問題研究所
『日本の世帯数の将来推計』より
荒川氏作成

推計であるため、そのまま数字を鵜呑みにすることはできないが、普段の実感とそうかけ離れていないように思う。私ももはやマイノリティではないのかもしれない。

子どもがいないということにマイナスイメージを持つ人は多い。私自身、そういう意識に思い切り洗脳されている。昔、バイト仲間が「子どものいる人といない人って見ただけで分かるよねえ」と言っていたのを今でもよく思い出す。(彼女は今では3児の母親だ。)男女ともに、お母さんが子どもに向ける優しさに溢れた眼差しには、なんとも言えない温かさを感じ、心惹かれるものだ。
(そのなんとも言えない温かさは、この講座の後に行ったRCメンバーのりっちゃんのライブでも感じたことである。歌の途中で、2才の娘さんの「ママっ!」「ママ、しゅごいね」という絶妙な合いの手が入る。りっちゃんが「ありがとうございます」と答える。そんなほっこりしたやりとりがライブならではの醍醐味になっていた。)

もちろん、子どもがいなくても、"わぁ、この人むちゃくちゃいいなぁ"と思える先達もたくさんいる。例えば、最近話題になったDJ SUMIROCK こと岩室澄子さん、82歳。アジア最高齢のDJだ。高田馬場にある餃子荘ムロで働きながら、副業としてクラブでDJをしている。特段結婚に興味がなかった岩室さんは、パートナーとは恋人として長年を過ごした。子どもはいない。
だが、そんな岩室さんの周りは若者で溢れている。昼は学生街で餃子を作り、夜は若者と一緒にクラブを楽しむ生活だ。岩室さんはこう言っている。自分にとって、餃子を食べて喜んでもらうのと、自分のDJで楽しく踊ってもらうのとは同じこと。どちらも喜んでくれるのが直接伝わるから嬉しい。年齢は全く気にしない。とにかく身体を動かしているのが好きなのだ、と。

岩室さんが注目されるのは、彼女のしていることが世間の「若さ信仰・元気信仰」のイメージに合致しているから、ということも確かにあるだろう。けれど、岩室さんを単なる「元気な老人」という観点からでなく、「子どものいない老人」という観点から見たとき、その生き様はひときわキラキラしたものとして映る。
たとえ血の繋がった子どもがいなくても、自分がやりたいことを媒体にして、多世代にコミットし、若い世代と互いに刺激しあうことができたなら、それはかなりの「老いがい」になるのではないだろうか。

もう一度、職場を見渡してみる。眼に映るのは一見ぱっとしない中年の独身女性たち(←愛情を込めてこう書いてます)。
この人たちが老人になり、世の中の多様なコミュニティと接触して、いろんな世代をざわつかせたら世の中はもっと面白いものになるだろうな、と思う。普段誰にも注目されることはないけれど、この人たちは実は可能性に満ち溢れた中年なのではないだろうか。

家族のいない老後は寂しい、そんな常識を蹴散らかしながら老いていきたいものだ。さあ、これから。何を媒体にして、どこへ出かけてゆこうか。

(注)冒頭の写真中、左手2冊はInVisibleの江口晋太朗さんが今回の講座で使用されていた書籍をお借りしたものです。

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