好きなことだけして生きていく覚悟。人生の責任はじぶんで背負う。
毎日毎日、ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドをやり込んでいます。楽しくてしょうがない。
たぶん10代の頃から、適当にお金を稼ぎながら、ゲームばっかりして生きていきたいと思ってました。
いま、その理想が叶っていますが、正直、くだらない夢ですよね(笑)
でも、こうしたくだらない夢を、くだらない夢だと笑って終わらせたくないんですよね。
好きなことだけして生きていくって、覚悟がいるんです。それに、全然かっこよくない。
もっと真剣に考えろとか、無責任だとか、人生甘く見過ぎとか、わがまますぎるとか、いろいろ言われますよ。(フリーター時代、陰口叩かれてましたよ、はい。)
でも、責任ってなんでしょうね。
父の責任、家族の責任
うちの父は、うつ病になり、アルコールに逃げ、結果、体を壊して逝ってしまいました。
「ふつう」に考えれば、家族にとっては無責任な父親ですよ。
でも、わたしは、父自身が父に対して無責任な行動をしたのだな、と思ってます。
家族って守られるだけじゃないんですよ。守ってもらわなくても生きていけるし、そのためのチカラは身につけられる。いくらでも。
だから、父はアルコールに逃げるまえに、じぶんの人生に責任をもって、行動してほしかったなあ、と、いまでも思います。
「好きなことをしたい。おまえらがいなかったら、いつでも離婚するのにな。」
晩年の父の口癖でした。家族を持ち出して、じぶんの人生を縛り付けられてるフリをするなんて、とっても卑怯ですよね。
わたしたちは、父がいなくなったら、確かに寂しさを感じたかもしれないけれど、「家族のために」という父の呪いの中で生きていくより、よっぽどよかったように思います。
「家族のために」という言葉は、わたしにとっては重すぎる。
義務なんて感じることなく、父が父らしく、好きなように生きてほしかった。それを無責任だなんて思わない。
家族はたまたまそこにいるだけで、(もちろん、法的な扶養の義務などはあるけれど)最終的には、「個人」なんです。
わたしは、好きなことをやるようにしています。
仕事をしながらお金を稼ぎ、大好きなゲームをして過ごしている。そこに夫や子どもたちがいる。みんながリビングに集まってテレビをみたり、各々静かにスマホで遊んだり、ときには集まってボードゲームをやったり。
わたしは、それでいい。それが、いい。
好きなことをやって生きていくということは、じぶんに起こりうるすべての責任を、じぶん自身が引き受けるということ。
そうぼんやりと思いながら、今日も仕事をしながらゲームをしています。
もうすぐ、亡父の誕生日。
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