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短編小説 スノードーム

大陸の北に位置する、大国たちのあいだに、まるでたてたビンのようにすっぽりとおさまった小国を、すこし長めの出張でおとずれた。

「ビンのようだ」と思ったのは季節のせいもあるかもしれない。

冬の厚い雲が、ぴっちりとしめられたフタのようにいつも頭上をおおい、真っ白な雪が、積み木のような建物の上にも、狭い道の上にも、すっかり葉を落とした樹々の上にも、たえまなく降りしきる中を歩いていると、まるでスノードームの内側に閉じ込められたかのように感じられる。

 そんな小さい国の、これまた小さい街の、仕事のあるビルディングからホテルにもどる道の途中に、小さなアンティークショップがあった。といっても、ひかえめな看板に英語 表記もあったからそうわかっただけで、ひととおりのみやげものなら帰りに空港で買うことができるし、アンティークなどに興味もないわたしは、きれいにみがき上げられたウィンドウをのぞきこむこともなく毎日その前を通り過ぎていた。

けれどもある日、会議が早くおわって、めずらしい雪の晴れ間をのんびりと歩いていたとき、ふと、ウィンドウに飾られたセピア色の少女の写真に何気なく目をやった。

次の瞬間、からだに電気がはしったような感覚におそわれた。

長い髪をしたその少女のきまじめなおもざしに見覚えはない。しかし彼女が抱いているテディベアは……。

 アルフレッドだ。見まちがえようがない。アルフレッドだ。ごくありきたりのテディベアなのになぜそう決められるのか自分でもわからないけれど、とにかくなつかしさに涙さえこみ上げそうになりながら確信した。このテディベアはアルフレッドだ!

 どれほどの間その写真を見つめていただろう。気がつくと木でできた店の扉が半分開かれ、店主らしき人物が何か言っている。かなりなまりのつよい英語と、この国の言葉とであったが、状況からしても招き入れようとしているのはわかる。ふだんならここで、 

「わけもわからず高価なものを売りつけられでもしたらことだぞ。」

と警戒心がはたらくところだが、そのときはアルフレッドに導かれるようにしてすんなりと店内に足を踏み入れていた。澄んだ緑色の目をした老婦人の物腰に、なんとなく安心感を抱かせるものがあったためもあるだろう。

決して広いとはいえない空間だが、清潔感がある。どこかなつかしい、独特の匂いが漂っている。手入れされた数点の家具のほかに、色とりどりのおもちゃだとか、それこそ季節柄か大小のスノードーム、絵本、古い絵葉書、温かみのある絵柄の食器などが、一見したところ雑然と、しかし親しみやすいように並べられている。

わたしを招き入れた銀髪の婦人は、少女の写真を木彫りの額縁のついた写真立てごとそっと持ち上げて、値段を告げた。拍子抜けするほど安かったのだが、買う前にどういう写真なのか知りたい、ということをゆっくり英語でたずねてみた。しかし、むかしこの街に住んでいた少女だということしかわからない。もしかしたら、写真の裏に何か書いてあるかもしれないと思ったのだけれど、もろくなっているから開けるな、さわるなという。

その声を上の空に聞きながら支払いをすませて、ていねいに包んでもらった写真立てを、また降りはじめた雪からかばうように持ってホテルへと急いだ。

 四角い小さな部屋の小さなデスクの上で包みをひもといたわたしは、しばしあ然とした。

少女は行儀よく手をひざに置いて座っている。テディベアは……アルフレッドは、どこにもいない。

あのクリスマスの朝、ものごころついたころからいちばんのお気に入りだった絵本の、ページというページの中から消えてしまったときと同じように……。

泣きべそをかくわたしに、母は困ったように、

「最初からこのご本は真っ白なページに好きな絵とおはなしをかくものだったのよ。あなたは何にもかかないまま飽きずにながめていたけれど……。いいえ、くまさんなんていなかったわ。」

とくりかえしていた。

 アルフレッドという名前のテディベアが活躍する物語の細かいところは覚えていないとはいえ、アルフレッドのおもかげだけは、幼いわたしの夢と片づけてしまうには、あまりにもはっきりと心に焼きついているのだが……。

そういえばあの日、雪をみたことのないわたしのためにと、「外国に住む大おばさん」という人から大きな美しいスノードームがおくられてきて、失われたアルフレッドの代わりにずいぶん長くわたしをなぐさめてくれていたのだったな、とぼんやりとした記憶がよみがえってきた。

もしかしたらわたしはいま、あのスノードームの中にいるのかもしれない。どこかのアンティーク店の片隅で、アルフレッドのとなりに。

#小説

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