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沼とはやはり泥沼であって

先日、ラグビーの国内最高峰リーグ「リーグワン」で騒動がありました。片方のチームで多数のコロナ陽性者が出たのですが、その時の判断にいろいろあり、試合開始2時間半前にして中止が発表されたのです。

これまでもコロナによる試合中止は何度かあったのですが、試合開始の直前というのははじめて。しかもその試合はシーズンの最終戦。片方のチームは今シーズンをもって大幅に活動を縮小することが発表されていたこともあり、大阪から東京へ遠征するファンも多数いて、ショックを受けた人たちがかなり荒れていました。

ラグビーとファンの関係

実は、かくいう私も東京へ向かう特急の中で中止を知りました。中止はショックでしたが、私よりはるかに遠方から来ている方を思うと不憫だなということと、これはまたSNS界隈が荒れそうだ…(というかすでに荒れているぞ…)ということが先に立って妙に冷静でした。

ラグビーは他のスポーツに比べれば紳士的でおとなしいファンが多いのですが、その代わり知的な方が多く、不満に対して理詰めの傾向があります。嫌味がキツいというか細かいというか。

しかも、ラグビー協会は以前から何かと運営の杜撰さとかファンサービスの悪さが指摘されていて、人事に関してトラブルもあったりと、何か大きな権力におもねるような、奥歯に何かが挟まったような、旧態依然としたところがあります。ラグビーファンは長らくその腰の重い運営体制に耐えマイナースポーツとしての苦渋を嘗めてきたのですが、2019W杯の成功で新規のファンが増えたあたりから「今こそ一気に畳み掛けて人気スポーツへ駆け上がっていかねば!」という焦りを表すようになった感じがします。

そんなわけでその日は予想通りtwitterは荒れ荒れ。
会場横のスポーツバーも荒れ荒れでした。

怒りの感情に生産性はあんまり無い

ただ、荒れてるとは言ってもなにしろ理詰めなので、みんなそれぞれに「協会はもっと○○すべき」「そもそも○○ができていないんだ」「責任者が出てくるべき」など、単に怒り狂っているというよりはトラブルの原因と解決策を口々に言い合っている感じでした。

私自身は、もちろんやるせない気持ちはあるのですが、元来が天邪鬼な性格なので、周囲が怒りを露わにすればするほど「まぁでも私が文句言ってもねぇ」とか思い始め、しまいには「うっせーなー。野球見よ」みたいな気分になっちゃってました。

どんなに怒ったところで実際になにがあったのかを知ることはできないし、解決策をあーだこーだ言ったところで本当の解決策になっているかはわからないのです。もしかしたら、もっと想像を絶するトラブルがあったのかもしれないし、もうすでに然るべき人が解決に動いているかもしれない。それに、おそらくこんな状況では誰がどんな説明をしたところで「なるほど!納得!」となるわけもなく、挙げ足取りのような事態になるだけなのはわかりきっています。だったらネガティブな発言を連ねるよりも、そっと事態の進展を待つか事態収集に奔走する人たちを労うほうがよほど生産性があると思うのです。

それと、「選手のため」「チームのため」という立場を借りて不満を言うことが、本当に選手のためチームのためなんだろうか?ということも気になりました。選手は当然ながら悔しい悲しい思いをしています。ただ、どんなにこちらが怒り狂っても、選手の感情は選手のもの。本当の想いや事情は推しはかりようもないのです。そして選手のほうがはるかにこの状況に対して当事者として意見も言える立場にある。ファンが曖昧な情報と憶測であーだこーだ言うことは、下手すると選手にとって雑音や妨害になる可能性すらあるんじゃないかと不安に思いました。

昔は、熱狂的なファンと言ってもTVの前でわめいているだけの人が大半で、投書でもするか球場に言って叫んだりでもしなければ、直接選手やチーム関係者に声が届くことはマレでした。どんなに辛辣な発言も暴言も、良くも悪くも家庭内や居酒屋に消化吸収されていったのです。(そのせいで阪神嫌いになった子供達はけっこういたみたいですが。)

ところが、今は発言と言えばSNSに書き込むこと。つまり選手やチームにも簡単に発信が届いてしまいます。いいコメントも悪いコメントも、相手にも他のファンにも届いてしまう環境で発言するのは実はけっこう怖いことです。

沼とはあくまでも”泥沼”

選手のためにと発言することがかえって雑音になってしまう現象は、今回のようなネガティブな発言だけでなく、純粋に応援する場合にも起きているような気がします。

最近はチームや選手もファンサービスに熱が入っていて、公式SNS、YouTube、会員限定サイト、イベントなどなどこちらが追いつかないくらいの情報を出してくれます。反対にこちらのSNSにコメントをくれたり、イイねを押してくれることもあるでしょう。コロナもあいまって、オンラインで会話ができる機会なんかもできました。ガードが硬いアイドルタレントよりも、かなり身近に選手と接することもできると思います。

加えてファン同士のコミュニティがあり、会場に行ったファンが高画質カメラで撮影したり(プロ並みのレンズを抱えたファンがたくさんいます)、イラスト描いたり、漫画にしたり、コミケで売ってる二次創作モノと見紛うものすらあります。

趣味にハマることをいわゆる“沼“と言いますが、本来の沼の定義は湖よりももう少し底が浅い水たまりを指すようですが、ここでいう沼とはまさに“泥沼“であり“底なし沼“。それほどファン歴がなくても、あっという間に立派な“オタク“が出来上がるほどには情報が溢れています。そしてハマればハマるほど、情報はよりパーソナライズされて入ってくるので、周囲の声は聞こえなくなってしまうのが現代社会の闇。

もちろんファンの熱心な応援は、選手やチームのチカラになるし、心から喜んでくれてるケースもたくさんあると思うのですが、中には「どうなんだ??」と思うものもかなり含まれています。選手は一応“公人“という自覚もあるので、露骨な表情は出しませんが、おそらく困ったプレゼントやドン引きしたファンの行動なんてたくさんあるだろうと思います。

ファン=広報と心得てみる

とはいえ、純粋に応援する気持ちや好きという気持ちをどう表現したらいいのか?どこにアウトなラインがあるのか?という判断は難しい。ファンだってスポーツの世界の大切なプレイヤーであり、ただ大人しくお金を払って観戦すればいいというものでも無いはずです。

少なくとも家のTVの前でひとり叫んでるだけなら、どんなに放送禁止用語だろうと言えばいいと思います。(人としてどうか、という問題は別として。)自分の家に隠し持ってるだけなら、どんなに気持ち悪い二次創作だろうと自由だと思います。(万が一家族に見つかったらどうか、という問題は別として。)

ただ、他人の耳や目にはいる環境では、やはり節度というものがあるはずで、私は「自分がそこの選手やチームの公式広報スタッフになった気分になってみる」ということをおすすめします。

広報というのは、基本的にはその組織や商品のポジティブな側面をアピールする立場です。現実にはいろんな事情があったり不満や不都合があったとしても、そこは押し殺して、できるだけ組織や商品をまだ知らぬ人たちにファンになってもらえるように努力します。万が一のトラブルで社会的に説明が必要な時には、誠実に事実のみを発信し続けます。もし自分の所属する組織や商品に対して言いたいことがあったとしても、それはあくまでも自分たちだけのコミュニケーションの中で伝えるべきで、表に出すことは内部分裂を周囲に曝け出すことで、一般的な企業広報ではあってはならないことです。

ちなみに私がこの姿勢を理解したのは、私が以前勤めていたホテルにまさにそれを実践してくれるファン=お客様がいたからです。その方は、何十回もホテルをリピートするだけでなく、“勝手に広報“を名乗り、ホテルのかっこいい写真を撮って自身のSNSにアップしてくださいました。そのおかげでその方のクチコミでたくさんの方が新たなお客様になってくれました。

下手をしたらちょっと偏執的なほどのファンなのですが、我々スタッフが誰ひとり毛嫌いせず個人的な友人関係になったスタッフが何人もいたのは、その方が滞在中は、要望を言うことはあってもマナーを守り、他のお客様を優先し、ホテルの良さを理解しようと積極的にコミュニケーションを取ってくださったこと。そして手放しで褒めるだけでなく、時には苦言もアンケートにはしっかり書き込んでくださいました。おそらく個人的な友人関係になったスタッフの中には、会社の愚痴や舞台裏を明かしてしまうこともあった(恥ずかしながら私もそのひとり)と思うのですが、そんな事情を知りながらもなお、SNSや周囲へはあくまでも“広報“として、ポジティブな発信を続けてくださる。

ホテルスタッフのひとりとしてありがたいというだけでなく、ファンの鑑というか、あるべき姿勢を学ばせてもらいました。

“推し“は“押し“であって選手を追い越しちゃいけない

スポーツ選手に限らず、“応援すること““応援する相手“を、最近は“推す““推し“と俗に表現します。この表現が品がいいかどうかはちょっと置いておいて、この表現は、おそらく“推薦する““押す“というニュアンスから来てると思います。

つまり、あくまで自分たちは後ろ側から押し上げる立ち位置なのです。主役である選手やチームのスタッフの感情を追い越してしまうような過剰な怒りや熱狂は、“推す“ことにはならないんじゃないかと思うのです。

そして、「されど推し」の前に「たかが推し」ということも忘れちゃいけません。選手には選手の人生があるように、私たちにも自分自身があって、“推し“に人生や日常の感情、まして負の感情まで振り回されているようでは、やっぱりちょっと痛いと言わざるを得ません。都合のいいところは元気をもらい、苦言はそっと表にわからないように当事者に伝える、そして自分以外のファンを増やせるように、魅力を理解した上で発信する。

そんなファンに私はなりたい。

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