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愛すべき下書きたちを供養する。

えるさんの記事を拝見して、そういえばわたしも書きかけの下書きがたくさんあるなあ、と過去の記事たちを覗いてみた。


タイトルだけ思いついて中身はなにひとつ書いていないもの
数行書いてしっくりこないな〜と思ったもの
何て文章力がないんだ…!と自分に落胆して、やーめたっといって投げ出したもの。(悲しい)

それぞれに「なんか言葉にしたいな」と心が動いた瞬間があったはずなので、少しだけ掘り起こしてみたいと思う。




心の拠り所は、義父母。そんな人もいるのです。

おそらく世間的には少数派だけど、義父母だいすきなわたし。
2人の醸し出す空気感も、おおらかさも、チャーミングさも、ぜんぶ大好き。2人が家に来ると(わたしから発せられているであろう)どんよりな空気が浄化される感じすらする。
そりゃ多少疲れはするけど、久しぶりに会う友達よりも疲れない。むしろ義母はちょっと年上の友達という感じ。向こうは知らないけどね。



親だけど、わたし大人気ないよ。

親になってもう8年になるけど、世間の親さんたちはそんなことが出来ててすごいな…わたしにはできないな、と思うことがある。
それは、自分の好物を子供にあげること。
「好きなだけ食べてもいいよ」と言える親に憧れたこともあったけど、わたしはどうしても、自分の好きなものは自分で食べたいのだ。分けたくない。あげたくない。なんとも大人気ない。
わかってるけどもうこの気持ちと食い意地は変えられないので、受け入れて、諦めて、これからもこのスタンスでいこうと思っている。



気持ちは分からない。たけど知りたい。だから話そうね。

メンタルの不調を抱えるわたしと、長年子供ができないことを悩む友人。
わたしは彼女の気持ちを推しはかるけど分かりきれないし、逆もそうだと思う。
分からないながらも話して、時には一方通行で話して、気持ちを想像して。そうやって一緒に生きていければいいなと思っている。


自分をすり減らさない場所をえらぶこと。

お世話になっているカウンセラーの方ととあるワークをしたのだけど、自分で思っているよりも「透明性」や「嘘のない」仕事を求めていることがわかった。まじめすぎだろと自分でも思ったけど、いまの正直な気持ちだった。
自分のそんな部分を押さえてその場の雰囲気に合わせていくのではなく、最初から自分と同じような考えの、無理をしない場所を選べばいいのではとハッとした。難しいけど、広い世界そんな場所もあるんじゃないかなとも思った。
「苦しいときこそ頑張ってなんぼ!」の根性論が染み付いていたわたしに、自分に合うところ(頑張らなくてもいいところ)にいくという新しい考えが自然に出てきた瞬間だった。




簡単に供養するつもりが、長くなっちゃうな。笑

他にも
・どんなわたしでもよい。それに可も不可も優も劣もないのだ。
・子育てはできるだけたくさんの人の手でするといいと、やっと今思う。
・ありがたく受け取る。いつか恩返しさせてね。
・しなくても生きていけるようなことをするのが、好き。
・朝散歩は、わたしの「心地よい」だ。
などなどまだまだたくさん。
(タイトル長め傾向、、、)

そのうち掘り起こしてみたいと思う。

愛すべき、未完成の下書きたちでした☺︎

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