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年の瀬の干し柿

「クリスマスが過ぎると、急に慌ただしく感じますよね。」
歯科の受付の女性が、ゴシゴシと年の瀬の磨き方でガラスを拭きながら言った言葉に
私もまったく同感だった。

クリスマス当日を境にして、
デコレーションがしめ縄へと姿を変えたり、
話す話題もお正月料理のことになったり、
年内に、という言葉を聞いたり言ったりするようになる。
もういくつ寝るとお正月、という歌も
しっくりくる。

年内最後の休日の今日、
それでは年内にしておきたいことは何かいな?と考えた。
やるべきことではなく、
やりたいこと。
やるべきことは放っておいてもやるのだから、
やりたいことを、考えた。


冬の陽射しの低さは、
午後の早い時間のうちから
今日の時間が残り少ないような気ぜわしい錯覚を呼び起こす。


歯科を後にした時に、すでに夕暮れかのような焦りを覚えた私は、
やるべきことをやはり優先する為にサッサと帰るべきかしらと
やりたいことの思惑を諦めかけたけれど、
いやいや、今日はあのカフェでくつろぎたいのだ。そう決めたのだ。
わずかな時間でもいいから、行くのだ。
やるべきことで1日を埋めてはならないよ。

そう思い直した私は、
電車を乗り継いで、くつろげるカフェを訪れた。


カフェは、いつになく混み合っていて、
その理由は私と同じ気持ちの人たちが多いからだった。
「年内に来たかったから」と店員さんと交わされるのがそこここで聞こえて、
私も挨拶に加えて同じことを口にした。

日本庭園風の気さくな庭に面した側の一面が、
全部ガラス張りになっているこのカフェには、
庭の木々で四季を感じたい人たちがくつろぎにやってくる。
鳥の巣箱もしつらえてあったり、
今日は小鳥の為にミカンも輪切りにして棒切れに刺してあった。

ゆっくり淹れてもらうコーヒーやハーブティーをいただきながら、庭の方へとぼんやり意識をまかせる。
この、形にも何にも残らないような時間を過ごすことが
ちゃんと私の心の形の曲がりや歪みを整えてくれているのだ。
この時間は、たとえわずかでも確保したくなることがあり、
そして来てよかったといつでも思う。


冬の庭を眺める視界の端に、干し柿が吊るされていた。
冬の前に手仕事された、正月の支度だ。
今日いちばん、年の瀬を感じた。

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