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私のこと

小さいころから頑張り屋だったと思います。
自分の能力のなさは努力で補わないといけないという焦燥感があり、小学生の頃から毎日を緊張感いっぱいに生きてました。

高校生の時にはバスケ部のマネージャーをしていて、人の体調や精神的サポートが楽しく、自然に看護師を目指すようになりました。
費用の負担が少ない国立大学の看護学部を目指し、頑張れば自分の進路を、未来を切り開けると信じていました。

しかし、経済的理由から進学を許されず、自分の努力だけではどうにもならないこともあるのだと、自分の人生を諦めるようになりました。
この頃から自分の気持ちがわからなくなっていきました。

その後は「自分の人生はこの程度の人生」と諦め、ギリギリまで我慢しては自滅することを繰り返してきました。
2回の離婚を経験し、2人の子を一人で育てながら、生活費のために日中は事務の仕事、夜は倉庫で仕分けのバイトをし、殆ど寝ずに働いていた日々もありました。「こんなに頑張っても報われない。同じ課題が繰り返しやってくるのは、何かを見直す必要があるのでは。」と思うようになりました。

人生を変える方法を探したくて占いやヒーリング、スピリチュアルな本を読んだりカウンセリングを受けていくうちに、問題は自分の中にあると分かりました。
そして「本当の自分の気持ち」について考え始めました。

それまで、自分の気持ちよりも他人の意見や評価を基準にしていたので、人生のハンドルは自分で握っていませんでした。
自分が何をしたいのか、何を好きなのかがはっきりしませんでした。

それでも生活の中で、選択する場面が多くあります。離婚前は選択することを人任せにしていた私でしたが、選択することを繰り返すうちに、自分に主導権がある、自分が選んでいいんだと感じられるようになっていきました。

まず周りを驚かせたのは、20数年の経験のある事務の仕事を離れ、トリートメントをするセラピストの道を選んだこと。この頃、カードリーディングやレイキヒーリングを学び、人を癒していきたいと人生の方向性を大きく変えた時でした。
その時は経済的な理由で一度断念しましたが、10年後の今、セラピストの国際資格を目指して学んでいます。

セラピストを一時断念した後、派遣で事務の仕事をしていましたが、人に向き合い癒したい思いが強く、高校生の時に諦めた看護師の道を再び目指すことにしました。
看護師は不足しているため、たくさんの奨学金制度があり私も働きながら学校に行くことができました。この時は本当に嬉しかった。
新しい道を歩み始め、自分の可能性が開いたことに体中が歓喜で溢れました。

看護学生をしながら働くのは忙しく、子育て中で時間的な苦労もありました。46歳からの挑戦を応援してくれる人ばかりではなく、先輩看護師にイライラのはけ口として、ひどい扱いを受けたりもしました。

そのような環境で体調を崩し、今まで自分の体調よりも仕事優先だった私でしたが、この時初めて、自分の体調を優先しその職場を辞めることができました。自分にとって大きな出来事でした。

別の病院に所属しながら看護師となり、やがて中古ながら家族3人で安心して暮らせる家を購入できるまでになりました。
ここでは人間関係に恵まれ充実していましたが、思ったような看護ができない医療現場への不満、蓄積された疲労と体調不良を抱えて辞めるかどうか悩んでいたのが昨年のことです。

そんな時にキネシオロジーを使ったヒーリングセッションのアーキシンクメソッドと出会い、セッションを受けた途端に休職する流れとなり、次の道が開かれたのでした。

効果を実感した私は、アーキシンクメソッドのヒーラー養成講座を受講し、当初はただ学べればいいと思っていたのが、私と同じように自分の人生を諦めている方たちに、望む人生を自分で作っていくことができると知ってもらいたくて、セッションを開始することにしました。

今の自分のやりたいことは、オイルトリートメントとアーキシンクメソッドを使ったセッションを皆さんに受けていただき、癒しと変容のサポートをすること。そう考えると心が弾みます。私は自分の気持ちに沿って生きられるようになったんですね。

努力は素晴らしいことです。
でも間違った方向にエネルギーを費やすのはもうやめにしましょう。勇気をもって自分の好きに対してエネルギーを使っていきましょう。

自分の方向性が分からなくなった時、自分の人生を誰か任せにしてしまっていると気が付いた時は、自分の人生をもう一度クリエイトするチャンスです。
セッションでそのお手伝いをさせて下さい。
振り返った時に、あの時に選択できて良かったと一緒に喜びましょう。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


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