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#14 変わり者の私らしいサッカー人生を紹介します(中編)

1.高校で男の子とサッカーをする選択を選んだ

高校時代も男の子と交ざってサッカーをしていました。小学生、中学生だと結構いますが、高校生にまでなるとなかなかレアです笑。
前回のnoteで話したように、サッカーだけで生きていくことは難しいと感じてた私はお受験をして、公立の高校に通ってました。もう1つ公立の高校を選んだ理由があって、私は弱い人間なので周りに影響されやすいと思ってます。勉強を頑張る人の環境に身を置いて、自分も勉強をしないとって思えるようにとも考えていました。
中学で女の子とサッカーするのに嫌気がさした私は、クラブチームでやる選択肢は全くなくて高校では別のスポーツでもしようかなと思ってたくらいです。でも、なぜか気付いたらサッカーをやってました。高校のサッカー部の顧問は冗談とか言うのが好きなタイプの先生でした。(現代社会の先生で「キチンの波はきちんと覚えましょう」というお決まりのダジャレで授業中みんなを凍らしてくる)「''男子''サッカー部って書いてないからな〜」ってOKをくれて、「え、そんな感じで入ってもいいの?」とも思いましたが、本当に周りの人に恵まれ、高校ではサッカーができていました。
普通女の子が男子に混じって部活していたら、キャピキャピの女子の先輩が陰口とか言ってきそうじゃないですか(偏見)。でも、先輩たちは「サッカー部なんだよね!すごいね!頑張ってね!」っていつも応援してくださる人たちだったし、サッカー部の先輩、同期、後輩も顧問の先生も本当にいい人ばかりで、毎日楽しくサッカーさせてもらっていました。

2.高校サッカーの環境

高校は大手前高校に通っていたのですが、目の前は大阪城(教室からもよく見えます)、横には府庁と大都会でした。よく追手門と間違えられますが違います笑。

大都会なので、グラウンドは狭くて、野球部とサッカー部の両方が一緒に練習はできません。平日は2日に1回しかグラウンドが使えないので、グラウンドが使えない日は大阪城を走る、”城ラン”がありました(ちなみに大手前生は大阪城のことを庭と呼んでいます)。これも今の走りのメニューと同じくらいキツかったんですけど、負けず嫌いで、「女の子だから」って言われるのが嫌いだった私は、男子と同じメニューをこなしてました。
「試合はどうしてたの?」と聞かれますが、男子の練習試合(B戦)には出ていました。高校の時の目標は「男子だったら使いたい」と監督に思ってもらうことでした。一度練習で言ってもらえてすごく嬉しかったのを覚えています。でも、出れないもどかしさもありました。なので、高校2年生からは、自分と同じ境遇のような子や女子サッカー部はあるけど人数が少ない学校と「合同チーム」で公式戦に出ていました。合同チームでの最高成績は大阪ベスト8で、ベスト8になるにはくじ運がかなり大事です笑。その時は、3回戦で松原ゆき(#2)や清水千陽(#10)がいた大阪学芸高校にコテンパンにやられて、ベスト8でした。

高校では部活動でサッカーをしてて、クラブチームや女子サッカーが強い高校でやってる人達と比べて、決して環境が良かったわけじゃないけど、サッカーは環境によって決まるわけではないってことを証明できるよう、もっと上のレベルを目指していきたいと思います。

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