ジブリの名作による生き方の教え

家族団らんを過ごしていたある休日の夕方、
私がどうしても視聴したいセミナーがあったため
自宅からzoomで参加した。

こうした時、
子どもたちは決まって夫の部屋へ集合し、

好きな映画を見せてもらうことになっている。

その日もそろって足音を立て、
階下の部屋へ降りて行った。

きっと、いつも通りのアニメか、
戦隊ヒーローものだろうと思っていた私の耳に

かすかに流れてきたのは、
懐かしい松任谷由美さんの歌声。

思いもよらない曲だったので、一瞬驚き、

すぐに、実家のテレビの前で見たあのシーンが

脳裏によみがえってきた。


その日、
夫が子どもたちと見るために選んだ作品は

『魔女の宅急便』。

オープニングテーマの『ルージュの伝言』は

その意味を理解しないまま、よく歌っていた

大好きな曲だった。


あの頃は「自分=キキ」。

本気で願えば飛べるのだと信じ、

こっそり庭でほうきにまたがっていたものだ。


その後、我が家には数日間
「キキブーム」がわき、

何度も『魔女の宅急便』を楽しんだ。

やはり子どもたちは
最後、キキがうまく飛んで
トンボを助けられるか、に夢中だった。

私だって、何十円ぶりに見るまでは

キキの成長物語という記憶しか残っていなかった。


それがもう、なかなかどうして。

キキを手元から送り出す両親の心情を思って涙し、

もうすぐお母さんになる、パン屋のおソノさんに過去の自分を重ね、

ケーキを焼く老婦人の思いに心を打たれ、と

たった一つの作品に、感情が、

まあ忙しい、忙しい。


こうした、人生の分岐点ともいえる

様々なステージにある女性たちの

ふるまいや言葉にぐっとくる場面も多く、

もう一回戻っていい?と子どもたちに断って

再生を止めた個所がいくつかあった。


特に好きだったのが、絵描きの少女の

「神様かなにかがくれた力」という発言。

魔法の力が弱まり、

ほうきで空を飛べなくなってしまって

困惑するキキが

「魔女は呪文ではなく、血で飛ぶ」と伝えると、


少女は

「良いね、そういうの好きよ。

魔女の血、絵描きの血、パン職人の血。

神様かなにかがくれた力なんだよね」と。


体の中に流れる血は、
自分で作り出したものではない。

両親や祖先から受け継いだか、
もしくは神様から授かったもの。

その血が、自分を生かしている。

だから、どんなにつらくても
上手くいかなくても

その血を持って生まれ落ちたのである以上、

苦しみながら進んでいく。

こういう意味だと解釈した。



日々すごしていると、つい

何もかも自分自身で獲得してきたような錯覚を覚える。

成功は自分の努力の結果だ、と。

すべてを頭で、理性でとらえ、

数字や損得勘定で判断し、行動しやすい。

誰かの真似をすれば成功できると思い込む。

でもその誰かにはなれなくて、
届かなくて、挫折する。


生かされている自分の背景にあった
目に見えないつながりの存在を、忘れてしまう。


私には、何の血が流れているのだろう。



三連休は、スマホやPCから離れて、

目の前のヒトやモノに向き合った。

五感を取り戻す時間となった。


子どもたちの黄色い声が鳴り響く、
にぎやかで温かかった我が家。

それぞれが各自の場所へと向かった朝が過ぎ、

ようやく静けさが戻ってきた。


張りつめていた妻・母モードを静かに切る。

これからの時間、私という「個」が戻ってくる。


どんな血が騒ぎだすか。

理性ではなく本能で、動き出したい。



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