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受験

昨年の今頃   近くの文殊さん 家原寺の境内で
御百度を踏んでいた。
毎度 子どもの受験の際には
いてもたってもいられず 神頼みに走る母。
必ず その子の苦手科目の時間に
御百度を踏むことにしている。

あれから1年  あっという間の1年だった。
私大は受験せず 国公立がダメなら
浪人すると決めて 挑んだ受験。

ラッキーな事に 息子は共通テストと前期試験
4日間の勝負で決めることが出来た。

もともと 得意科目は英国社 典型的な文系だ。
理系科目は嫌いではないけど
そこまで得意では無い。
理系科目に関しては 努力でしか伸びないタイプなのだ。
ただ 文系に進んでも勉強したいものは無い。
就職の際  性格上一般企業に就職して
企業戦士として戦うタイプでは無いと
自己分析した上での理系選択だった。

高一で受けた模試は
文系科目が突出していた為
学内でもそこそこの位置を保っていたが
理系科目だけ見れば ど真ん中。
どう考えても 理系に進む子の成績では無い。
早いうちに理系選択を考えていたので
その後 徐々に理系科目も伸びていったが
あれが 目標もなく理系を選んでいたらと思うと
やはり 向き不向きに抗うのは
本人の相当の覚悟が必要だ。


高校入学と同時に 受験ブログ等を読み漁った。
受験生の親御さんの悩み相談の様な内容から
塾の先生が開設されてるブログ
東大にご兄弟を入れたとか
医学部受験のハイスペックなブログまで
(ハイスペック記事は 我が家には全く参考にならなかった)
色んなところで 塾への課金がいくらだとか書かれていたが
受験を終えて思うのは 塾通いとは
自分の実力以上の夢を見る為の課金である。
その課金も 本人が自分を知り
自分の伸ばし方を知らない限り
ドブに捨てるようなものだと思う。
受験への数打ちゃ当たる的な課金についても
同じでは無いだろうか。

息子はハードル設定が高くない限り
塾は必要無いという。
学校の勉強をきちんとやっていれば
自力で受験勉強に取り組むことが出来る。
確かに 息子の周りでも
そこそこの大学に合格した子は
塾なし  塾通いしたとしても
高3になってから二次対策の個別のみ。
(医学部除く)

息子は 高3の初めに
現大学を志望校の1つに決めた。
その時点で既に模試ではA判定だったが
A判は得意の英語と社会が突出してるからである。
理系科目だけ見れば 恐らくD判くらいだろう。
二次から考えれば
二次比率の高い大学を受験する場合
そのA判はC判・D判も同じ。
特に理系は 2次に強いタイプが多いのが特徴。
模試のA判は鵜呑みに出来ないと
その時点で気づいた。
共通テストの取り組みは 高校の勉強で充分だけど
やはり 1番苦手の数学だけは
二次対策だけ見てもらいたいと個別に通い始めた。

塾や高校で対策してもらった 数学の二次対策。
本番では 今までと全然違う傾向  難化であった為
過去問や傾向を踏んでも
息子にとっては 全く意味がなかったそうだ。
それでも 受験の心構えのようなものは
塾の先生から 学ぶことが多かったようである。
そこは課金して良かったと思う。

安心を買う事への課金。
ただ それを生かすも殺すも本人次第。
浪人生の成功率は一般的に10%と言われている。
息子の言葉を借りれば
『自分を知らなさ過ぎるから』なのかもしれない。

先日 「早いな もう1年や…  
自分が背伸びする性格ではなくて良かったわ」
ポツリと呟いた息子。
すかさず
「子どもに過度の期待をかける親でなくて良かったわ」と返しておいた。
そして 付け加えるなら 部活9割 学業1割の現状
単位落とさないギリギリでいられて良かった。
これが 高望みした大学に入学していたら
リア充所では無かったかもしれない。
まさに自己分析の賜物である。


初日の文系科目で意気揚々。
2日目の数学難化で撃沈して
「なんか分からんけど涙が止まらん」と
帰り道で目頭を拭う息子。
帰りのフェリーの中はお通夜状態だった。

合格発表後
お祝いの電話を下さった部活顧問の先生に
その状態を お話した所
泣きそうになるくらいだったというのは
自己分析が出来てる証拠。 
そんな子がちゃんと合格勝ち取ってくるんです。
自分が難しいということは周りも同じなんて
受験した本人が開き直っているようじゃダメ。
足掻いて 足掻いて
最後まで諦めず頑張った涙は本物の涙。
必ず嬉し涙に変わると仰った。

今だから 受験期の色々を思い起こして
ホンマやな…と思うのだが
その時は合格発表までの期間
家の中は悲壮感漂いまくっていた。

頑張っても その時の体調であったり
緊張感で 合格を手にできない時もある。
ただ 最終的に進学した先が
その子が1番輝ける場所なのかもしれない。
どんな人生に置いても 失敗から得る成功はある。
高校受験 大学受験を通して  
一貫して子ども達に思ったことは
『置かれた場所で咲きなさい』この一言に尽きる。
受験は人生の通過点に過ぎないのだ。

親が手を出すことはできない受験。
温かいごはん 温かいお風呂
温かい寝床を用意して 温かく見守る。
それだけの事が 己の精神力の戦いでもあって
極限の苦行だった。

だが 子育ての最終テストの末にあった
喜びを分かち合い
抱き合った瞬間のあの背中の温もりは
我が子を初めて抱いた時の温もりと同じだった。

あと少し… あと少し頑張った先の温かさを
受験生とその親御さんが感じられる事を願っている。



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