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既往症

教習所に通う為 入校の申し込みに行った次男。
既往症について尋ねられ
小さい頃 癲癇であったことを告知した。


次男が小3のある日の晩  
子ども達と寝室で寝ようとしていた時のこと
隣にいた次男が 急に
カッカッカッカッ…と音を立てて
目の焦点が合わなくなった。
ほんの数十秒の出来事だったが
動揺してる私には 収まるまでの時間が
それはそれは長く感じた。

パパーと大声をあげて主人を呼び
慌てて 夜間救急へ駆け込んだ。
おそらく 癲癇(てんかん)であろうから
明日 すぐに病院へと言われ
ほんの半年前に
小児喘息が寛解で卒業となった病院で診てもらった。
大きな病院の為 小児科にも神経外来があり
専門の先生がいらっしゃったので
即 そちらへ回してもらい
脳波検査の結果 癲癇の診断が下った。

丁度 癲癇患者が車を暴走させて
何人もの人を轢き殺した そんなニュースが
世間をざわつかせた頃だった為
癲癇に対するイメージがとても悪く
お先真っ暗状態になってしまった。

ただ 癲癇はもう一度発作が起きると
発作が常習化しやすいようで
投薬は 次に発作が起きたらという事になった。
そして その2回目の発作はそう間を置くことも無く 1ヶ月後ぐらいに起こった。

主治医の先生は何人も絶望したような
親の顔を見てきたのでしょう
すかさず 
「お母さん 大丈夫よ。 お母さんが癲癇のことをきっちり理解して向き合ってあげたら
何も心配することないからね。
この子の発作を引き起こしている部位は
おそらく 成長すると共に消えるから
お薬飲んで 普通に生活してね。
普通の子と同じやから大丈夫」と
まずは私の気持ちをトントンと母親が背中を叩くように 治めて下さった

そして まだ あまり訳のわかっていない本人には
「癲癇って凄いんやで   天才が多いねん。
君 絶対 人より凄いとこ持ってるわ。
アインシュタインもナポレオンもゴッホも
みんな癲癇やったんやで。」
そんな言葉をかけて下さった。
この言葉にどれだけ救われたことか…

それからは
癲癇は決して悪い病気では無い。
発作を起こさないように きちんと薬を飲んで
治ることを信じよう。
神様からもらったプレゼントに応えられるよう
頑張ろうって 親子で癲癇に向き合った。

この頃からだったろうか
何事にも真摯に向き合うようになり
それまで以上に
興味を持った事への探究心が深くなった次男。

もともと 自信のあった絵も
先生の言葉を信じるかのように
“僕の世界“を深めていった。

こうして 我が子がその病気を患った事で
癲癇への偏見を断ち切る事が出来たが
世間はそうでは無い。
自分の目の届かない時があるので
一応  学校と友達関係には癲癇であることを話した。
ある親からは 可哀想ね 大変ねとの言葉を
何度も投げかけられた。
また ある親からは
一緒にいてる時に何か起こったら怖いわと
何気ない一言だったんだろうけど
やはり 心の奥に漬物石がドスンと投じられたようだった。
かと思えば どう対処したらいいか
教えておいてと声をかけてくれる人も居たのは救い。
癲癇への偏見は 思うよりも
人々の心の中に多く潜んでいた。
実際 自身も我が子が癲癇と聞き
断崖絶壁から突き落とされたような気持ちになったのだもの
これも立派な偏見よね。

幸い 投薬後の次男は 1度も発作が出ることも無く
普通に プールにも入ったし
普通に 学校生活を送った。
小学校卒業前に 脳波の異常も見られなくなり
服薬を中止。
その後 半年に1回の検査を経て
中学卒業と同時に 神経外来を卒業した。

その際に 今後 運転免許を取得する際も
癲癇であったことは言わなくても大丈夫だからねと
先生から声をかけて頂いた。
なので 事前に癲癇の事は言わなくてもいいよと
言ったのに
生真面目な次男は 言っておかないと
後で何かあったら困ると思って話したとか。

教習所  現在住んでる地方の警察署
そして こちらの試験場(住民票を移してないので)と
次男がそれぞれに電話をかけて 対応を聞くと
診断書を持って 現在住んでる地方で一旦面談を受けてから
免許の試験の際 こちらの試験場に診断書を提出と言われたそう。


診断書どうしたらいい… と連絡が

いやいや  前もって
言わなくても大丈夫って言われてたから 
何度も念押ししたのに…

慌てて かかりつけだった病院に連絡
診断書は書いてくださることになった。
翌日 病院に出向いたら
こちら地方の提出用診断書が必要とのこと
こちらの試験場に電話をかけて尋ねてみると
応対してくださった方がとても丁寧な方で
いつまで投薬したか等 詳しく聞かれ
その結果 投薬終了後 5年以上経過してるので
完治したとみなされ 診断書は必要無いので
心配要りませんよと言われた。

あ~ 自分で頑張って色々やってくれたのはいいけど
きっと 治療経過まではっきり答えられなかったんだろうな。
身近にいると そんな事も傍でアドバイスしてやれるけど
離れて住む時は 今までのこと
きちんと話をするか 持たせた母子手帳にでも
メモを残しておくべきだったと反省した。

何も無ければ それに越したことはないけれど
1つずつ経験して 覚えていくこともある。
今まで 1から10まで こちらが面倒見ていたことも
自分で調べ 電話してとアクションの起こし方も学んでいく。
失敗もあるけれど 人生の中では この失敗も成功のもと。
大人の階段を着実に登っている我が子が
いつの日か 完全に巣立つその時まで
もうしばらくは 親の出る幕もありそうだ。


家中がギャラリー
小さい頃に落書きした壁もそのままの我が家

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