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自分の居場所(はじめましてシリーズ)

最近、よく聞かれる質問に「自分の居場所をどうやって作って来ましたか?」というものがあります。作ろうと思って作った、というより、偶発的な出会いの組み合わせで「作れちゃった」という感じなので、「自分の居場所の作り方」を偉そうに語ることはできないのですが、振り返ってみたら、そこには教訓のようなものもあるかもしれない、と思いました。それをここに書いておこうと思います。

今「自分の居場所がある」とすると、それはおそらく自分にしか持ちえない視点から物を書く、という方法を発見した、ということかと思います。

私は、ずいぶん長い間、「専門をひとつに決めたくない」という気持ちでやってきました。映画にしても、アートにしても、音楽にしても、自分のテーストが偏っているという自覚はありましたし、自分がいいと思わないものについて書かなければいけない立場にはなりたくなかった。専門を持ってしまうと、その分野に縛られてかもしれないということを恐れてきました。自分はいつも、何も知らないかもしれない読者が読んでもわかるものを書きたいと思ってきたこともあります。

それでも、得意分野というものを作っていかなければ単なる便利屋になってしまいます。ニューヨークのような場所では、日本語と英語ができ、ビザを持っている人間ができる仕事は潤沢にあります。ある程度の人間のネットワークがあれば、ランダムな仕事がどんどん入ってくるのです。それは同時に、自分の「場所」を作らなければ、誰がやっても同じ仕事しかまわってこない、ということでもあります。生活のために引き受けた仕事の現場が辛かったり、コーディネーターを召使いだと思っているような人と仕事をして、「こういう仕事はしなくても良い自分になりたい」と思うことも多々ありました。

雑誌の世界に入って、下っ端の頃から、「自分」を商売道具にして、仕事を楽しみ、頑張りながら、自由に生きている人たちと触れるようになりました。女性でも、発言力を養えば面白い仕事をすることができる、それで手に入れたお金で、得られる自由が大きくなる、ということを身をもって教えてくれるロールモデルたちがいたのです。自分も彼女たちのように声を手に入れたいと思いました。

とはいえ、自分の得気分野はどうやって作ればいいのでしょうか?

フリーになったとき、自分は主軸をメンズ雑誌に置きました。男性誌に描かれている世界のほうが親しみがあったし、きらびやかな女性誌の世界に慄いていもいました(今は、たくさんの女性誌と仕事をさせていただくようになって、当時の自分の偏見の浅はかさに気が付きました)。男の子たちと張り合ってメンズの服を着たり、うんちくを学んだりした時代もあったので、メンズファッションの世界は近く感じました。そして何より、当時、あまりおもしろくなかったニューヨークのメンズシーンを専門にしている人は誰もいなかったのです。誰もやっていない分野を探す、ということはある意味、居場所づくりの近道かもしれません。

これはきっと、いろんな分野に当てはまることです。誰もやっていない分野なんてない、と思いがちですが、そんなことはありません。自分ほどこの分野を好きな人はいない、というニッチな場所があるはずです。

そのタイミングで、トム・ブラウンというデザイナーを紹介されたことは、自分に起きた幸運のひとつでした。TシャツにGパン、アディダスのサンダルが当たり前になっていたニューヨークで、トム・ブラウンは明らかに浮いていました。この人は何かになるに違いない、と思ったら、あっという間にスターになりました。また、雑誌の仕事でエンジニアード・ガーメンツのデザイナーの鈴木大器さんと知り合いました。この二人に何度も取材をするうちに、ファッションのことをずいぶん学びました。そのうちだんだん、工場を訪れる仕事も入ってきました。自分は、ものづくりの現場を見ると興奮するのだ、と気が付きました。

ファッションの仕事をやるうちに、自分はまったく違う畑(金融ニュース)からやってきたと思ってきたけれど、実は、ジオポリティカルな知識が役に立っているのだと思うようになりました。デザイナーとインタビューする際に、NAFTAや南北問題の話題になったりする。自分が、たった2年であったけれど、金融ニュースの会社にいて、その最中に9/11の同時多発テロが起きて、それに世界がどう呼応するかが相場を動かし、世界の現実が変わる様を見たことが、ファッションの世界で起きていることを理解するのに役に立っているのだ、と。ここには、どんな仕事をするにしても、国際情勢を理解することが、自分の分野への理解を深めてくれる、という教訓があります。

もうひとつ、自分の仕事の主軸になったものに、インタビューというものがありました。インターンや会社員をやっていたときに、先輩たちにインタビューがものすごく上手な人たちがいました。心から相手の口から出ることに興味があるという態度は真摯でありながら、常に相手とは対等で、ときには鋭い質問で切り込んでいく。自分も、こういうふうに人に話を聞ける人間になりたい、と思ったのです。

ライターとして、「街の声を聞く」という仕事から、お店の取材、ときには有名人のインタビューの仕事が入ってくるようになると、自分が一番好きなのは、人に話を聞くことなのだ、と気が付きました。市井の人たちから政治についてのフラストレーションについて聞くのも、お店を開けた人にコンセプトを聞くのも、何か自分の作品を作っている人たちに創作の背景を聞くのも、レジェンドたちが昔話をしてくれるのも、同じように興奮しました。そこには生きることや物の考え方について、たくさんのヒントが詰まっていました。

こうして振り返ってみると、そのあたりまでの私は、依頼される仕事を通じて、たくさんのことを学びました。よく、お金をもらって、学校に行っているようなものだ、と思ったものです。

好きだ、という気持ちは、追求すれば必ず「得意」につながっていきます。「インタビューが上手」と言われるようになり、大物のインタビューや、長い密着取材が入ってくるようになりました。自分が取材したい人のリストを作り、企画を提案するようにもなりました。

この頃、先輩のロールモデルたちを見て、気がついたことがありました。それは成功している人たちには、「この人と仕事をしたい」と思わせる何かがあるのです。人間としてのチャームのようなものもありますし、この人と仕事をすれば失敗はない、さらには、おもしろいものができる、と思わせる発想力や独自のテーストです。自分も、自分の芸風を作らなければならない、と思わせてくれました。

フリーになって3年目は、アメリカ在住10年めでした。そのとき、ふと思ったのです。自分はアメリカのことをまったく知らない、と。その3年の間に、アメリカはイラクに侵攻し、ジョージWブッシュが再選されて、自分の知るアメリカと、現実のアメリカの乖離を理解したいと思うようになりました。すべての州に行きたい、そう思い、それをいろんな編集部で話しました。話しながら、「誰も乗ってこないだろうなあ」と思っていました。そもそもニューヨークやカリフォルニア以外のアメリカに誰が興味を持つでしょうか。「出張の企画があれば検討する」と言ってくれる編集者もいて、地道に少しずつやっていこう、と思いました。

アメリカを回りたいと思ってそれを口に出し始めた2年後、コヨーテという雑誌の編集者である佐々木直也さんが、「アメリカを横断しませんか」と声をかけてくれました。ロバート・フランクの「The Americans」の刊行50周年を記念して特集を組むから、それでトリビュートの企画をやらないか、と。その旅が、私の旅のスタイルを形成しました。初めて、作品といえるような物もできました。そのとき、やりたいことがあったら口に出すしかない、口に出し続けているといつか実現する、という確信を持ちました。

旅の最中にリーマン・ショックが起きました。世の中が大きく変わり、たくさんの人が職を失いました。けれどそこから、それまでの世の中への反動として、カウンターカルチャーが花開きました。気がつけば、ブルックリンで遊ぶことが増え、コーヒー、食、音楽、アートといった世界で、たくさんの小さな試みが起きていました。縁があってブルックリンに引っ越しをし、こうした動きが少しずつ世の中に認められるようになって、取材の内容が、より自分に近いものになりました。

その頃、日本の雑誌では取り上げる場所のないネタが溢れているのに気が付きました。特にDIYのアートや音楽の文脈で、おもしろいことがたくさん起きていたのに、書く場所がなかったことが、インディペンデントのiPadマガジンを作ることにつながりました。それをやっていたら、食の世界で起きていることも、その他のエリアで起きていることも、すべてつながっているのだという認識ができました。これをひとつの線でつなぎたい、そう思って書いたのが、「ヒップな生活革命」になりました。

こう書いてみると、自分についていくつか気がついたことがあります。ひとつは、たくさんの寄り道や回り道をしてきたこと。けれども今思うと、無駄なことはひとつもなかった気がするのです。何もかも、やってみたからわかったことだからです。

もうひとつ自分は「引きが強い」のかなと思うことがあります。それをスキルに置き換えると、「嗅覚」と言えるかもしれません。これは、最初から持っていたものではないはずです。今は、嗅覚がかなり訓練されて、知らない街を歩いていても「むむ何かが起きている」とすぐに気がつけるくらいになりましたが、若い頃は、ずいぶんたくさんのものを雑食的に見て、嗅覚を鍛えました。だめなものも見なければ、いいものもわかるようにはならない。何か見るたびに「これは偽物」「これはコピー」、「これは新しい」とわかるようになってきたような気がします。もうひとつ自分に言えるのは、とにかく変わった人や変態が好き、ということ。こいつおもろい、という人間とつるんでいると、おもしろいものにたどり着く。それが自分の人生も、仕事も楽しいものにしてくれています。変わり者のみなさん、ありがとう。

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