新型コロナ禍の今、東日本大震災の大川小の悲劇を教訓に

新型コロナウィルスの感染が止まらず、政府は緊急事態宣言の検討に入りました。そんな中、3月2日から一斉休校をした全国の小中高校が、学校再開の時期を探っています。

各自治体の判断となる中、学校再開に動き出す自治体もあり、兵庫県では高校生が、「兵庫県公立高校休校延長要請」という署名活動を始めたりしています。

当初は「若い人はかからない」とか「重症化しない」などと言われていましたが、若い人でも感染していますし、子どもでも亡くなる方が出るなど、病気の全容がわからない中で、多くの子育て家庭が不安を抱えています。

「不安だったら、自分の判断で学校を休めばいいのに」

そう思う方も多いでしょう。確かに私立高校など親の判断が尊重されたり、東京などでは「親の判断で学校を休ませる」ということで可能です。旅行のために学校を休むなども、OKというところも多いでしょう。

しかし、地方ではまだまだ「勝手に学校を休む」ことが許されないところも多いのです。病欠以外の理由で休む時には「公休」を申請し、学校がそれを受理しないと休めない、という運用をしているところが多いのではないでしょうか?

それを無視して強引に休むと、まるで反逆児のように扱われ、教師からも友達からも距離を置かれる、親も「とんでもない保護者だ」と思われる。病気以外で勝手に休むことは、「楽しい高校生活を捨てる」ことになるのです。だから、高校生が必死に署名活動などをしているのです。

学校関係者のみなさん、教育関係者のみなさんに、今、思い出して欲しいことがあります。東日本大震災で起きた、「大川小学校の悲劇」です。2019年11月に裁判で学校側の責任も確定しました。

私は震災後の大川小学校を訪れたことがありますが、本当に、ちょっと裏山に登れば助かった多くの子どもの命が、なぜ失われなければならなかったのか、残念でなりません。

先生の言うことを聞いた結果、命が失われたのです。

東日本大震災では、「釜石の奇跡」と呼ばれる事案があります。

この記事に出ている先生は「自らの命を守ることに主体性を持て」と、それが一番重要だと言っています。

釜石の奇跡は「津波てんでんこ」が起こしたと言われています。

 てんでんことは各自のこと。海岸で大きな揺れを感じたときは、津波が来るから肉親にもかまわず、各自てんでんばらばらに一刻も早く高台に逃げて、自分の命を守れ-という意味だそうです。


災害時には、自分で考え、自分の命を守ることに主体性をもつことが何より大事だと、東日本大震災で、私たちは学んだはずです。

学校を再開して欲しい保護者もいる。学校がなければ厳しい家庭もある。だから学校を少しでも再開することは非難されるできではありません。

しかし、子どもたちが自ら考え、「学校に行くことが危険だ」と感じたなら、それを許容することは非常に重要ではないでしょうか?学校を再開しても自由登校とする自治体も多いようです。

大川小学校の悲劇を学び、命を守る教育をどう行なっていくのか、こそ、今学校に問われているのではないでしょうか?

大川小学校で犠牲になった74人の子どもたちの命を無駄にしないために、私たちは考えることができるはずです。