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白沙村荘

今、京都では祇園祭の真っ最中で、四条通り中心の界隈はどこもかしこも人の波で賑わっている。
そんな京都の夏の風物詩は数々あるけれど、私にとっての一番の思い出はその賑わいから少し離れた銀閣寺の参道沿いにある「白沙村荘」。

私はここでひと夏アルバイトをしたことがある。「白沙村荘」とは日本画家橋本関雪の邸宅で自身の日本画はもちろん、蒐集した骨董品そしてその住まいそのものが文化財として貴重な歴史に残る。
私は学生時代銀閣寺周辺のお店でいくつもアルバイトを掛け持ちしていた。その知人の紹介からこの庭園でビヤガーデンを開くので給仕係として手伝ってくれないかと声をかけられた。私はそこがどれだけ歴史的に凄いところかあまり意識もないまま軽く二つ返事で請け負うと早速翌週、その村荘の門をくぐった。

この白沙村荘のすごいところは歴史的重要な建築物として拝観料もいただくほどの有名な建造物でありながら、今もなお橋本関雪代々の歴代の当主が実際に住んでいるということ。
2016年にはこの邸宅が建てられて100年になるという。その時も私は生活の匂いを微かに感じる部屋に通された。使いこなされた古くからの建具は磨きこまれ、古き時代の空気が当たり前のように漂い、時空を飛び越え過去に戻ったような不思議な感覚に陥った。
座敷には粋という言葉がぴったりの女将が普段使いの着物を涼しげに着こなし座っていた。簡単な面接が済むといきなり服を脱ぐように指示された。なんでも お給仕をするときは浴衣を着るのだという。地方から出てきた貧乏学生の私は、きっと持っていないだろうから私のを貸すのでこれを着るようにとのことだった。
毎年浴衣を盆踊りの度に着てはいたものの自分で帯を締めるなんてしたことがない、それを正直に話すと面倒見のよさげな女将はそれも承知としたり顔で、「今日は着せてあげるし教えてあげるから、次からは自分で着れるようになればいい」とこともなげに言う。
私は促されるまま浴衣を一人で着る術を伝授してもらい、ぎこちない足さばきで下駄を履き庭園に出た。そこは外の喧騒と全く無縁の別世界が広がっていた。高低差のある自然に任せて生やしたような竹林、和紙でできた大きなぼんぼりのような照明がほのかに庭を照らし、庭のあちこちには隣の人の気配が気にならない程度に置かれた赤い毛氈の将棋板がいくつも置かれていた。鹿威しの音がリズムよく響き、一気に体感温度を3度下げる。
ここでビールを飲んだらさぞや美味しかろう。

メニューは単純だった。枝付きのまま茹で上げた枝豆と、その日採れたら提供できる鮎の塩焼き。
初めはたどたどしいお給仕振りだったが浴衣を着る手付きも徐々に慣れ、襟を抜き 裑を背中の中心に着付けるようになった頃にはすっかり時代を遡りその山荘の風景に溶け込めるカフェの女史になっていた。
その夏、雨降る以外はそこにせっせと通った。なんだかんだと可愛がってもらった。昼間に親戚の家に遊びにいく感じで訪ねて見ると、私の浴衣が竹の竿に一直線に通され干されてあった。新興住宅の一角で育った私がなんにも知らない伝統やしきたりを事あるごとに教えてくれた。今、思えばなんて贅沢な日常だったのだろう。
建物フェチになったひとつの原体験がここにある。

枝豆の旬の時期が訪れ、枝付きのモノが店頭に並んでいるのを見かけるたびにあの時の白沙村荘のことをフラッシュバックのように思い出す。私にとってあそこでの日常と歴史の融合は、なんてことのない日常の重なりがあって脈々と時代が繋がれてきたのだということを教えてくれた。
そして我もまた、何千年と続く豊かな歴史の中の日本人であるということを心に落とし込める貴重な体験だった。

祇園祭が終わると本格的な夏の到来だ。また、故郷を尋ねるように「拍沙村荘」一度訪れてみたくなった。


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