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ともす横丁Vol.15 父との対話

父は物静かで穏やかな人だ。争うことを好まず、声を荒げたこともない。上からものを言うようなことも力を誇示するようなこともない。

いつも本を読んでいて、どこかの何かの世界にいて、ここにいなかった。父とのつながりが欲しかったんだろう。中学生の頃、英語の問題を教えてもらおうと勇気を出して父に尋ねた。そうしたら、父は「そんなクイズみたいなことには答えられん。英語の本を読め。」と多少の苛立ちを持って言った。ショックだった。ようやく父と話せると聞きに行ったのに。それから一切尋ねることをしなかった。

人生のガイド役としての父は、その後ろ姿だった。進学も就職も母を通じて父の考えを聞いたくらい。相談するとか聞いてみるとか思いもしなかった。

正月やお盆など家族が集まるときには、一言父から話があった。それは哲学者か求道者の独り言みたいで理解するのが難しく、生や死とは何かと命題のようなことを口にして、家族はどう返答したらいいのか戸惑うといった体だった。私には応えられるだけの学びも意見する勇気もなかった。

ここにきて、父に聞いてみたい、聞いておきたいことは何だろうと考えた。

そこで父に「本に書いてあることが理解できなくて途方に暮れることがあるんだけど、どうしたらいいの?お父さんはそんなことないの?どうやって乗り越えてきたの?」と聞いた。今まで恐れ多くて、こんなこと聞いてどう思われるか、どんな反応されるか怖くて聞けなかったことだ。

父は「そりゃあ、そうだよ。僕にもあることだよ。本を読んでいて理解できないと思ったときは、一旦脇に置くんだ。そしてまた時が来たと思ったら手に取る。その繰り返しだ。何かを深く知ろうと思ったときは、まずどこかにつかまり、そこから手探りで辿っていくんだ。誰も教えてくれないものだよ。たぶんそれはアリストテレスやプラトンや昔の人たちも同じはずだ。点を頼りに線につなげていくんだ。」

そうか。そうなんだ。父も同じだったんだ。父のことを少しわかった気がした。その孤高な後ろ姿の意味を。そして、私はこれから何かに迷ったとき、この言葉を手掛かりに、支えや励みにして歩いていくだろう。道に迷いそうになるのは誰も同じ。今どこにいるんだろうと見まわしながら、ゆっくり自分のペースで歩いていけばいいんだと教えてくれた。聞いてよかった。

そして今、父のベッドの傍らで夢の話を聞く。作文の夢で続きが見られるんだと言う。楽しい夢らしい。幼い頃の記憶を辿ってはつなぎ合わせているようにも聞こえ、生まれた頃に戻ろうとしているのかと思う。父の夢から成し得なかった想いが感じられ、それがもしかしたら私の現実の夢に変わっていくのかもしれないと予感がしている。


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