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ともす横丁 Vol.16 父の日記

父の四十九日法要が無事に終わった。
法要が終わったらもう手の届かない人になってしまうような気がして、落ち着かなかった。

聞きたいことももう聞けない。どんな本を読んだらいいかも、悩んだ時どう考えたらいいかも、人生を歩む上での手がかり、道筋を示してくれる人がいなくなってしまった。父を頼りにしていたことをいなくなって思い知った。夜の闇は受け入れがたく、Netflexの楽し気なラブコメを見続けた。その時は別世界にいるようでどこか醒め、見終わると思い出しては泣いた。

生前、55年分の日記があるけど、どうしたらいい?と父に聞くと、聞かれたことを喜んでいるような、読まれるのをどこか期待しているような気がした。もし本当にそうだとしたらその神経理解不能だと思った。

ごく最近の記録めいた日記を読み始めてみると、「由美子、来宅」とか「由美子と雑談」とか家族との関りが淡々と、亡くなる一か月ほど前には「由美子と話す。老子や〇〇、〇〇の話などする。活力湧く。」と書かれ、筆が踊っていた。単なる事実から父の想いが透けて見えるような気がした。書いたことと書かなかったこと、間違いなく意識して選択していると思った。

ふと私が結婚する前に何が書かれているのだろうと気になり、約30年前の日記を探し出して手に取った。そこには、自らの仕事や母とのこと、本の記録や感想などとともに、私のことも書かれていた。今日も帰りが遅いとか帰宅が遅く顔を見ずに寝る、とかだ。ほぼ毎日。父が当時繁忙だった私のことをそんなに気にかけていたなんて知らなかった。全く気づかなかった。夫となった彼とのつきあいについても、板倉君は三時間も待たされたそうだとか、(私に対して)そんなんじゃだめだぞ(私には何のことかさっぱりわからない笑)、とかの記述もあった。私のことを心配しているのか気になって仕方ない様子が書き連ねてある。初めて感じる父の生身の姿。そこにある父は、愛情深く繊細だった。私は愛されていたんだと初めて知った。

いないと思っていた遠く感じていた父が生々しい姿を現し、自分の中に入り込んできたような。もしかして距離を取っていたのは私だったかもしれない。父が日記を読んでほしそうな素振りを見せたのは、話しては伝えられなかった自分の想いを伝えたかったのではないか。作家になりたかった父の夢は、創りものでない真実のドラマとして、55年に亘る生き様そのままの日記が作品だと思えた。

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昨年春、何かを尋ねた私に宛てて父が書いてくれた手紙の中に「…三木清は「幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如く、おのずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である」といっています。僕は、それに加え、それは内面に咲く花であるといいたいと思います。どうか幸福を見つけてください。」とあった。
父の遺した日記や本、そこから感じる父の想い…喜び、寂しさや怒り、悩みや無念、思い描いていたことや叶えられなかったこと…私のこれからの道は、父の生を辿りながら生き直す、命が重なり合っていく、つないできてくれた命とともに生き、命をつないでいくような気がしている。また新たな旅が始まるようだ。

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