見出し画像

知らない言葉という壁

きっと来週あたりから学校が始まります。

オーストラリアの語学学校以来の勉強生活なので、10年以上ぶり(驚)

あの頃は紙とペンでしたが、今回のメインはパソコンなので時代も私も進化!

ふと考えてみると、私にとって言語は常に身近に、そして常に戦うものだったなと思います。


言語を学ぶ難しさ


高校生の時、短期留学でオーストラリアに行きました。

学校のテストは常にほぼ満点だったし、英検も中学生で2級取ってたし、イコール私は英語が"出来る"と思っていました。

オーストラリアに着くなり現実との差に驚くことに。

ホストファミリーの話していることは全く分からないし、学校でトイレの行き方すら聞けない、カフェテリアでお昼ご飯を買うにも無言になってしまう自分がいて、気づいた事は、私は英語は"話すことは出来ない"という事。

とても悔しい思いをしたので、高校卒業後は2年間オーストラリアに住みました。

語学学校や現地の人と話す事で英語を習得。

日本でやっていた"日本人の先生から日本語で学ぶ英語の授業"を無駄だったとは言わないけれど、"英語を英語で学ぶ"という意味と大切さはとても感じることが出来ました。

英語が分からないなりにも、英語で英語を学べるんだなーと。

おかげで英語で仕事が出来るまでに成長しました。


語学学習の難しさ



私が感じた語学を習得する上で難しかったのは、特に「発音」と「ニュアンス」だったと思います。

発音は、やっぱり日本人の使わない舌の動きを英語ではしなきゃいけなくて(よくRとLの発音ってやりましたよね)、いくら説明されても上手く出来なかったりしました。

自分では先生と同じようにアクセントを置いてるつもりでも、毎回同じところで注意されたり。

私の発音がよくなったキッカケは、実際に地元の人だけが働くカフェで働くようになってからでした。

同い年のオーストラリア人サラとすぐに仲良くはなったものの、彼女の早い英語に全くついていけず、いつも「?」な顔をしていたと思います。

でも彼女が私を外国人としてではなく、ただの仲間としてスピードを落とさず話しかけ続けてくれたおかげで、嫌でも耳が慣れてきて、その発音やアクセントの真似をして話をするようにしました。

そこからの成長は早かった!自分でも驚くほど!

あの時サラが私を"英語の分からない日本人"として扱い話すスピードをゆっくりにしていたら、きっとここまで上達できなかったと思います。



そして、ニュアンス。

これは今でも難しいなと感じます。

学校でやったものだと"a"と"the"の差とか、"for"と"to"の差とか色々あったと思うけれど、結局どれも理解はしていませんでした。

でもそれを英語で学ぶと簡単にそこがクリアになったし、生きた会話を聞いていると理論付けて理解しなくても良いかなと感じたりしました。

難しく考えるよりも、使って慣れろと語学学校の先生に言われたことをとても実感。


習得する難しさを、身をもって分かっているからこそ



自分のこの経験があるからこそ、今度は教える立場になってみたいなと考えるようになりました。

語学を一定レベルに習得することが難しい事を経験した上で、それを人に教える事の難しさも感じてみたい。

自己満かもしれないけれど、そんなふうにステイホーム期間で感じられたのは良かったな、無駄な時間じゃなかったなと思いました。

「初志貫徹」を胸に頑張ろうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?