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アフリカに「一人の老人が死ぬことは、一つの図書館がなくなることと同じ」という諺(ことわざ)があります。

老人は、一生の間に一冊の本も読んでいなくても、目で見て、嗅ぎ、手で触り、耳で聞き、舌で味わった、膨大な情報(非言語情報)を蓄積してきたのです。

たとえば、目の前に一個のリンゴがあったとしましょう。

リンゴを見たことのない人に、言葉でそれを伝えようとしても、恐らく本一冊分の情報を伝えても、リンゴ特有の甘酸っぱさ、皮の触感、果芯の形状など、「大事なことは何も伝わらない」という感覚にとらわれると思います。

そう考えると、老人が一生をかけて、集めた非言語情報は、図書館一棟分に匹敵するとも言えるのです。
(竹内一郎氏の言葉より)

勉強はできても疎んじられる人というのは、往々にして非言語情報を軽んじているのかもしれません。

逆に学歴はないけれども対人能力に長けている人は、無意識に非言語情報の達人となっています。

だから生きていくうえでは、非言語情報に対して敏感である必要があります。

それに対して「そんなの当然だ、わかりきっている」と言葉で言う人の多くは、実生活で非言語情報に鈍感だったりします。

「わかりきっている」と言葉で言った瞬間に、現実に対する謙虚さを失ってしまう。

世間の常識や理論に縛られる事なく、柔らかな感性を持って、子供の時のような心で物事を見ていきたいですね。

今日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。


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