障がい者は障がい者らしく生きなければいけませんか?

仲違いしていた友達と10年振りに再会した。
高校時代に些細なことが積み重なって、疎遠になったGちゃん。
友達の結婚を気に、久しぶりに連絡をとったので、それならいっそ会ってみたいと思って、10年ぶりにご飯にいった。

Gちゃんは、私と同じ先天性心疾患だ。
聞けば、会わなかったこの10年の間に手術を行ったそうで、体がだいぶ楽になったと言っていた。

それを聞いて、学生時代の思い出が浮かんできた。
一緒に体育を見学していたとき、同じ病気なのに体育の先生にいつも「本当にできないの?」と言われたのは、私だけだった。

多分、その理由は私の見た目が少し派手だったからだと思う。
「そんな濃い化粧して、夜の仕事やっとる人みたいだね。親の顔がみてみたいわ」と、先生からいわれたこともある。

そのたびにいつも私が思ってきたのは、障がい者は障がい者らしくいないとダメなのか ということ。
ギャルっぽかった私は多くの人が持つ障がい者像とは、きっと違った見た目をしていた。
健常者だと「ギャルだな」で終わる見た目も、障がい者だというフィルムがかかると「本当にあの子って運動できないの?」に変わるのだ。

でも、この世に障がい者らしく生きている人なんて、どれくらいいるだろう。
むしろ、障がい者だからこそ、障がい者らしく生きたくないと思っている人のほうが多いのではないか。

だからこそ、私は障がい者らしくない障がい者でいたいと、ずっと思ってきた。
そして、これからもきっと、そうして生きていきたい。
持病を隠すのではなく、持病は打ち明け、理解してもらいながらも、障がい者らしくなく生きていきたい。

私は先天性心疾患を抱えているから、18のときに、将来的に妊娠は避けてといわれてきた。
そして、Gちゃんも同じようなことを今回の手術後に言われたらしい。
独身のGちゃんはそれを聞いて、「結婚はしたいけど、子供産めないと相手に申し訳ないから婚活やめようかなって思ったんだ」といった。

それは私も昔、抱えた悩みだった。

でも、悩んだからこそ思う。
結婚は子供が欲しいからするものではないのだと。
もちろん、一般的な家庭を作ってあげられ費禕という負い目はどうしても捨てられないこともある。
インスタで同級生の子供の写真を見ると、堕ちる日もある。

けれど、結婚は子供が全てじゃない。
だからGちゃんに「子供が産めるから結婚するわけじゃないと思うよ。結婚はGちゃんの中身が好きで、一緒に生きていきたいと思ったからしたいと思うものだと思うよ。」と伝えた。

障がい者でも、健常者でも幸せになる権利は誰にだって平等にある。
障がい者だから・・・
相手に負担をかけるから・・・ と思ってしまうなら
その分、自分にはなにが出来るのか考えてもいいのだ。

子供は作れないけど、いつも笑顔で旦那さんを迎えてあげる とか
子供がいない分、旦那さんと二人の時間を思いっきり楽しむ とかも、自分にしかできないことなんだと思うから。

障がい者は障がい者らしく生きるより、自分らしく生きればいい。
障がいはハンデにはなるけど、その分、世界を広げてくれることだってある。

障がいがなかったら出会えてない人、経験できなかった体験、抱かなかった感情、選ばなかった道はたくさん。
障がい者でよかったとはいえないけれど、障がい者の自分もありかなと思えたりする。

障がい者でも、私は私。
障がい者でもギャルだって、職業が変わっていたって、世間一般な結婚スタイルじゃなくたって、ポジティブだって、ネガティブだっていい。
世間が持つ障がい者らしく生きるのではなく、自分らしく生きられる障がい者であればいいと、私は思う。

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