見出し画像

【裁判傍聴】心理鑑定で明かされた、自分を「雲」に重ねた被告人の生い立ち

下記の事件を起こした被告の心理鑑定が裁判員裁判で明かされました。
本稿は、その心理鑑定を傍聴した記録です。
(※個人の感想を含んでいますので、その点ご理解ください)

https://www.chunichi.co.jp/article/797293

被告人は無職・高橋智(27)。高橋被告は2021年7月19日夜、愛知県稲沢市にある市営住宅で生活態度を注意されたことから、父親の輝男さん(当時71歳)と次姉の礼さん(当時29歳)を包丁で刺すなどして、殺害した罪に問われている。

なぜ、高橋被告はこのような凶行に至ったのだろうか。それをひも解く、ひとつの材料として提出されたのが、高橋被告の心理鑑定書。そこでは高橋被告の生い立ちや抱えていた特性が明らかとなった。

■痴漢による性被害と父からの身体的虐待を受けた幼少期
今回、弁護側の依頼で心理鑑定を行ったのは、岐阜県岐阜市にある「こころぎふ臨床心理センター」のセンター長・長谷川博一氏だ。公認心理師である長谷川氏はこれまでに数多くの虐待問題に携わっており、刑事事件において被告の精神鑑定を行ったこともある。

本件では計15時間15分を費やし、13種類の心理検査を行った後、心理面談し、高橋被告の心を調べた。その中で明らかになったのは、高橋被告の悲惨な生い立ちと歪んだ家族の形であった。

高橋被告は父、母、長姉、次姉、弟の6人家族。母親はフィリピン人。父親は過去に別の女性との間に息子をもうけたが、その義兄とは一緒に暮らしていなかった。

高橋被告は幼少期から、父が母に暴力を振るう姿を目にしてきた。(=面前DV)。やがて、両親の喧嘩中は自室のクローゼットにこもるように。長い時は4~5時間ほどこもり、そこで眠ることもあったという。

日常の中では、母から父に伝言を頼まれた。高橋被告は「お母さんが可哀想」という気持ちから伝達をするも、父に怒られていたという。

幼い頃から、家族は二分裂。よく似た性格であった父と長姉は1階で過ごし、高橋被告と母は2階で過ごす日々。次姉は中間的な立場で、5歳下の弟は早くからフィリピンにいる母方の親戚と暮らしていた。

小2の頃、高橋被告は下校中に痴漢から性被害を受ける。それにより、何に対しても怖くなり、もともとあった高所恐怖症が顕著に。歩道橋を渡れないだけでなく、鉄棒やブランコなど地に足がつかないことに激しい恐怖を感じるようになった。

また、小学校高学年の頃にはあざができるほど、太ももや脇腹を父から殴られた。理由は、友達との喧嘩中に体がぶつかって学校の物を壊してしまったことだ。当時、殴られながら尻もちをついた状態で後ろにずれた際、背中が壁に当たって痛みを感じたことを高橋被告は今でも覚えているという。

■学費や生活費を捻出するためにバイトに明け暮れた

中学になると、長姉は「短大へ行く」と言って家を出ていき、母は弟がいるフィリピンへ行ってしまった。高橋被告は学校で友人ができず、いじめも受けたことから、中3の10月くらいから不登校に。同時期、長姉が妊娠して自宅に戻り、出産。高橋被告は生まれた赤ん坊の面倒を見た。

離婚をめぐって争っていた両親は、高橋被告が中学を卒業して間もなく正式に離婚。だが、高橋被告は血の繋がりがある家族が共にいることへの執着や幻想が強く、仲が良かった記憶がないことは理解しつつも、いつか家族が仲良くなるのではないかという希望を抱き続けていたという。

中学卒業後は、先生に提案された調理系の学校へ入学。入学金は祖父母が出してくれた。だが、授業料は出してもらえなかったため、高橋被告はバイトをかけもちして学費を捻出。平日は朝5時から7時までコンビニで働いてから登校。下校後は、夜6時から9時まで焼き肉屋でバイト。土日も昼前から夜まで焼き肉屋でバイトをした。

バイトと学業を両立する日々は辛く、「ここまでして行く意味あるのかな」と悩むように。入学から約半年後の10月、退学を決意する。

実は高橋被告、父親と同居の居心地が悪いため、高校在学中に一人暮らしを開始していた。場所は母親が年に一度、弟を連れて日本に来る時に使っているアパート。一人暮らしは母親からの提案だったが、家賃は自分で払うよう言われたため、焼き肉店でのバイトに加え、マクドナルドでもアルバイトをして生活費を稼いだ。このアパートでの生活は2年以上にも及んだという。

■交際女性のもとへ引っ越すも再び地元へ帰郷

生活が変わる転機となったのは、18歳の頃に静岡県内にある合宿形式の自動車学校で知り合った、ひとりの女性と交際し、静岡県富士宮市へ転居したことだ。

だが、2人の関係は徐々に冷めていき、やがて自然消滅。勤務先で仕事のミスをしたり、人間関係のもつれに悩んだりしたこともあり、高橋被告は令和2年8月、稲沢市に戻ってきた。

その後、以前勤めていたバイト先で働き始めるも、店長が変わったことで前のように親身に話せる環境ではなくなっており、変な噂を流されもし、仕事へのモチベーションが低下。欠勤をするようになり、生活費が賄えなくなったことから、実家に戻った。

当時、実家では父と義理の兄、次姉、叔父(父の弟)が生活。父と叔父は毎日のように口論していたため、高橋被告は怒鳴り声が嫌で、よく外へ出かけていたそう。2ヶ月後に叔父が家を出ていってからは、叔父が使っていた4~6畳の部屋が高橋被告の自室になった。

その後、高橋被告は焼き肉店の正社員として働くようになるも、パワハラを受け、2ヶ月で退職。父に仕事を辞めたことを話したが、理由などは聞かれず、「そうか」と言われただけだった。

■引っ越し先の市営住宅の鍵を渡してもらえず

そんな中、義兄が婚約者を呼ぶため、家を立て直すことに。高橋被告はギリギリで引っ越しを知らされ、父、次姉と共に事件現場となった市営住宅に移る。

市営住宅では自室はなく、高橋被告は物置で生活。転居後は、再びバイトをし始めた。その職場は楽しく、週に3~4日勤めていたが、2つしかない市営住宅の鍵を父と次姉が持ったことから、バイトが終わって帰宅した際に家族がいないと家に入れなくなった。頼んでもスペアキーは作ってもらえず、カレンダーにバイトの日を記載しても対応してもらえなかったという。

また、バイトに出かける時、家に誰もおらず、カギを閉められないことがあった。仕方なく鍵を閉めずに出かけるも、「不用心」と怒られ、罰としてしばらく家に入れてもらえなかったそう。カギを自分で作ろうという発想は高橋被告にはなく、バイトを辞めることで対処した。

わずかな期待を抱いて「死にたい」と父に溢したが…


バイトを辞めた後、高橋被告は1ヶ月半、1回も外出せず物置の中で過ごした。食事は父がいない時に冷蔵庫の中にある卵やウインナーをこっそりと見えない場所に隠し、いない時に食べた。だが、ある日、外出先から帰ってきた父と次姉がコソコソ話をし、高橋被告に食べさせないよう、食材を野菜室の下に隠したそう。

それを受け、死にたくなった高橋被告は自殺を試みた。マンションの10階へ上がり、迷惑をかけないように車や自転車などが下にない場所を探して飛び降りようとしたが、体が動かず。一酸化炭素中毒も二次災害のことが気になり、実行できなかった。

そんな心理状態の時、わずかな期待を抱き、かなりの時間をかけて父に「死にたい。それか関係改善して仲良くなりたい」と言った。だが、父は振り返って、立ち上がり「死にたいなら死ね。迷惑かけないようにしろよ。電車飛び込みだけはするな」と告げたそう。

それを聞き、高橋被告は「やっぱり俺って死んだほうがいいんじゃないか」と思い、頭が真っ白に。それからの記憶はなく、父を刺した時や次姉を殺害した時のことは覚えていないという。

高橋被告の心理鑑定を行った長谷川氏は、幼少期の面前DV(※18歳未満の前で配偶者や家族に対して暴力を振るうこと)や身体的・精神的虐待の影響で、高橋被告は慢性的な離人感・現実消失感の兆候があったと指摘。持続的な虐待やDVなどのトラウマ体験をきっかけとして発症する複雑性PTSDの兆候もうかがえると証言した。

事件当時は、わずかな希望を持って関係修復を願っていることを伝えるも、父親のショッキングな反応があり、その後、激しい身体的虐待を受けた小学校高学年の頃と似た状況(父から肩を押され、尻もちをついた際、台所のシンクとコンロの引き戸に背中が当たった)となったため、より深い解離状態に陥った可能性があると語った。

加えて、心理鑑定で高橋被告は迎合性や被誘導性が高い傾向があり、質問の仕方によっては相手が求める返答をしてしまう可能性があることが判明したと明かし、取り調べで語られた供述を慎重に考慮して量刑を出すべきだと訴えていた。

これに対し、検察側は父親から高橋被告に対する身体的な暴力は1度のみで、物を投げるなどの行為は時々という頻度であったため、幼少期に受けた虐待が事件に関係しているとは言いがたいと指摘。事件当時も、解離状態であったとは断定できないと反論。

結局、高橋被告には懲役28年(求刑懲役30年)の判決が言い渡された。

■心理検査で自分を「雲」に例えた被告の心

正直、どれほどの材料を用いて心のメカニズムを示されても、事件当日の高橋被告の本当の心境や状態は本人にしか分からないところがあり、自分とはあまりにも違う生育環境である場合は、幼少期の体験がどれだけ事件に関係あるのか理解に苦しむ部分もあると思う。

だが、今回の裁判の中で、深く心に残った心理検査の結果がひとつあった。それは、被告の心を探る「風景構成法」だ。この検査は検査者が提示した川や山、田んぼ、人など11のアイテムをA4サイズの厚紙上に書いてもらい、風景を完成させるというもの。

この検査で高橋被告は「足りないもの」として3つの雲と太陽を上部に描き、自分のイメージに一番近いものは右上の雲だと話したそう。人や動物なども描いているのに、あえて「足りないもの」との指示で書き足した、ふわふわと漂う雲に自分を重ねた高橋被告。その独特の感性から、彼の目に映っていた世界が少し垣間見えた気がしたのは筆者だけだろうか。

もちろん、どんな理由があっても人を殺めてはいけない。たとえ、同じ病気を患い、似た気質や特性を持っていても罪を犯さずに暮らしている人もいると考えられるからこそ、2つの命を奪った高橋被告の凶行は決して許されるものではない。

だが、どうしても思ってしまう部分がある。“被告人”となる前の「高橋智」というひとりの人間として生きている時に、他者や社会から、もし支援の手が伸ばされていたら、助けを求められるほど社会は安全なものであると被告自身が思えていたら、未来は違ったのかもしれない、と。

また、被告が発症している可能性がある「複雑性PTSD」は2018年に公表された国際疾病分類の第11回改訂版(ICD-11)で、新たに採用された診断項目だ。まだ治療が確立しているとは言いがたい病気であるからこそ、まずは病名や症状の特徴が広く正しく周知され、当事者が抱えている言語化しづらい苦しみが見過ごされない社会になってほしい。

なぜ、罪を犯したのか。事件当時、本当に解離状態であったのならば、その理由を一番知りたいのは、もしかしたら高橋被告本人なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?