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もっと五感を大切にしようと思った


ドイツは今週末からクリスマスマーケットが始まったりして、
もうアドベントのシーズンなんだ、って。
嬉しいと思う反面、今年はあまりアクティブに動けていない時期があったので少し悲しい気持ちにもなっている。

今日バスに乗った。
バスのルートで途中渋滞してて幸い特に急ぐ理由もなかったから
特にイラっとすることもなくふと窓の外に目をやった時、
太陽の光とそれを受けた木々から見える木漏れ日があまりにも美しくて涙が出そうになった。
普段1週間の内5日間は仕事をしていて
今もそうだけどPCや携帯に向き合っている。
でもこういうふとした瞬間に自然ってなんて美しいんだろう、
折角「目」という、この美しい世界を認知するツールを持っていながら、
1日の大半を画面を見ることに使っているのは
なんて勿体無いんだろうと思ってしまった。

その後ランダムにヘッドフォンから聞こえてきたSigur Rosの音楽。
ふと自分の五感が正常に動いてくれることに感謝しなければと思った。

私の人生においてこの五感が正常に動いてくれなかったらと考えると非常に恐ろしい。

何故なら私は自然の、世界の美しさに常に圧倒されることばかりだし、
今私が日本から出て暮らしているのもある意味で五感の影響だ。
・慣れ親しんだ日本の風景ではなく別の世界も見て見たい。
・日本語以外の言葉が飛び交う環境に身を置いてみたい。

音楽は本当に私の人生を救ってくれた。
人生に絶望したあの日、
生きてて良かったと思えたあの日も音楽を聴いていた。
大学時代に意を決して先輩に告白したけれど、
振られてしまった帰りの電車で聞いたあの曲。
311の地震後、
電車が止まってしまって当時就活中の私はリクルートスーツに身を包み、
慣れないヒール靴を履いていた。
そんな中5時間かけて歩いて帰宅したあの日に聴いた音楽たち。
語学学習をしようと思ったのも、
ドイツ語や英語の響きが私にはとりわけ美しく聞こえたからだし、
私の趣味は五感なしでは成り立たない。
映画、芸術作品鑑賞・・・

この世界には美しいものが溢れてる。
私がここでいう美しいは単に形状が、
容姿が言葉のままに「美しい」という意味ではない。

例えば、今カフェにいるのだが、私の隣のカップルの会話。
彼氏が彼女に向けるその優しい視線。
はたまた斜め前にいる4人家族の温かい雰囲気、
流石に会話内容は聞こえないし、聞くつもりもないが、
楽しい家族団らんのひと時を過ごしていることが、
その表情から読み取れる。
そういう、日常生活の何気ないワンシーンが私はとても美しくて愛おしく感じる。

だから私はカフェが好きなのかもしれない。
家も大好きだけど、家に1人だとそういった環境音、他人の仕草、
表情を観察することはできないから。

そしてもっと五感が使えることに感謝し、その体の器官を労わらないと、
とも思った。

目が使えて世界を見られること。
耳が使えて音が聞こえること。
鼻が使えて香りを認識出来ること。
舌が使えて口にしたものの味を認識できること。
手が、足が使えて触れる対象物の感覚を認知出来ること。

もっと感謝しなくてはいけないな。
そして私がまだ知らないものがこの広い世界には沢山ある。
今こうやって五体満足で動ける健康な身体に感謝して、
元気なうちに出来る限り色々な新しい場所に出向いて、
新しいことを経験出来たらなと思う。

今日も読んでくれてありがとう。

Yuni

サポートありがとうございます。カフェ作業が好きなのでコーヒー代として有難く頂戴し、より為になる記事を執筆することによって還元できるよう頑張ります!