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物がくれる喜びとスマホがもたらす不安と混乱

物にはない魅力がiPhoneにはあった。
iPhoneは物だけど、その中のソフトウェアにはとんでもない可能性が潜んでいた。
ネットにつながりありとあらゆる情報を得られ、SNSを通して世界中の人々とつながれる。

物を超えた?

そう思っていた、けど、毎日毎日他人を気にしたりニュースを気にしたり、一体何をしてるんだろう?という気にもなってくる

物を超えたはずなのに、物のありがたみを逆に教えてくれる存在にも今はなってる。

CD、家具、本、食器、、、

これらはとても機能が制限されている。これらに没頭せずスマホに没頭する仕草からは、スマホの方が物より魅力的だということがわかる。

ただ、その魅力は計算されており、言うなれば、これまで企業が操作できなかった領域まで企業が入り込んできてるということ。

気に入った物を見つけて自室に連れて帰り、その物が持っている機能だけを楽しむ。

前時代的だろうか?

たしかに機能は増えず、早々に飽きることもある。

だがしかし、彼らはこちらに語りかけてきたり、より良い情報を提案してきたりすることはない。

あなたが買ったスカートよりももっと魅力的なスカートを着こなしてる人がいますよ?

あなたの体重を劇的に下げられる商品がありますよ?

これらは、本来必要のないことで、人間の幸福度を下げかねないアプローチでもある。

物はそこから、持っている機能から広がらない方が人間の心は休まる。

こうしてネットで文章を投稿してる時点で矛盾してるかもだが、物は良い。

自室を好きな物で埋めて、物との時間を楽しむ。

そのような工夫を経て、現代の中で幸福度を高めていく方法を探っていきたい

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