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三代続いた親子の確執 その15

夫の清が突然の事故で亡くなってから、半年。生活のために見つけた先は、寝具販売店での販売員だった。

今までの専業主婦の生活から、一日中立ちっぱなしの仕事。その上45歳の新入社員だったので、周りからの風当たりも強かった。

毎日毎日会社帰りに泣きながら、帰ったものだ。たまに実家に行くと、父は、突然伴侶を失った娘を不憫に思うらしく、労いの言葉をかけてくれた。

反面、母親の心無いひとことが私の胸に刺さった。夫を亡くして半年後の母親の言葉は
「いつまで、旦那のことを愚痴るんだい?死んでしまったものはしょうがないだろう。おんなじ愚痴は、もう聴きたくない。」
だった。

これが母親の言葉だろうか?娘の今の環境や気持ちをくんでくれる度量はないのだろうか?自分中心でしか考える事ができない母親が、憎くてたまらなかった。

こんな思いをずっと胸に秘めていたので、後年母親が脳溢血で倒れ、入院した時も見舞いなど行く気もなかった。
また、入院したのち、亡くなった時でさえ、涙ひとつこぼれなかった。普通なら母親の死に際して、寂しさ悲しみが溢れでるものだと思うのだが、ホントに、悲しくも何ともなかったのだ。

葬式の日、母との過ごした日々を思い出したが、浮かんでくるのは、
母親らしいことを何もしてもらえなかったという恨みの気持ちだけだった。

私の理想の母親像は、教養があり常識的な行儀作法を教えてくれ、娘の気持ちをわかって、苦難が来た時に優しい言葉をかけてくれる母親だった。

私の母親は、何ひとつ持っていない最低の人だ!と死んでから、今までもずっとそう思っている。

思い返せば、母も曽祖母が亡くなった時、私と同じ思いだったに違いない。
「婆さんが死んでせいせいした!」と曽祖母の火葬の時に漏らした言葉を私は聞いていた。

私の娘たちは、どうなのだろうか?

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