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夫側の会社は妻側の会社にタダ乗り (フリーライド) したりはしない

本記事は、「夫側の会社が妻側の会社にフリーライドしている」 というような表現に違和感を感じたおかゆが、批判的に考察したことをまとめています。

私の観点に不足等もあると思うので、本投稿に気になる箇所があった方はぜひコメントや Twitter でご意見ください。

本投稿における主張

本投稿は、下記の主張をするものである。

  • 「夫側の会社が妻側の会社にタダ乗り」 という表現は妥当な表現ではなく、問題や事象を曖昧にし、解決を難しくするものである

  • 解決したい課題は、「家庭内の役割分担」 という家庭内の話と、「家庭を顧みない働き方を求められることが普通になっており、仕事と家庭の両立が困難」 という社会の話の 2 つに分けて考えると良さそう

  • 家庭内の役割分担については 「ファミリーキャリア」 の考え方で夫婦間で相談できると良さそう

  • 社会の問題については、我々労働者の立場では、転職なども手札として労働条件について会社と交渉していくことが良いのではないか (それが結果として社会全体にも影響しうる)

「夫側の会社が妻側の会社にタダ乗り」 とは何か?

現代日本においては、夫婦のうち、妻が家族のケア (家事や育児) を担うことが多く、逆に夫が労働に力を割くことが多い。 つまり、共働き家庭の場合、妻が時短勤務をしたり突発的なお休みを取ったりすることが多い。 逆に夫は、職場での長時間労働が求められて、家族のケア労働に力を割くことができない、という状況が発生する。

上記の妻のような人 (家族のケア労働を多く担う人) が多い職場では、従業員の突発的な休みなどに対応するためにマネジメントコストが大きくなる。 あるいは、突発的な休みなどに対応するために、ほかの従業員 (単身者や男性など) にしわ寄せが行ってしまう。 一方で、上記の夫のような人 (妻のケア労働のおかげで長時間労働が可能となる人) が多い職場では、そのようなマネジメントコストを払う必要は相対的に少なくなる。

上記のような状況に対して、「妻の所属企業 (あるいは女性が多い企業) のマネジメントコストが大きくなるのは夫婦間で妻の方がケア労働を主として担っているためであり、妻のケア労働に対して夫、ひいては夫の所属企業 (あるいは男性が多い企業) がタダ乗り (フリーライド) している」 という主張がなされている。 これが 「夫側の会社が妻側の会社にタダ乗りしている」 ということのようである。 つまり、「妻の所属企業 ← 妻 ← 夫 ← 夫の所属企業」 という形で負担を強いており、最終的には 「妻の所属企業 ← 夫の所属企業」 というタダ乗りが発生している、という主張である。

以下のように説明している web ページもある。

時間を気にせず働ける夫 B さんは、時短で働く同僚女性 C さんの仕事を肩代わりしているかもしれない。 そして C さんは、A さんと同じく家事育児をワンオペで担っているだろう。 それができるのは、C さんの仕事を B さんが引き受けてくれるからだ。 そして C さんの夫 D さんは、家事育児を妻に任せられるから、長時間働いている。 そして、D さんの職場には……。

こうした連鎖が企業を超えて続いているのが、今の日本だ。 これを企業単位で見れば、女性を多く雇用している企業の育児支援制度に、男性を多く雇用している企業がフリーライドしていることになる。

夫の会社が妻の会社の育児支援にタダ乗り —— カネカショックで露呈した現実

長時間労働や仕事優先の働き方を社員に強いる 「夫側の企業」 は、「妻側の企業」 にフリーライドをしているという使われ方をします。
例えば、保育園から子どもが発熱をしたと連絡があった場合、仕事を切り上げてお迎え行くのは誰でしょうか? 夫婦平等に振り分けて、お迎えに行っている家庭もあると思いますが、まだまだ日本の現状では妻側のお迎えが多いのです。 となると、妻側の企業は常に 「子持ちの女性社員は、子どもの体調不良になると抜けてしまう」 ことを念頭に入れて、仕事のシフトや業務内容を組む必要が出てきます。 逆に、夫側の企業は、急な社員の休みによる損失を伴うケースがほぼありません。 そうすると、夫側の企業は、妻側の企業の人事制度や福利厚生にフリーライドしていることになります。

「家事育児を丸投げし家庭内にヒビを入れる」 確信犯的 "フリーライド夫" の生態

関連する出来事など

関連する出来事として言及されているものとして、「資生堂ショック」 や 「カネカショック」 がある。

「資生堂ショック」 は、2015 年に話題になった。 資生堂において、育児中でも遅番や土日勤務にも入ってもらうように方針変更がなされたことに対して、「育児中の女性に優しい会社が、厳しくなった」 として、SNS 等で批判が起こったようである。

「14 年春から 1 万人の BC (美容部員) を対象に育児中でも夜間までの遅番や土日勤務に入ってもらうという。 20 年以上前から育児休業や短時間勤務制度を導入し 「女性に優しい会社」 の評判を築いてきた資生堂。 なぜここにきて厳しい態度に転じたのか」 (2015 年 6 月) と日経新聞は報じています。 アエラは 「資生堂ショック」 という言葉を使い 「会社にぶら下がれる時代は終わった」 と報じました。

資生堂ショックから考える、女性の 「キラキラ職場」 の今後

資生堂ショックについて、「女性が多く働いている資生堂が、従業員の夫側の会社からのタダ乗りを避けてこのような施策を行った」 というようなコメントもあったが、それを裏付けるような説明は見つけられなかった。 個人的には、単に会社としてより良い制度設計を目指した結果のように感じた。 以下のページの解説がわかりやすかった。

「カネカショック」 は、カネカにおいて育児休業を取得した男性が、休業明けに転勤を命じられ、交渉したものの受け入れられず退職したという出来事。 SNS で拡散され、話題となった。

2 歳と 0 歳を育てる共働き夫婦で、日系一部上場企業に勤める夫が育児休業明けに転勤を命ぜられ、時期の延期など交渉をしたものの聞き入れられず、結局、退職を決意し専業主夫になった——。

男性育休後転勤は “嫌がらせ” か。 Twitter で告発。 家族の事情無視の転勤はアリかナシか (Business Insider Japan)

これについて、「夫の会社が妻の会社の育児支援にタダ乗り —— カネカショックで露呈した現実」 では表題にて 「夫の会社が妻の会社の育児支援にタダ乗り」 と表現されているが、育休明けでなくても、それこそ単身者でも何らかの事情で転勤が困難な人が転勤を命じられるような場合も同様のはずである。 「夫の会社が妻の会社にタダ乗り」 というよりは、より一般化して 「会社が従業員に対して拒否不能な転勤命令ができるような、家庭生活を顧みない雇用契約が日本で一般的であること」 というような問題として捉えた方が良いのではないかと感じる。

「妻側の会社への夫側の会社のタダ乗り」 という主張への違和感

違和感のある主張の例

Twitter を見ていると 「それは本当に妻側の会社への夫側の会社のタダ乗りなのか?」 と疑問に思うような主張を見かけることがある。

例えば、家族のケアでお休みを取る人がいる職場で単身者にしわ寄せが行く問題について 「会社のマネジメントの問題ではなく、妻側の会社にタダ乗りしている夫と夫側の会社の問題である」 とする意見。

この問題を夫側の会社がタダ乗りしているという問題に還元してしまうと、「ひとり親だったり、単身者で親の介護をしている人 (= 夫や夫の職場というものが存在しない人) が家族のケアのためにお休みを取る」 とか 「家族のケアを夫婦で半々の分担をしている人が家族のケアのためにお休みを取る」 という場合で、職場の周りの人にしわ寄せが行っている場合を取りこぼしてしまう。 個人的には、普通に 「職場のマネジメントの問題」 であるとすべきではないかと思う。

また、時短勤務者への給与の減額の一部を給付することについて、「育児等で労働時間を減らす人への金銭的支援は、その配偶者および配偶者の勤務先のタダ乗りに繋がるからよくない」 というような主張もあった。

家族内での役割分担を考えるにあたって 「労働時間を長くすることでどれだけ収入が増えるか」 が影響することは当然だと思うが、それが唯一の要素ではないはずだし、そこから 「配偶者やその勤務先がタダ乗り」 にどう繋がるのかがわからない。

ちなみに、現在の社会保険の制度としては、家族のケア (育児) のために労働時間を減らす (育児休業) 人のための金銭的支援として育児休業給付金があるわけであるが、これも同様に批判の対象となるのであろうか? さらには、異次元の少子化対策 (次元の異なる少子化対策) として 2023 年 6 月 13 日に閣議決定された 「こども未来戦略方針」 (「こども未来戦略会議|内閣官房ホームページ (cas.go.jp)」 参照) では 「育児時短就業給付 (仮称)」 の創設が語られているが、これも批判の対象なのであろうか? もちろん、「妻側の会社に夫側の会社がタダ乗り」 の問題とは別に、これらの給付についても批判すべきところはあろうが、こと 「妻側の会社に夫側の会社にタダ乗り」 という文脈で批判すべきものなのかどうかは疑問である。

これらの用法を見るに、「夫側の会社が妻側の会社にタダ乗りする」 という概念が、何かの問題の原因としてだったり、あるいは何かを批判するために、おおざっぱに使われているように感じるのである。

(ちなみに、上記で紹介したツイートについては、note 上で一方的にコメントをしているわけではなく、Twitter 上で質問してはいるが、回答をもらえていない。)

夫側の会社はタダ乗りしているのか?

「夫側の会社が妻の会社にタダ乗り」 という表現の妥当性も考えていきたい。 まずは 「夫側の会社がタダ乗り」 しているのかどうかである。

ここでいうタダ乗りとは、「コストの負担をせず財を利用すること」 (出典 : ただ乗り (Wikipedia)) であると考えられる。

夫側の会社が直接やり取りする相手は、夫側の会社の従業員である。 「妻の所属企業 ← 妻 ← 夫 ← 夫の所属企業」 の連鎖でいうと、「夫」 である。 「従業員 (夫) の労働力という財を、コストの負担をせずに利用している」 のであればそれはタダ乗りと言えるだろう。

わかりやすい例は、サービス残業の強制である。 必要な残業代というコストを払わずに労働力を利用している。 また、有給休暇などの労働者の権利を奪っているのであれば、(労働者が提供しなくてもよい労働力を提供させられているので) それもまたタダ乗りしていることになる。

では果たして、「夫側の会社が妻の会社にタダ乗り」 と言うときの、夫側の会社が本来支払うべきコストは何なのか? 本件についてよく言われることは、「夫の企業側は、長時間労働を強いたり転勤を命ずるなど、ケア労働を担えないような業務命令をする」 とか 「(時短勤務者や急なお休み取得をする労働者が存在することで必要になる) マネジメントコストを払っていない」 ということのようである。

長時間労働や転勤についていうと、雇用契約や労使協定の範囲内であればタダ乗りとは言えないだろう。 極端な例を言うと 「宇宙滞在する宇宙飛行士や長期間航海するような船員 (長期間家を離れる必要がある人) の仕事が、(その人の) 家庭へのタダ乗りで成り立っている」 という主張が妥当なものと言えるのかどうか、ということである。 私は言えないと思う。

マネジメントコストを払っていないという点についても同様で、雇用契約や労使協定の範囲内であればタダ乗りとは言えない。 良い人材を集めるために職場環境にどれだけ投資するかという話であり、そこに投資しないのであれば良い人材が集まらないようになっていき、最終的には仕事を回せなくなるだろう、というだけの話のように思う。

私としては、「夫側の会社がタダ乗り」 しているという表現には違和感がある。

会社間の問題に還元することは妥当なのか?

次に 「夫側の会社が妻側の会社に」 という部分。 会社間の問題として捉えることは妥当なのかを検討したい。

妻の所属企業と夫の所属企業の間には、一般的には直接の関係はない。 妻の会社も夫の会社も、どちらも直接には従業員である妻や夫とやりとりしている。 「夫側の会社が妻側の会社に」 という表現に夫と妻が出てくるのは、これらの会社が家庭を介して繋がっているということを表現しているのだと考えられる。

そうはいっても、実際のところ企業間で直接のやり取りがあるわけではないので、企業間の問題として何かが解決するわけではない。 この問題についてよく言われる 「家族のケア労働の負担が妻に偏っている」 という話も、「企業内で家族のケア労働のために時短等をしている人をケアする負担が単身者や男性にのしかかっている」 という話も、どちらも企業間の問題として捉えたところで解決しない。

個別の事象 (個別の家庭内の役割分担や個別の職場のマネジメントの問題) はその事象が発生しているところで解決する必要があるし、社会全体としての問題は社会全体として捉える必要がある。

「夫側の会社が妻側の会社に」 というふうに、会社間の問題として表現するのは得策ではないと思う。

結局のところ解決したい課題は何なのか?

上で述べたように、「夫側の企業が妻側の企業にタダ乗りしている」 という主張は、問題を曖昧にするものであり、問題解決を遠ざけるように思う。 ここで、改めて解決したい課題は何なのかを考えてみる。 この件を調べていて個人的に感じたのは、以下の 2 つの課題である。

  • 夫婦間での分担の適正化 (個別の家庭内の事情)

  • 柔軟な働き方を選択できる社会の実現 (社会全体における働き方改革)

前者は個別の家庭 (夫婦) の問題。 後者は社会の問題である。

家庭 (夫婦) の問題

「夫側の会社が妻側の会社にタダ乗り」 という表現に 「夫」 や 「妻」 が出てくるのは、視点が家庭内にあるからだと考えられる。 暗に、家庭内で (妻にとって) 望まぬ役割分担がなされているということを言っているのである。 家庭内での問題としては以下のようなものがあると考えられる。

  • 妻にとって (仕事上のキャリア形成をしたいのに) 仕事のキャリア形成が困難

  • 妻にとって (家庭内でケア労働の負担を分担したいのに) 夫とのケア労働の分担が困難

「夫側の会社が妻側の会社にタダ乗りしている」 というような会社間の問題として捉えると解決が難しいので、家庭内で解決できる、家庭内の役割分担の問題として捉えるべきであろう。

社会の問題

社会全体としては、現状では 「フルタイム・長時間の労働が基本で、柔軟な労働時間は特殊なもの」 というような意識が一般的であるため、男性 (夫) が休みを取りづらいとか、時短勤務者や突発的なお休みのしわ寄せが周りに行きがちな環境になっている。 仕事と家庭の両立が困難な状態である。 また、そのために家族のケアを主として担う人が求められ、夫婦においては多くの場合それが妻側になる状況である。 それが女性がキャリアを積むことを妨げる一因でもあるし、男性の辛さの一因でもあろう。

また、今後は労働者人口が減る一方で高齢者人口が増えていくため、介護というケア労働のために柔軟な働き方を望む労働者の割合は増えていくであろう。

日本社会全体として、柔軟な働き方ができる社会の実現が求められていくと考えられる。

解決のために我々は何をすべきなのか?

本投稿でここまで主張してきたように、「夫の企業が妻の企業にタダ乗りしている」 などと言ったところで、問題は何も解決しない。 我々労働者の立場としては、家庭内で相談・交渉したり、従業員として企業と交渉することで、得るべきものを得ていく必要があろう。

家庭内の問題について

まずは (本件における) 妻側の 「ケア労働の負担が大きいので、夫にもっと分担してもらいたい」、「キャリア形成をしていきたいと考えているのに、仕事に集中できないためそれが困難」 という問題について。

この問題については、家庭内、特に夫婦間での相談をして、実現していくことが必要だと考える。 私が調査している中で、尾石晴氏が提唱するファミリーキャリアの考え方が参考になると感じた。

短期的な稼得やケア労働の分担という話だけでなく、中長期的な、キャリア形成や家族としての在り方、ビジョンといった部分にまで踏み込んで会話することで、時間軸を考慮しつ、夫婦互いのありたい姿の実現に近づけそうである。

場合によっては夫側の 「育児休業を取得しづらい」 とか 「なかなか休みを取りづらい」 といった話もあると思うので、そういった問題はなぜなのか (休みを取ると嫌がらせを受けるのか、昇進に響くと思っているのか、それは事実なのか、とか) を考え、自分たちの家庭としてはそれにどう対応するのか、といったことも話し合う必要があるだろう。

ちなみに、分担の割合に不満があるのではなく、本当に 「夫 (あるいは妻) に自分がタダ乗りされている」 と思っているのであれば、夫 (あるいは妻) は居ない方が良いはずなので、離婚なりなんなり考えた方が良いと思う。 さもなければ 「夫 (あるいは妻) にタダ乗りされている」 などと言うべきではない。

社会の問題について

仕事と家庭の両立が困難とか、女性がケア労働を求められがちという問題。

女性がケア労働を求められがちという点については、個別の家庭の話については上述の通り家庭内で解決すべき話であろう。

仕事と家庭の両立が困難という点については、労働者として個人個人がより働きやすい環境を企業に求めていくことが必要だと考える。 それが、ひいては社会全体の変化につながっていくだろう。

業界にもよるが、日本社会では今後、どんどん労働力が不足していくため、企業は優秀な従業員を留めるために必要であれば多くのコストを払う。 労働市場における自身の価値を高めることを怠らず、必要に応じて退職や転職も手札として使いつつ企業に労働環境の改善を求めていくと良い。

実際のところ、危機感の強い企業では既に労働環境はかなり改善されており、男女の別なく、仕事と家庭の両立がやりやすくなっている。 そのような企業が増えていくと、仕事と家庭を両立しやすい社会になっていくだろう。

おわり

本投稿では、下記の主張を行ってきた (再掲)。

  • 「夫側の会社が妻側の会社にタダ乗り」 という表現は妥当な表現ではなく、問題や事象を曖昧にし、解決を難しくするものである

  • 解決したい課題は、「家庭内の役割分担」 という家庭内の話と、「家庭を顧みない働き方を求められることが普通になっており、仕事と家庭の両立が困難」 という社会の話の 2 つに分けて考えると良さそう

  • 家庭内の役割分担については 「ファミリーキャリア」 の考え方で夫婦間で相談できると良さそう

  • 社会の問題については、我々労働者の立場では、転職なども手札として労働条件について会社と交渉していくことが良いのではないか (それが結果として社会全体にも影響しうる)

「夫側の会社が妻側の会社にタダ乗り」 という表現に違和感があっただけで、本質的にはその主張をする人たちと大差ないことを言っているかなと思う。 冒頭にも書いた通り、何か意見等あれば気軽にコメントや Twitter でのメンションをされたい。

付録

参考文献

発祥や過去の使われ方

「夫側の会社が妻の会社にタダ乗り」 という言説の発祥や詳細を調べるために、いつ言われだしたのかやどう使われてきたのかをざっくり調べたまとめ。

夫の会社から妻の会社への 「タダ乗り」 や 「フリーライド」 といった言葉は、古くは 2010 年には Twitter 上で使われていた。 ただし、発見できたのは 1 例のみ。 Twitter 外での利用を見つけることはできなかった。

上記のツイート以降、Twitter 上でこのようなタダ乗り (フリーライド) についての言及が現れるのは 2015 年 (「フリーライド 夫」 で Twitter 検索して探しただけなので、検索ワードを変えればほかにも見つかるかも)。 2015 年、2016 年には数えるほどしか見つからないが、2017 年ごろからは Twitter で頻繁に使われるようになっている。

Twitter 以外の web 上での検索で見つけた最古のものは、2017 年の厚生労働省の研究会  「2017 年 8 月 9 日 第 4 回 『仕事と育児の両立支援に係る総合的研究会』」 における駒崎委員の発言。 それ以降もいくつか web ページは見つかるが、「こういう状況は夫側の企業から妻側の企業へのタダ乗りがあるということです」 というような、タダ乗りというものがある前提での記載しかなく (上記の参考文献参照)、夫側の企業から妻側の企業へのタダ乗りについて分析や考察、解説をしているものは見つからなかった。

2010 年には Twitter 上で 「夫側の会社が妻側の会社の制度にフリーライド」 と言っている人がいたので、10 年以上前から使われている言葉のようではあるが、誰が言い出したのか、どこが発祥なのかよくわからなかった。

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