DAY10 執着の正体

担当:葉月

こむぎが取り上げてくれた『愛がなんだ』、私は映画で1度だけ観たことがあるよ。
テルちゃんがあまりに愚かで、でもそれだけ理屈じゃなんだろうなって感じた記憶がある。
この作品がグサグサ刺さる人もきっとたくさんいるんだろうね。

愛と恋と執着の違いか。
すごく難しいね。
きっとこの三者ってそれぞれが完全に独立しているわけじゃなくて、重なり合ったりどちらかを内包したりしてるんだと思う。
だって、恋も愛もこんなにたくさんの人間がいる中で特定の個人に特別な感情を抱いているっていう状態なわけで、これはその個人に執着してるって言えると思うんよね。

”執着”って辞書的な意味では”一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと”らしいよ。
『愛がなんだ』のテルちゃんはまさに、マモちゃんに執着してるといえるよね。
テルちゃん自身が、その執着を愛でも恋でもないって言ってるけど、その正体は何なんだろう。
テルちゃんも将来的に、ナカハラくんが葉子さんから離れたみたいにマモちゃんから離れる決断をするのかな。
その時に、きっとマモちゃんが気にも留めないんだろうな、全然ダメージ受けないんだろうなっていうのが容易に想像できちゃうのが、何とも言えない切ない気持ちになっちゃうね。

こむぎは原作を見たのかな?それとも映画?
原作と映画で何か違う表現とか描かれ方はあったのかも気になるな。

こむぎは知ってると思うけど、実は私自身、恋愛をしていて「あれ、今私って相手に執着してるだけかな」って思った経験がある。
まあテルちゃんと同じように、自分で答えは出なかったんだけど。。。
でもその時ってすごく苦しくて、相手と少しでも離れた瞬間に不安になって心がグラグラするのに、距離を置くって選択は取れなかったんだよね。
愚かだなあって自分でも思ったし、もっと私のことを安心させてくれる人がどこかにいるんじゃないかとも思った。

執着と恋、愛の境目ってすごく難しいけど、でも『愛がなんだ』におけるテルちゃんの状態、上に書いた当時の私の状態が健全とは言えないのだけは確かだと思う。
人間は自分一人では生きていけないから、少なからず他者と関わり合って、他者と補い合って生きていくものだと思うけど、でも依存先を1つに絞るのはとっても危険なことだと思う。
だって自分の生活の軸をたった一人の他人に預けるなんてリスキーすぎるもん。
双方が相手だけに依存しあって共依存になればその瞬間は幸せなのかもしれないけど、その気持ちが両者いつまで続くかは不確定だし、いつか崩れる危険性は大きいと思う。
(特にテルちゃんなんかは、自分のことなんて全然大事にしてくれない相手を唯一の軸にしちゃってるから、そらしんどいと思う。)

とは言いつつね、テルちゃんがマモちゃんに執心してて、いかにもクズに見えるマモちゃんもそのうちすみれさんに執心してっていうのがまあリアルなのかなとも思うんよ。
理性的な考えを越えちゃう何かがそこにはあるんだろうね。
彼らが若いからそういう行動をとっちゃうのかもしれないし、はたまた人間誰しも理性的ぶってるだけでその実ただの動物っていうことなのかもしれない。(こう考えだすとちょっと悲しくなるけど)

たくさん経験を積んで、歳を取っていくことで、その理性的な部分がどんどん大きくなっていくのかな。
ぱっと社会を見渡すとそんな風に思えるけど、もしかしたら大人は理性的ぶるのが上手になるっていうだけの話なのかもしれないね。
私たちがもっと歳を取ったら、あの正体不明な執着の正体が分かるようになるのかしら。
将来この交換日記を読んで「青い青い!」って笑える日が来るのかな。
たのしみだね。


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