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非常時のワーママ・ママ友ネットワーク

ワーキングマザーのめまぐるしい日々、どんな時を非常時と捉えるかは(あるいは毎日が非常時みたいなもの?そうなるともはや常時よね?)人それぞれだと思いますが、東日本大震災発生時は間違いなく多くの人にとって非常時でした。
今から13年前、我が子たちは小学校6年生と小学校1年生でした。

勤務先で「お茶でも淹れて休憩するかな~」と席を立った時に、まず突き上げるような縦揺れ一発。そのあとは長い横揺れが続き、ビルが倒壊するのではないかという恐怖に襲われるほどで、正直もう駄目かと思いました。あとあと判明したのですが、そのビルは非常に揺れやすい構造だったようです。

ひとまず余震が落ち着いた夕方頃、とにかく子供たちが心配で、私は歩いて帰ることにしました。
その日通勤で履いてきていたヒールでは、歩き通せない気がして、職場用のサンダルでそのまま出発。道路は車で渋滞していましたが、歩道は歩行者がきちんと流れる程度の込み具合です。窓ガラスが割れまくっているビルの側を通るときはかなり怖かった。スーツ姿にヘルメット、背中には「非常持出用」と書かれたバックパックを背負って歩く人々を見かけ、会社にそういう備えがあるんだなと感心したことを覚えています。

何度も夫の携帯(スマートフォンではない)に電話するも繋がらず、子供たちは小学校にいる時間だから、先生方がついていてくれるだろうと自分に言い聞かせ、パニックにならないように歩き続けました。
そんな中、奇跡のように受信することができた1通のメールで、我が子たちはママ友のお宅にいて夕飯も食べさせてもらっていると分かります。

小学生たちは、親が迎えに来た子供から下校していたようですが、親が迎えに行けないので学校に残っていた子供たちは、ある程度の時間になると、どういうわけだか平常時通り帰されてしまいました(あとでその対応は問題視され、現在はそのような運用にはなっていないはずです)。急ぎ迎えに行ったママ友の一人が、我が子たちを含む保育園時代からの仲良しグループの子供たちをまとめて自宅に連れて帰ってくれました。しかも夕飯まで!迎えに行ったときには「帰りたくない!みんなと一緒にいる!」と子供たちは駄々をこねましたよね。そのままお泊り会へ突入するような雰囲気。

ベースには日々の助け合いやらお付き合いやらがあり、親同士・子供同士も顔なじみで、こういった時に助けてもらえる安心感。親は遠方で頼れない私にとって、本当に大きな安心感でした。
この時は助けられたほうだったけれど、いつでも助けるほうにも回るぞ!と心に誓いましたよ。

なんというか「大きな支援」というよりも、日々の「小さな助け合い」がワーキングマザーのみならず母親たちの日常を回してくれるのかもしれない、です。ネットワークを構築していければ最高だし、私は自分のできる範囲でワーママを応援する方法を実行していこうと思います。

おまけ
職場用サンダルは途中でストラップがちぎれました。歩きにくかった(-_-;)
あれ以来私はスニーカー通勤です。




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